“正解の先を求めるデザイン”を
テラスハウス卒業後の半田悠人が語る

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氏名 半田悠人
肩書 デリシャスカンパニー代表 テラスハウス元メンバー
略歴 幼少のころに見た大工さんに憧れ、挫折と紆余曲折を経た後、建築の道へ進む。テレビ局勤めになった親友に口説かれ『テラスハウス: Boys & Girls in the City』に参加し、現在も建築家として数々のプロジェクトを手がける。

気鋭の建築家として活躍する半田悠人(はんだ ゆうと)さん。彼は起業家であり、デザイナーであり、リアリティー番組『テラスハウス: Boys & Girls in the City』のメンバーでもあります。番組で見せた洗練された立ちふるまいから“ミスター・パーフェクト”と呼ばれることもある半田さんですが、実はたくさんの挫折を経験してきたそうです。今回はそんな彼のリアルな姿に迫るべく事務所におうかがいしてじっくりとお話を聞いてきました—【前編】。

—【聞き手:楯雅平、以下:楯】本日はよろしくお願いいたします。今日は全方位で半田さんに迫るということを目指して子供時代から学生時代、もちろん『テラスハウス』についてもですが、それ以外の建築のお仕事についても、たくさんお話しいただければと思います。

【話し手:半田悠人(敬称略)、以下:半田】わかりました、よろしくお願いします。

<幼稚園児が憧れたのは大工さん>

—【楯】まずは子供時代のことについておうかがいします。かなり早くから建築に興味を持たれていたそうですが……?

【半田】はい、幼稚園の頃からですね。当時、通うことになった幼稚園がまだできたばかりで、僕はそこの1期生でした。入園したときに庭園の置物がまだ完成しておらず、大工さんの手伝いをするという体験をしました。まだ、半分準備期間のような状態だったこともあって園児5人に対して先生が8人もいるという環境でしたね。それで、3歳なのにノコギリを持たせてもらえて、木を切らせてもらったりしていました。そんな中で、子供心に「大工さんってかっこいい」と思っていたのです。周囲には「大人になったら大工さんになりたい」と言っていましたし、それが建築という道に進むきっかけになっています。

—【楯】素敵な幼稚園ですね。ご家庭の教育方針も自由だったのですか?

そうですね。家庭はとても自由で「勉強しろ」と口うるさく言われたりはしませんでした。逆に「好きなことをなんでもやっていいよ」という感じでした。同時に「人としての正しさ」という事には対しては強い信念を持った親で、そこからたくさん学ばされたことがあります。背中でみせる、というか行動で教えるというか……知らないうちに教育をされていたのだな、と思います。父が人と人との関係性を大切にしていたので、僕もそれに影響を受けました。父は騙されても恨みはしなかったですし、いつも人のために行動をしている人なのでとても尊敬しています。

—【楯】そうだったのですで。では、青年時代は優等生タイプだったのですか?

【半田】中学の勉強は高校と比べるとかんたんじゃないですか。それで、調子に乗っていた部分がはあったかもしれません。でも、その一方で、幼稚園のときに大工さんに憧れてから中学生になるくらいまで『LEGO』でずっと遊んでいました。お小遣いのほとんどを『LEGO』に使っていて、一人遊びばかりしていました。

その後は湘南高校に入りました。当時、県立では一番の優秀な高校だったので、入学して周りの頭の良さにビックリしましたね。大学の志望校は東京大学の建築と、東京藝術大学の建築、2つを目指していました。でも、高校が楽しすぎて道を逸れまして(苦笑)……結果、一番ラクといわれていた私立文系コースにしか進めませんでした。本を読むのも好きだったので、もともと哲学か建築かで迷っていて、哲学へ進むことにしたんだと自分に言い聞かせていました。それで、ギリギリ早稲田だけ受かって入学しました。受験勉強は高校3年の10月から始めたので、本当にまぐれというか、ラッキーだったとおもっています(笑)。

<世界史の歌>

ちなみに、僕の勉強法はちょっと変わっていまして、暗記物を歌で覚えていたんです。その頃はバンドをやっていて、歌だと英語の歌詞が覚えられたのですよね。それで「歌にすれば何でも覚えられるんじゃなか?」と思いまして。そこから、受験用に100曲くらいつくりました。例えば、世界史で覚えなければならない年号や時系列を歌詞にしてメロディーをつけていました。「東南アジア史の歌」とかをつくって、それをずっとギターを弾きながら歌っていました(笑)。

歌をつくる前、高校3年の10月でセンター模試を始めて受けた時に世界史は5点と悲惨だったのですが、世界史の歌を作って歌い、録音して1.5倍速で聞き続けていたら満点がとれました。

—【楯】ちょっと、いま歌っていただけますか?

いやー、それはカンベンしてください。自分のためだけに作曲したモノですし、シモネタ満載なのでヤバいです(笑)。。

—【楯】わかりました(笑)。ちなみに、当時はどんな音楽を聴いていましたか?

銀杏BOYZやゆらゆら帝国が好きでした。あと、世代ではありませんがNirvana(ニルヴァーナ)とかGOING STEADY(ゴーイング・ステディ)のファンでしたね。あと、The Ordinary Boysが来日したときに、友達みんなでチケットを買って行こうとしたのですが、チケットを買った友達が券を全部無くして、みんなライブに行けなかったという思い出もあります(笑)。

ちなみに、ファッションはすごく細い眉毛で、太いズボンを履いている感じですね。しかも、ずっと金髪でした(笑)。

<ダメだとわかっていても、がんばれなかった>

—【楯】半田さんは人生で壁を感じたことはありましたか?

