4階から落ちて骨が砕けてもあきらめない
ポジティブ起業家 臼田聖司 のモットーは
まず自分楽しめば、周りに仲間が集まる

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Profile
プロフィール
氏名 臼田聖司
会社名 株式会社swimmy
出生年 1988年
略歴 1988年、神奈川県生まれ。高校時代にカナダへ留学、帰国後は日本の大学を卒業し日本のIT企業に就職。ARアプリの開発事業を主導した。起業後はiPhoneやスマートフォン用のスキンカバーのオンデマンド印刷事業、ウェブサイトの企画制作事業を成功させる。2018年に株式会社スイミー(swimmy inc.)を創業し、現在はシリアルアントレプレナーとして挑戦を続けている。
Interviewer
Masahira Tate
Masahira Tate

—【聞き手:楯雅平、以下:楯】私たち「ザ・キーパーソン」編集部は各界のキーパーソンの方々に直接お会いしてインタビューを行ない、人生や仕事についてじっくりとお話しを聞いた記事を制作しています。読者の方としては会社やコミュニティにポジティブなインパクトを与える“キーパーソン”を目指す人たちを想定しているので、そう言った方々へのヒントや励ましになるようなストリーをシェアしていただければありがたいです。

【話し手:臼田聖司(敬称略)、以下:臼田】はい、わかりました。

今回のインタビューでは、臼田さんご自身の生い立ちから学生、社会人時代、そして起業家となり今に至るまでのお話をおうかがいできればと思っていますので、よろしくお願いいたします。

【臼田】インタビューに不慣れなので少し緊張していますが(笑)、よろしくお願いします。

—【楯】それでは、さっそく子供時代のことから教えてください。お生まれは?

【臼田】横浜です。1988年の3月生まれで、ひとり人っ子です。口数の少ないひとり遊びが好きな子供でした。

<小学生で“社長”になる>

【臼田】小学校の頃のことで記憶に残っているのが銀行遊びですね。折り紙を半分に折って、切って、そこに好きな金額を書いて“お札”をつくって、銀行に預けるというごっこ遊びでした。それで、なぜかそのお札を銀行役の僕のところに持ってくるということになっていました。それで、僕は社長として集めたお金を給料として皆に渡していました。大人になって思えば、大人になって思えば、市中銀行がお金を刷るわけではないのでおかしな話ですが(笑)。

実は今でもその“お札の山”は残っていて、実家の屋根裏にダンボール箱3箱分くらい眠っているんじゃないかと思います(笑)。この遊びがクラスの全員に流行っていたので、どんどんお札が貯まりました。子供心にお金が自分のところに集まってくるのはうれしくて、とても興奮しましたね。いま思うと異様な遊びですけれど、とにかく楽しかったのを覚えています(笑)。

—【楯】「銀行の社長」をやるくらいですから、みんなのリーダー的な子供だったのですか?

【臼田】いいえ、そうではなかったと思います。「社長」になったのは、父親が看板の製作会社を経営していて、子供の頃からそばでそれを見ていたのであまり会社勤めのイメージがなかったからだと思います。子供の頃からどうやってお金を稼ぐか考えるのが好きだったし、そういった意味では他の子供たちとはちがったのかもしれませんね。

性格に関して言うと、この頃の自分は安全志向が強かったですね。当時の様子が映っているビデオを見たら、冬に積もった雪のちょっと深いところに足を踏み入れるのを頑なに拒んでいる自分の姿がありました。いつもこんな感じで、とにかく危険を犯したくないという感じの子供でしたね。

ところが、性格というのは変わるもので、今の自分は真逆に近いと思います。今は雪が積もっていたら、真っ先に走っていくような人間ですから(笑)。

—【楯】性格が変わるきっかけは何だったのでしょう?

