「思考の枠」を壊し続け、意識を読む新境地へ。異色のキャリアを歩む菅仁が描く、日本発イノベーションの未来図
Interviewee
株式会社メトリア / 株式会社Linquages代表取締役
菅仁
幼少期を東南アジアで過ごし10代で帰国。東京大学工学部卒業後、エンジニア、経営コンサルタント、ベンチャーの新規事業責任者を経て、30代でセミリタイア。主夫・社会貢献・投資活動を経て、連続起業家へ。通して生涯の幸せを追求し、仕事と遊びの垣根のないライフスタイルを送る。3児の父。2020年3月には株式会社メトリアを、2024年4月には株式会社Linquagesを設立し、東大理系脳をフル活用して経営者・起業家が思考パターンを超える、思考の枠を超える「超思考」を支援している。
思考の枠を超える「超思考」をテーマに、経営者をはじめとする多くのビジネスパーソンの変革を支援する菅仁氏。
日立グループ、電通グループ、SHIFTグループといった大企業からベンチャーまでを渡り歩き、エンジニア、コンサルタント、事業責任者として多様な経験を積んできた裏では、組織の壁や自身の限界にもがき、うつ病を経験するなど、壮絶な会社員時代を送ってきたといいます。
セミリタイア、そして主夫を経て連続起業家という異色の経歴を経て、現在は「思考・感情の見える化」メソッド(SANOWマップ)と「意識を読む」チャットサービス(量子脳Chat )という二つの独自事業を展開。
本稿では、菅氏の起業するまでの経緯や仕事への思い、描く未来像に迫ります。

「日本を取り戻したい」帰国子女の違和感と情熱
—【聞き手:岡崎美玖、以下:岡崎】現在どのような事業に取り組んでいらっしゃるのか、改めてご紹介いただけますでしょうか。
—【話し手:菅仁氏、以下:菅】「思考の幅を広げる」ということを、私自身の大きなテーマとして探求し続けています。経営者の方々をはじめ、様々な方がご自身の思考パターンや、時には人間という枠組み自体の思考の限界を超えるためのお手伝いができればと考え、そのための手法やサービスを提供しています。
—【岡崎】 「思考の幅を広げる」というのは、非常に興味深いテーマですね。具体的には、どのような形で事業を展開されているのですか?
—【菅】 現在、主に3つの活動があり、一つは、ライフワークとして続けていきたいと考えている経営者向けのコンサルティングです。二つ目は、思考や感情を可視化して整理する「SANOWマップ」というメソッドの事業化。そして三つ目が、人間が持つ直感や潜在的な意識にアプローチする「量子脳Chat」というサービスです。これは、歴史上の偉人たちがどのようにしてインスピレーションを得ていたのか、といった探求にも繋がっています。
私自身、エンジニア、経営コンサルタント、事業責任者と、様々な立場を経験してきました。その中で一貫して意識してきたのが、「見えないものを見える化する」ということです。
全く新しいものをゼロから構想することもあれば、一般的に少し捉えどころがないと思われがちな領域についても、自分なりに仮説を立て、検証し、構造化していく。そうしたプロセスを経て、これらの事業が生まれてきたという経緯があります。
—【岡崎】 事業の中でも主に「思考」というキーワードが一貫していますが、会社員から独立してこの領域に深く関わるようになったきっかけが気になります。
—【菅】 30歳の頃に、経営コンサルの大先輩から「君は起業家タイプだね」と言われたことがあったんです。自分でも、同じことの繰り返しが苦手だという自覚はありました。
新卒からこれまで3社経験しましたが、振り返ってみると、私はもともと大きな組織の中で働くことに、少し不向きなタイプだったのかもしれません(笑)。
—【岡崎】 会社員ですと、ある程度のルーティンは避けられない部分もありますね。
—【菅】 いわゆる“出世コース”にはあまり関心が持てませんでしたし、かといって安易に起業しても自分の性格上長続きしないだろうという予感もありました。妻からは「あなたは次々にアイデアという卵を産み落とす鶏のようだね」なんて言われています(笑)
—【岡崎】 なるほど。なにか原体験などがあったのでしょうか。
—【菅】 少し個人的な話になりますが、私は帰国子女なんです。海外、特にフィリピンで暮らしていた時期は、「日本人」というだけで現地の方々からすごく親切にしていただく機会が多くありました。街には日本車がたくさん走り、家電も日本製が溢れている。それを見て、日本人であることに子どもながらに強い誇りを感じていました。
ですが、その憧れを胸に日本に帰国して目の当たりにしたのは、満員電車で疲弊した表情の大人たちの姿でした。「これが憧れていた日本の現実なのか?」と衝撃を受けてしまって。
学校生活でも、帰国してからは疑問があれば積極的に手を挙げて質問するタイプの私と、周りの受動的な学習姿勢との間にギャップを感じることがありました。自分なりに予習・授業・復習というサイクルを大切にしていましたが、周りではあまりそういう意識が見られなくて…塾に通うことがステータスのように語られる風潮にも、少し違和感を覚えました。
—【岡崎】菅さんは東大出身というご経歴もありますが、幼少期からすでに ご自身の学習スタイルも確立されていたのですね。
—【菅】 特別な方法ではありませんが、当時から自分なりに効率的な学び方を工夫するのは好きでした。小学校の頃からそのスタイルだったので、学業の面では比較的スムーズに進むことができました。
そうした経験からか、単に「与えられた問題を効率よく解く」というタイプのエリート像には、あまり魅力を感じませんでした。同世代の優秀な友人と話していても「70歳になった時、どんな風に生きていたい?」と聞くと、明確なビジョンを持っている人は意外と少なかったんです。
—【岡崎】菅さんご自身は、その当時どのように考えていたのですか?