【臼田】明確な転機というのはありませんでした。子供なりに失敗したり、うまく行かなかったりした経験をする中でも「失敗しても大丈夫なんだな、そんなに悪いことじゃないんだな」という理解が積み重なっていったから、失敗を恐れなくなったのだと思います。この頃から今に至るまで、まずトライする、とにかくやってみるということが自分の性格というか生き方の重要な要素になっています。

—【楯】では、中学生時代は積極的な性格になっていたのですか?

<学校はじまって以来のヤンチャな生徒>

【臼田】そうです、はじけていてと言ってもいいかもしれません(笑)。テニス部に入って、出会った友達と仲良くなって、それが大きな変化でした。部活には行かずに、とにかく毎日を遊び尽くしていました。

くだらなすぎるため、詳細は割愛しますが一緒にバカをやって、腹の底から笑い合える仲間に出会えたことで、また、自分が変わったと思います。ちなみに、その頃の友人とは今でも仲が良いですよ。

まぁ、そんな感じの中学生時代だったのですが、3年生の時に偶然「GAORA(ガオラ)」という 衛星放送でNFL試合を見て、何か心に火がついた感覚がありました。とにかく、自分もアメフト(アメリカン・フットボール)をやってみたいと思って思い、中高一貫校だったため、学内にアメフト部を新設しようと思いましたが実現せず……それで「高校はアメフトができる学校に行こう」と決めました。

<単身、カナダへ>

【臼田】そういうきっかけとモチベーションがあって、カナダへ留学することに決めました。

—【楯】また、思い切りが良いというか「まずトライ」の精神がいかんなく発揮されていますね(笑)。それでカナダはどちらの街だったのでしょう?

【臼田】キャンモア(Canmore)という街です。ロッキー山脈の3000m級の峰々に囲まれた自然が豊かなところで、アーティスト&スキーヤー・タウンという感じの場所です。人口は確か1万2000人くらいで、田舎町でした。

—【楯】当時から英語はご堪能だったのですか?

【臼田】いえ、まったくです。その頃の一般的な高校生レベルですから、ぜんぜんです。でも、なぜか英語で困ったという記憶はありません。

良かったのは、すぐにアメフト仲間ができたことでした。カナダに到着した後に、僕が「アメフトがやりたくて、日本からきました」とホストファミリーのお父さんに言ったら、翌日地元のチームのところへ連れて行ってくれてすぐに参加できました。僕は大きな体格ではありませんが、40ヤード(36.58メートル)ダッシュが4.7秒で足が速かったのです。プロのトップ選手が4.2秒くらいですから、高校生としてはかなり速い方だったので、スタメンに選んでもらえました。ポジションはワイドレシーバーという一番外側で相手のディフェンスをかわしつつ、パスを受け取る役割でした。カナダ人は体格がいいので、激しく当たると脳震盪を起こしたりとかはありましたが、幸い大きな怪我をすることはありませんでした。

—【楯】そのころの経験を振り返ってみて、何か今の自分につながるものはありますか?

【臼田】問題解決能力はここで培われた面が大きいと思います。異国の地で親も親戚も居ない、母国語も通じないという状況ですから、とにかくなんでも自力で解決しなければ、という思いがありましたね。英語でのコミュニケーションで苦しんだことはありませんが、日本語での会話とは違います。そう言った意味で、後半ある程度話せるようになってからもある種の壁を感じることはありました。ですので、何に対しても自分で考えて、試して、解決していく、という姿勢はここで覚えたことだと思います。

もうひとつ、自分にとっての転機になったのはデザインのクラス(授業)ですね。当時はまだ珍しかったMacのデスクトップが40台くらい並んでいて、Adobeのソフトも全てインストールされていました。その授業で初めてデジタルデザインのソフトに触れました。先生はミスター・ロジャーという赤髭のおじさんでした。なかなか良い先生で、デザインはロジカルに積み上げていく作業だということをちゃんと教えてくれました。アートのような感性の世界とはまた別の、サイエンスにも近い世界なのだというところに興味を惹かれて、夢中で「フォトショップ」や「イラストレーター」などのソフトを学びました。これは、間違いなく今の自分につながっている体験です。

—【楯】その後、日本に帰国されてからはどうされていたのでしょう?

【臼田】カナダと日本では卒業の時期がちがうので、すぐに大学入試ということはなく、7ヶ月くらいアルバイトしながら進学先を考えていました。実は、このころは「大学でコレをやりたい」という明確な目標はありませんでした。同時に、世間一般で普通とみなされているような「大学を卒業して企業に勤める」というイメージにも現実味がありませんでした。一方で、なんとなく「自分はデザインをやるか、経営者になるかのどちらかだ」と考えていました。特に深い考えがあったり、周到な準備をしたりというわけではありませんが、その思いで美大と経営学部のある大学を受験しました。

結果、美大の結果はボロボロでした。予備校に通ったり、専門にアートを学んでいたりしたわけではなかったので、まず、デッサンができない。日本の美大を受験する人たちって基礎レベルがとても高いのです。デッサンの試験が始まると、みんな自分の板みたいな物(カルトン)を出すのですよ、でも僕は「え、それ持ってない」という状況。他の人は鉛筆も大量に持っていましたけど僕は3本だけで、もう半泣きですよ(笑)。それで、あっさり落ちました。

一方で、経営学部の方は無事に受かりましたのでそちらへ行くことになりました。最初はモチベーションが高く成績もトップでした。でも、しばらく勉強しているうちに授業の内容が現実的な経営と結びついていないと感じ始めて、そこから授業にまったく興味が持てなくなり、授業を休みがちになってしまいました。そんな感じでモヤモヤとした気分を抱えているときに、中学時代の親友が声をかけてくれました。そいつの誘いでネットプライスの短期インターンシップに参加したのです。

このインターンでは、学生のチームでビジネスモデルを考えるという課題が与えられました。当時、僕が提案したのが「バケレン(バケーションレンタル)」という企画で「Airbnb(エアビーアンドビー)」そのまんまです。エアビーが誕生するずっと前だったので、あの時実現してればスゴいことになっていたと思うのですが、惜しいですね(笑)。

それはともかく、このインターンで出会ったネット業界の人たちに感化されて、僕も「ネットって、めっちゃ面白いな」と強く思い始めました。当時はホリエモン(堀江貴文さん)とかがイケイケだった時代で、ネット業界の人たちが固定概念を打ち壊すような、ある意味ではルールのギリギリを攻める事業をバンバン生み出している真っ只中でした。イノベーション、既存の仕組みを破壊する、そういうことが当たり前で攻めきれて生き残った奴が勝ちという様相です。そういった大学の授業とはまったく違う世界を目の当たりにして、とても興奮しました。

このインターンの経験から「自分もウェブサービスを作ろう」と思いはじめ、大学3年生の時に共同購入のサービスを作り始めました。この時は「グルーポン」が日本に上陸する少し前で、英語のネットメディアから情報を仕入れていた僕は「コレを日本でやったら勝てるぞ」と思い友人たちとチャレンジすることにしました。しかし、自分たちのサービスをローンチする1週間前に別の会社に先をこされ、その後は楽天やGMOなどの大手がドッと参入してきて手も足も出せませんでした。結局、そのサービスはそっとクローズして終了です。大学時代の後半はこんな感じだったので、就活はまったくしていませんでしたが、サービスを作っていた時に知り合った社長さんの会社に入れていただきました。

—【楯】大きな成功には繋がらなくても、やってみようの精神で動き続けていればなんとかなる、というのを体現されているお話ですね。ここからは一度新卒で会社員になられたということだと思いますが、どのような会社さんだったのでしょう?