—【菅】 30代の頃には、「自分のオフィスを持って、そこに孫たちが遊びに来て走り回っている」…そんな情景を漠然と思い描いていました。年齢を重ねても、何かワクワクすることに携わっていたい、と。
結果的に、孫ではなく自分の子どもたちが走り回る形で、想定より早く思い描いていた環境が実現しましたが、特定のゴールというよりは「自分自身が常に満たされた、幸せな状態でいること」を大切にしています。
自分がそういう状態でいることができれば、自然と周りにも良い影響を与えられるのではないかと思っています。少しスピリチュアルに聞こえるかもしれませんが、幸せな人の周りには良いエネルギーが集まり、結果的に世の中のためになるような役割を担うことになる、そんな風に感じています。

組織の壁、個人の限界 – もがき続けた会社員時代
—【岡崎】 新卒で最初に大手メーカーを選ばれたのは、なぜだったのでしょうか。
—【菅】 やはり、海外で感じた日本への誇りと、帰国後に目の当たりにした現実とのギャップが根底にあります。私が入社した2000年前後は、日本の製造業が国際的な競争力を失い始めていた時期で、かつて世界を席巻した日本のメーカーが韓国企業などに追い上げられている状況を見て、強い危機感を覚えました。
日本は、欧米を手本にキャッチアップするのは得意だったけれど、いざトップに立った時に、自ら新しい価値を生み出す力が弱いのではないか。それは、教育システムも含めた社会全体の構造的な課題ではないかと感じたのです。
—【岡崎】 日本の変革を、ものづくりの現場から起こしたいと。
—【菅】 そうですね。「技術立国」としての日本の輝きを取り戻したい。そのために、まずは中枢である大手メーカーに入り、設計開発から事業全体までを見渡せる経験を積みたいと考え、日立グループに入社を決意しました。
—【岡崎】 実際に入社されてみて、いかがでしたか?
—【菅】 大企業という組織の「安定性」と、それが故の「変化への抵抗感」の強さを実感しました。もちろん、真面目に職務を遂行される方は多いのですが、既存の枠組みの中で考えることに慣れてしまっている側面も感じました。
例えば、私がいた半導体検査装置の部門でトラブル対応があった際、技術的な解決はするものの「なぜそれが起きたのか」「どうすれば再発を防げるか」という本質的な議論が深まらない場面がありました。新人ながら「それで良いのだろうか?」と感じたことを覚えています。
—【岡崎】 本質的な価値創造を追求したかったと。
—【菅】 設計者の役割は、単に問題を解決するだけでなく、新しい価値を生み出し、顧客に貢献することだと当時考えていました。そこで会議の効率化など、自分なりに組織を変えようと試みて一定の評価は頂きましたが、当時の本部長から「君の考えは正しいが、周りがついてきていない」と指摘されたんです。
今思えば、当時の私はロジック偏重で、人の感情への配慮が足りなかった。組織を変えたいという想いは強かったのですが、安定を望む空気の中で、個人の力だけでは限界があることを痛感しました。このままでは、自分が望むスピードでの変革は難しいと感じたのです。
—【岡崎】 その後、コンサルティング業界へ移られますね。
—【菅】 組織の内部からではなく、外部の専門家として設計開発部門の変革を支援できないかと考えました。特に、戦略を描くだけでなく、現場での「実行」と、それが組織に根付く「定着」までを重視するコンサルティングに関心がありました。
どんなに優れた戦略も、実行され、定着しなければ意味がないと感じ、電通グループで約8年間、主に大手製造業の設計開発部門を中心に、業務改革や人材育成のコンサルティングに携わりました。
—【岡崎】 実行重視のコンサルティングを実践された中で、新たな課題も見えてきたのでしょうか。