【臼田】会社の主な事業はERP(Enterprise Resources Planning)系のコンサルティングで、それと一緒にエンジニアやプロジェクトマネージャーの派遣も行なっていました。その中で、新規事業としてAR(拡張現実)への取り組みが行われていて、私はそこを任されることになりました。iPhone 4が世に出てきた時代なので、今のARから比べると隔世の感がありますが……マーカーにカメラをかざすと3Dモデルが浮き上がってくる、というアプリをフランスのトータルイマージョンという会社のAPIを使って作りました。実際の製品としては、トイレメーカーの営業さんが使うことを想定したアプリで、施工場所にマーカーを置いてアプリで見ると設置予定の便座がARで見られるというアプリでした。

こんな感じで、仕事は順調だったのですが……大きな怪我をしてしまいまして。横浜で開催されていたオクトーバーフェスで飲み過ぎてしまってですね(苦笑)、4階に相当する高さから落ちて左足が粉々になり背骨も1つ潰れてしまい、3ヶ月の入院を余儀なくされました。医者には「もう一生走れないかもしれない」とまで言われた大怪我で、3日くらいは本当に落ちこみました。でも、完全に自分の責任で起こしたことだし、嘆いてもしかたかりません。生きているだけよかったと思うと、1週間くらいでポジティブになれました。それで、いろいろ考えた結果、いったん会社は辞めて、寝かせていたビジネスプランで起業をしようと決めました。

—【楯】それは、かなりのポジティブさですね。普通、大怪我で入院して「よし、起業するか!」とはならない気がしますが。

そういうものですかね(笑)。まぁ、それはともかく、当時はお金も経験も少ない中でのスタートだったので、ホリエモンが言っていた「起業の4原則」とかを参考に「利益率の高く、在庫不要、定期的に収入が入る、小資本で始められる」ビジネスを100個くらい考えました。そして、やると決めたのがスマートフォン用のデコレーションスキンのオンデマンド販売です。

<起業>

【臼田】もともと、私の父が看板のデザイン会社を経営していた関係で、特殊なプリンターが家にありました。それを有効活用できないか? ということで考え始めて、当時大きなブームになりそうだったスマホカバーと組み合わせて「デコスキン」というサービスにしました。その頃はアンドロイド用のケースも販売されてはいましたが、はっきり言って量販店に並んでいるものはダサかったです。今よりもずっと洗練されていない市場でした。そこで、私たちの「デコスキンの出番です。アパレルブランドやアーティストさんにデザインを提供してもらい、オンラインで自分スマホの機種を入力すれば対応するスキンが買えるという仕組みです。こちらは受注生産で、梱包して配送するので機種ごとに在庫を持たなくて良いという点が強みです。BtoCだけでなく、有名なアパレルブランドが一発3000とかで発注してくれるようになり、売上も上がるようになっていきました。

ところが、次第に競合の会社が作る製品が増えてきまして、それにつれても伸び悩むようになり、他にも収益をあげる方法を作らねばと思って、新規でお店を出す人たちに向けてロゴや名刺、ホームページそして看板をワンストップでデザインから制作までご提供する事業をつくって行きました。それでうまく収益の柱を「デコスキン」からデザインと制作に移すことができました。売り上げの8割がデザイン関連から上るようになった時点で、それ以外をやめようと決断して「デコスキン」をクローズして、ウェブ制作会社として続けて行くことにしました。

—【楯】事業のピボットをするにあたり、やはり新しいノウハウやスキルが必要になると思いますが、予算も人員も制約がある中でどのように成功させたのでしょうか?

僕の場合は「まず、やってみる」というスタイルでアクションからノウハウに転換するのが得意です。ウェブのデザインも、バックグラウンドはあったとは言え、最初は正直“お手伝いレベル”でした。ですから、お客様にたくさん修正を依頼されたり、ご指摘をいただいたりするわけです。それに応えながら、実戦の中で仕事のクオリティを上げていくというサイクルでした。そういう中で、スピーディーに成長して大きな売り上げが立つウェブサイトもでき始め、会社の自信にもつながりました。