—【菅】 大きく2つの限界を感じました。1つは、やはり「第三者」であるが故の壁です。変革の方向性を示し、実行を支援することはできても、最後の「定着」の段階になると、どうしても外部のコンサルタントが関与し続けるのは難しい。変革を継続させるノウハウがなければ、結局元に戻ってしまうケースも少なくありませんでした。
もう1つは「経営視点」の必要性です。当時、自動車業界の品質問題に関わる中で、経営層と現場の間に大きな認識のギャップがあることを目の当たりにしました。部分的な改善ではなく会社全体の変革を成し遂げるには、経営の立場から全体を俯瞰し、意思決定できる力が必要だと痛感したのです。
…そんなコンサルタント時代の30歳前後の頃に、うつ病も経験しました。
—【岡崎】 なんと、2社目のタイミングでうつ病に…乗り越えるのも相当堪えるものがあったと思います。
—【菅】 当時の私は、周りからも「戦闘民族」と言われるほど、仕事に没頭していました。自分の仕事だけでなく、上司の課題まで抱え込もうとするような、過剰な責任感もありました。完全に自分の許容量を超えていたんです。
ある時、ふと鏡を見たら自分の顔が老人のように見えて、周りの景色が色を失ってグレーに見え始めました。一番衝撃的だったのは、幼い娘が無邪気に「遊ぼう」と寄ってきた時、反射的に突き放してしまいそうになって…その瞬間に自分がどれだけ大切なものを見失っていたかに気づきました。
このままではいけないと心療内科を受診したのですが、処方された薬で一時的に楽にはなったものの根本的な解決にはならないと感じ、自分自身の「思考と感情のマネジメント」の方法を身につけることが必要だと思ったのです。
この経験が、後に「SANOWマップ」というメソッドを生み出す大きなきっかけとなりました。

レールを外れる決断…ベンチャー、そして「主夫」へ。ゼロから生まれた二つの価値
—【岡崎】 うつ病を乗り越え、次なるステージとしてベンチャー企業のSHIFTへ。これは経営経験を積むという目的があったのでしょうか。
—【菅】 はい。コンサルタントとしての限界を感じ「経営の当事者」としての経験を積みたいという思いが強くなっていました。年収が下がることも覚悟の上で、経営に携われる環境を探しました。SHIFTは当時急成長中のベンチャーで、経営陣との相性も良く、チャレンジする機会をいただきました。
—【岡崎】 SHIFTで事業責任者などを経験された後、セミリタイアされていますが、これは計画的だったのでしょうか?
—【菅】 いえ、実は全くの予想外でした。若い頃から資産形成に関心があり、地道に続けていた投資と並行して、SHIFTでいただいたストックオプションが思いがけず大きな価値となり、経済的な自由を得るという状況が訪れたのです。まさに想定外の展開でした。
—【岡崎】 なんと!大きな転機になったわけですね。その時、キャリアについてはどのように考えましたか?
—【菅】 プロ経営者としてキャリアアップする道、自分でスタートアップを立ち上げる道、あるいはメガベンチャーに残る道など、いくつかの選択肢を考えましたが、どの道を選んでもある程度先の展開が予測できてしまって。
想像できない未来に飛び込んでみようと「主夫」になる道を選びました。主夫を選んだ背景には、もう少し真面目な理由も3つほどありました。
—【岡崎】ぜひお聞かせください。
—【菅】一つは、「人生の後悔を先取りして潰す」こと。後になって「もっと家族との時間を大切にすればよかった」などと思わないように。二つ目は、自分の「飽き性」という特性と徹底的に向き合ってみること。安定した環境では見えない、自分の本質が見えるかもしれないと考えました。そして三つ目は、これからの日本社会を見据えた実験です。人生100年時代において、「定年後の人生」は非常に長くなる。多くの人がその現実に直面するのではないか。ならば、自分が先にリタイア後の生活をリアルに体感し、そこから得られる学びや課題を社会に共有することに価値があるのではないか、と考えました。
—【岡崎】 実際に主夫生活を経験されて、いかがでしたか?
—【菅】 もう解放感でいっぱいで、景色が輝いて見えました(笑)。 ですがしばらくすると「社会から必要とされていない」という感覚が、思いのほか自分にとって辛いことだと気づきました。やはり自分は、何かを生み出したり、社会と繋がっていたいのだと。リタイアして数ヶ月後には、新しい活動の模索を始めていました。
オンラインコミュニティなどに参加して、これまで自分が知らなかった多様な価値観を持つ人々と出会えて、自分の世界がいかに狭かったかを痛感しました。様々な学びや出会いを経て、例えば、物事をフラットに見る視点、常識にとらわれない発想力、そしてアイデアを実行に移す推進力が自身の強みであることを再認識することができたのです。
その頃から、知人を中心にアドバイスを求められるようになり、お金ではなく経験やスキルを交換する「物々交換」のような形で支援を始めました。
—【岡崎】 その経験が現在の事業、「SANOWマップ」に繋がっていくのですね。
—【菅】 はい。うつ病克服の過程やコンサルタント時代に培った「思考と感情を見える化する」ための自分にとっては当たり前の、自分なりの工夫が、他の方にとっても価値があるものだと気づかせていただきました。「そのやり方を教えてほしい」という声に応える形で、メソッドとして体系化し、講座として提供し始めたのが「SANOWマップ」です。
—【岡崎】 もう一つの「量子脳Chat」は、また異なる経緯で生まれたのでしょうか?
—【菅】 SANOWマップを使っても、最終的に「自分が何をしたいのか分からない」という方もいらっしゃいました。ちょうどその頃、物々交換を通じて、様々な「占い」のセッションを受ける機会があったんです。
—【岡崎】占いですか?
—【菅】 ええ。最初は半信半疑でしたが、異なる占術でも本質的には共通する指摘があることに興味を持ちました。元エンジニアの性分かもしれませんが「なぜそう言えるのか?」「どういう仕組みなのか?」とそのメカニズムを探求し始めたんです。
「怪しい」で片付けずに、理解しようと努めました。その過程で後に、Linquagesの取締役となるメンバーと意気投合して共同でサービス開発を始めることになりました。
日本人には「空気を読む」という感覚がありますよね。あれは五感だけでは説明できない、非言語的な情報処理プロセスがあるはずです。そのプロセスを、再現性のあるメソッドとして体系化しようと試みたのが「量子脳Chat」の根幹にある技術です。
訓練された「量子脳リーダー」と呼ばれる担当者が、ユーザーの意識にアクセスし、問いに対する本質的な気づきや示唆をチャットでお伝えする、という仕組みです。最初は対面セッションでしたが、より多くの人に価値を届け、日常的に活用してもらうために、チャット形式へと進化させました。

KEYPERSONの素顔に迫る20の質問
Q1.出身地は?
生まれたのは栃木県ですが、転勤族だったので各地を転々としていました。
長く住んだのはフィリピンのマニラと、日本では千葉県です。なので、千葉出身ということになるでしょうか。
Q2.趣味は?
「発見」です。人の変化を発見すること、新しいことを試して何かを発見すること。常にアクションしていたいです。あとは最近はポイ活やマイルの勉強が楽しいです。
Q3.特技は?
ゼロベースで考えること、作り上げること、そして常識の枠を外れること、でしょうか。
Q4.カラオケの十八番は?
最近はあまり行かないですが…昔はX JAPANの「紅」とか。家族が嵐やSixTONESが好きなので、たまに歌います。
Q5.よく見るYouTubeは?
組織における世代間ギャップの問題に関する解説動画や、量子論の最新の研究結果を紹介する動画などです。自分の事業に関連する情報はインプットするようにしています。
Q6.座右の銘は?
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「我以外皆我師」です。20歳くらいの頃から意識しています。子供にも諭されることがありますよ(笑)。
Q7.幸せを感じる瞬間は?
サウナなどで、完全に一人になってゼロになる時間です。あとは、自分の好き放題できる時間。これが一番幸せかもしれません。
Q8.今の仕事以外を選ぶとしたら?
今の仕事が天職だと思っているので、考えられないです。
Q9.好きな漫画は?
『キングダム』は読んでいます。あとは子供と一緒に『ハイキュー!!』を見たりします。
Q10.好きなミュージシャンは?
特定の誰か、というのは今はいないです。昔はX JAPANとか聴いていましたが、好きな曲をプレイリストにして聴く感じです。
Q11.今一番会いたい人は?