—【楯】当時手がけた中で、特にうまくいったウェブサイトがあれば教えてください。

【臼田】着物レンタルのオンライン・モールですね。ゼロイチで、最初の企画から携わらせていただきサイトをローンチして、PDCAを回しながらグロースさせるまでご一緒し、年商1億円規模のビジネスに育てました。その時点で、サービスを運営していた会社さんから、インハウスの制作チームとして社内に招き入れていただきました。吸収合併という形で、僕を含め当時の会社の全員があちらの社員になりました。これが2017年のことでした。

そこから、半年ほど会社員として1つのサービスにコミットして仕事をする経験をさせていただきました。これは本当に大切な仕事でしたが、正直、刺激はイマイチ感じられませんでした。インハウスを経験して、外の素晴らしさを再確認したということですね。そこで、改めて「自分が1番熱量を持って取り組める仕事は何なのだろう?」と自問しました。その答えが「まだ世の中にないものをデザインの力でカタチにしていく」ということだったのです。

そのような経緯で、再度独立起業し、2018年に5月にスイミーというウェブのデザイン会社を立ち上げました。ウェブサイトというのは1枚1枚のページも大切ですが、それと同じくらいページ遷移やロード画面も重要です。けれども、実はそこがデザイナーの盲点だったりもします。逆にエンジニアでは得意とする方もいますが、ではそこからデザインとして良いものになっているか? というと、それができている会社は少ないのです。僕たちはそこに商機を見出してユーザーに快適に見てもらえるウェブサイトをバックエンドとフロントエンドの両方からつくるということに取り組んでいます。




» 株式会社スイミー(swimmy inc.)




—【楯】ウェブの技術は幅広いですし、日進月歩です。その中からピックアップするべき技術とスルーするべき技術、あるいはトレンドというのはどのように見極めていますか?

【臼田】基本的には、まずトライします。できるだけ早く、全て試します。浅く広くで良いので、自分のデザインだったりワークフローの中に組み入れて回転さてみる感じですね。それで、実際に社内で採用するかは現場のメンバーに任せています。ちょうど、今だと2Dの写真から3Dモデルを生成するという作業をしていますが、これなんかもトライした技術の中で自分たちにフィットしたものを実戦投入している流れです。

<たのしいミライのつくりかた>

—【楯】ここ数年でできた技術の中で、特に注目されているものはありますか?

【臼田】ブロックチェーンとAR、あとはチャットボットです。ウェブサイトにおける対話型のコミュニケーションのニーズはこれからどんどん増えていくと思います。今は、例えば服を買う場合にユーザーがページを見て「サイズはL、色は黒、配送日時は3日後の午前」というように選びますよね? でもそれが、AIベースのチャットボットとのスムーズな対話で完結できたら、もっと良い体験になると思うのです。例えば、良い服屋さんだと自分でお店の中を探し回らなくても店員さんとの会話の流れでお気に入りの1着が見つかる、ということがあるじゃないですか。そういうことがウェブサイトでも実現したいですね。具体的にはそういうUI/UXを実現できるパッケージを提供していくということになります。

—【楯】なるほど。それでは、最後に私たち『ザ・キーパーソン』恒例の質問です。会社やコミュニティのキーになる役割を担おうという志を持つ人へのメッセージやコメントがあればお願いします。

【臼田】周りの人のことはあまり考え過ぎない、ということが大事だと思います。人を巻き込んで、ある意味では自分勝手にやっている、というのは小学校の頃から変わっていません。自分が楽しんでいれば、周りにも楽しんでくれる人が集まります。人を楽しませようと自分が苦しんでもしょうがないので、まずは、自分が楽しむところから始めるのが良いと思います。

—【楯】わかりました。今日は貴重なお話をしていただきありがとうございました。

【臼田】こちらこそ、ありがとうございました。

Company
会社情報
企業名 株式会社swimmy
所在地 東京都中央区日本橋浜町1丁目11−8 ザ・パークレックス日本橋浜町4F
業種 ウェブサービスの企画と開発、ウェブサイトデザイン、など
URL https://swimmy.co/