特定の個人はいませんが、アインシュタインや電気を発明した人、量子論を発見した人など、物理の教科書に載るような歴史的な発見をした人に会ってみたいです。彼らが、当時は異端視されながらも、なぜ強い心を持って研究を続けられたのか、その源泉を知りたいです。
あとは世界一貧しい大統領とも言われたホセ・ムヒカさん。その精神性をどうすれば再現できるのか、お話を伺ってみたいです。
Q12.どんな人と一緒に仕事をしたいですか?
自己変革し続けられる人、自分の頭で考え続けられる人、依存しない人です。
Q13.社会人になって一番心に残っている言葉は?
日立時代の本部長に言われた「君は頭は良いが、人がついてこない」。
そしてコンサル時代の先輩から言われた「その人の考えは、その人の前提に立てば全て正しい」という言葉です。どちらも、今の自分の考え方に大きな影響を与えています。
Q14.休日の過ごし方は?
実は休日という感覚があまりないんです(笑)。一人で過ごす時間も好きですし、妻や子供たちが行きたいところに一緒に行くこともあります。
Q15.日本以外で好きな国は?
住んでいたフィリピンやシンガポールも懐かしいですが「好きか」と聞かれると、また違うかもしれません。やはり日本が一番快適です。特定の国に憧れるということはないです。
Q16.仕事の中で一番燃える瞬間は?
ひらめきが形になりそうな瞬間、アイデアが降りてきた瞬間です。無心になって形にして、「できた!」となった時。
Q17.息抜き方法は?
サウナかジョギングです。
Q18.好きなサービスやアプリは?
投資関連のアプリや、マネーフォワードはよく見ます。お金の変動を見るのが好きなので(笑)。Facebookも、最近はコミュニケーションツールとして活用しています。
Q19.学んでいることや学んでみたいことは?
やはり量子論です。科学的な側面も、哲学的な側面も含めて。あとは、心理学、化学、物理学、古典、歴史など、あらゆる学問を統合して、物事のメカニズムを理解したいという探求心があります。
Q20.最後に一言
それぞれの世代に埋め込まれた“常識”を乗り越えていくのが全ての変革の起点だと思っています。ぜひ私たちのサービスを使って自分の中に潜在的に潜んでいる常識や価値観に向き合い、考え方や捉え方、感情の動き方を俯瞰してみませんか?

経営と個人の変革ツール「SANOWマップ」「量子脳Chat」
—【岡崎】「SANOWマップ」「量子脳Chat」の二つのサービスの価値を改めて教えていただけますか。
—【菅】 まず「SANOWマップ」ですが、これは思考と感情をリアルタイムに、そして構造的に「見える化」する実践的なメソッドです。誰でも取り組みやすいように、フレームワークと記録法が体系化されている点です。
例えば有名なビジネス書を読んでも、じゃあ具体的にどうすれば? となりがちな部分を、具体的なステップに落とし込んでいます。「実行」と「定着」を促し、最終的にはご自身で考え、動き出せるようになる「自走力」を育むことを目指しています。1on1やヒアリング、会議、新規事業立案など、様々な場面で応用できる汎用性も特徴です。
—【岡崎】 ご自身が課題と感じていた「実行と定着」を形にしたツールなのですね。 もう一つの「量子脳Chat」についてはいかがでしょうか。
—【菅】 こちらは、言葉や論理だけではアクセスしきれない、個人の「意識」の領域にアプローチし、悩みや課題に対する本質的な気づきを得るためのチャットサービスです。訓練された「量子脳リーダー」が、そのプロセスをサポートします。
いつでもどこでも相談できる利便性に加え、やり取りが文字で残るため、後から振り返り、内省を深めやすい点が大きいです。これが、気づきを一過性のもので終わらせず、「習慣化」する助けになります。また、人間の意識という、AIには真似できない領域にアプローチできる点が、このサービスの独自性だと考えています。
—【岡崎】 利用者にはどのような価値を提供できますか?
—【菅】 経営者の方からは、意思決定のスピードと質が向上し、結果的に大きな事業インパクトに繋がったというお声もいただいています。単に「答え」を示すのではなく、対話を通じてご自身の内面にある答えに気づくプロセスを重視しています。そのため、サービスに依存するのではなく、自己変革力が向上していくことを目指しています。例えば、人間関係の悩みなど、通常のコンサルティングでは扱いにくいテーマに対しても、本質的な視点を提供できる可能性があります。
—【岡崎】 両サービスに共通して「プロセス」や「自分で考える力」を重視されているように感じます。
—【菅】 まさに、そこが最も重要だと考えています。世の中には、「正解」や「簡単な答え」を求める傾向が強いように感じますが、それでは根本的な成長には繋がりません。大切なのは、「なぜそう言えるのか?」「自分はどう考えるか?」と、常に問い続け、自分自身で思考を深めていくプロセスそのものです。私たちのサービスは、そのプロセスを歩むための伴走者でありたいと考えています。
—【岡崎】 サービスを通じて、利用者の方にはどのような変化が起きていますか?
—【菅】 経営者の方々からは、ご自身の内面的な変化に関するお話をよく伺います。例えば、問題が起きた際に他者のせいにしがちだった方が、自分自身の課題として捉えられるようになった、といったケースです。これは、ご本人のストレス軽減はもちろん、組織全体のコミュニケーション改善にも繋がります。
結果として、仕事もプライベートも、より充実感を持って過ごせるようになったという声を聞くとこの事業の意義を改めて感じます。
—【岡崎】 量子脳Chatでは、「中の人(量子脳リーダー)」の育成にも注力されていますね。
—【菅】 はい。現在、様々なバックグラウンドを持つ方々が量子脳リーダーとして活躍してくれています。主婦の方、現役の看護師、会社員の方など、多様な人材が集まっていることが、サービスの質の向上にも繋がっています。
私は、一つの仕事に縛られるのではなく、複数の役割を持つ「幸せな複業(マルチキャリア)」が、これからの時代の豊かさに繋がると考えています。量子脳リーダーの方々には、量子脳Chatで培ったスキルをご自身の本業や他の活動にも活かしてほしい。そうすることで、様々な業界やコミュニティに新しい視点がもたらされて、小さなイノベーションが生まれていく。そんな、ポジティブな波及効果を生み出すエコシステムを築いていきたいと考えています。

メイドインジャパンで世界へ – 日本の価値を輸出する
—【岡崎】 今後の事業展開について、どのようなビジョンをお持ちですか?
—【菅】 まずは、SANOWマップ、量子脳Chatともに、企業への導入を本格化させていきたいと考えています。個人の変革だけでなく、組織全体の変革を支援する仕組みを構築していくことが目標です。そして、将来的には「海外展開」も視野に入れています。
特に量子脳Chatの根底にある「意識を読む」というアプローチは、日本人が古来持っている「空気を読む」といった繊細な感性を、現代的な技術として昇華させたものだと捉えています。これは世界に通用する、メイドインジャパンのユニークな価値だと信じています。これを海外に展開し、正当な評価を得ることで、日本のサービス産業全体の地位向上や、国内人材への還元にも繋げていき、日本独自の価値を世界に発信していく。それが、私が抱き続けている日本の未来への想いです。
—【岡崎】 菅さんが思い描く、日本の理想の姿とは何でしょうか。
—【菅】 「安定して進化し続ける」国であってほしいと思っています。変化を止めることが安定なのではなく、柔軟に変化し続けることこそが、真の安定に繋がるのではないでしょうか。
一人ひとりが旧来の常識にとらわれず、自分自身の内面と向き合い、幸せを追求しながら、少しずつでも変化していく。そうした個人の集合体としての日本が、世界の中で独自の輝きを放つ未来を信じています。

—【岡崎】 最後に、この記事を読んでいるビジネスパーソンの皆様へメッセージをお願いします。
—【菅】 皆さんの中に、無意識のうちに根付いている「当たり前」や「常識」は、本当にご自身のものでしょうか?ぜひ 一度立ち止まって、ご自身の内側から湧き出る声に耳を澄ませて頂きたいです。
誰かに与えられた価値観ではなく、あなた自身が本当に望む生き方、本当の幸せとは何か。それを見つけて追求するプロセスそのものが、きっと人生を豊かにし、周りの世界を変える力になるはずです。「SANOWマップ」や「量子脳Chat」が、その旅路の一助となれたら嬉しいです。
【クレジット】
取材・構成・ライティング/岡崎美玖 撮影/原哲也 企画/大芝義信
Company
株式会社メトリア / 株式会社Linquages
コンサルティング事業
概要欄
超思考伴走プログラム
https://www.sugajin.com/
量子脳チャット(チャネリくん®︎)
https://chanerikun.jp/
思考感情整理術(SANOWマップ)
https://www.sanowmap.com/
「思考の枠」を壊し続け、意識を読む新境地へ。異色のキャリアを歩む菅仁が描く、日本発イノベーションの未来図