【半田】子供のころから挫折はたくさん感じていました。小学校は6年間サッカーをやっていたのですが、一向にうまくならず、ずっとベンチでした。親からも「やめたら?」と言われるくらい下手でした。でも、努力もしなかったのですよね。がんばれない自分に対して悔しい思いをしていたのですが……その思いを言葉にする力もなく、チームメイトが試合をしている中でベンチで砂を盛って蟻の巣を作って遊んでいました。野生児だったので、試合中にすぐ川へ魚をとりに行ったりとかもして(笑)。大人にダメだよと言われてもなおせない、自分でもダメだとわかっていてもがんばれない、そのこと対してつらく感じていました。これが少年時代に感じた挫折のひとつですね。

学生時代の挫折は芸大に行きたいと思っていたのに、挑戦をしなかったことですね。昔の自分は周囲に流されてしまうところがあり、妥協してしまう面があって……これもある種の挫折経験です。

—【楯】大学へ入られてからのエピソードをお願いします。

【半田】僕は典型的な根暗で、大学2年終わるまで友だちがほとんどいませんでした。サークルには入らず、学校の外でバンド活動をしていました。あとは、とにかくアルバイトをしまくっていました。どれも勉強になりましたが、高田馬場駅前の焼肉屋でのアルバイトはなかなか思い出深いです。人生を知れたというか、思い出がたくさんあります。お店には今でも客として行きますよ。

あとは、警備員のアルバイトを5年間していました。ここでは何もしないことのつらさを知りました。勤務地が皇居のすぐ近くだったので治安は日本で1番良い場所だと思います。だから警備員といっても、ただ立っているだけですよ。まぁ、でもこれは本当の意味での考える時間になったので良かったのかな(笑)。自然が豊かな場所でもあったので小鳥のさえずりをききながら思索にふける……今で言うマインドフルネスだったのかも(爆笑)。

その他の生活では、遊ばず、飲まずで彼女もずっと居ませんでした。みんなが遊んでいるなかで、図書館で本を読んでいるのがカッコいい、みたいな斜に構えたヤツだったのです。でも、早稲田に入った時から「やっぱり芸大を受けよう」と思って準備しながら、並行して大学に通っていました。4年生が終わった時に受験をして……でも、芸大には落ちるという(苦笑)。かなりショックでしたね。3月11日の東日本大震災がって、その2日後に合格発表、というか僕にとっての不合格発表がありました。本当にどうしようかと思って、途方にくれました。何ももたないフリーターになったのですよ。いまはその1年があってよかったなと思いますが、当時は本当につらかったですね。

この頃は自分の力にまったく自信が持てませんでした。早稲田受験もそうですが、実力だとは思っていないのですね。小中高とリーダーになることが多く、部長とか生徒会長とか全部やらされてきましたが自分の実力と持ったことはありませんでした。それを変えたくて、芸大に落ちて、一浪して何ももたないフリーターとしてやりながら、絵を描きまくって、誰よりもうまいと言われ「お前は絶対に受かる」と周りに言ってもらえるようになるまでがんばりました。

<他人とちがっていたい>

—【楯】リスキーな道を進もうと思えた理由、踏ん張れた原動力は何だったのでしょうが?

【半田】これはアーティスト全般に言えることだと思いますが“カッコつけ”です。正直にいってしまえばそれだと思います。人とちがう自分が好きなのです。それを認められない人はダメだと思いますよ。僕は人とちがっていたい、という思いが昔からありました。子供のころからそれが顕著で、友だちが同じものを買っただけで「もう持ちたくない。捨てたい。僕が見つけたものだったのに!」という感じでした。誰しもこういう感覚があると思いますが、そういう思いが極端に強い人が、リスキーな道へいくと思います。芸能の方向へ行く人もいれば、ものづくりへ向かう人といろいろですが……僕の場合は建築でした。人とちがうことをする、大勢の人とはちがう方向に進むというのは時につらくもありますが、僕はこれで充実感が得られます。

—【楯】芸大時代はいかがでしたか?

【半田】僕は友だちにも恵まれて、これまで楽しくやってきたので、制作に集中しようと思っていたのですが……そういうわけにもいきませんでした。大学2年になって、大学の文化祭『藝祭』の委員長をやることになりました。立候補をしたわけではないのですが、周りからすごく頼まれて担当しました。大変でしたが、大成功を収めましたね。初めて企業協賛を大学に認めさせて、スポンサー費をいろいろな会社からいただきました。上野公園をオリンピック誘致のための文化事業という名目でタダで借りて、特設ステージも立ててU-zhaan(ユザーン)などのアーティストを呼んだり、野外オーケストラを企画したり、ほんとうにいろいろやらせていただきました。上野公園は東京都の管轄なので、そのご縁で東京都が関係する仕事をさせてもらったりもして、就職しなくていいやとなって、今に至るという感じです。

<半田悠人「テラスハウスの半さん」を語る>

—【楯】テラスハウスに参加したのは、どのような経緯だったのですか?

【半田】出たらいろいろ批判されることは分かっていましたし、相当な覚悟が必要でした。周りの人間の9割以上から止められました。僕自身もこういう番組に出ることに対してはなんの自信もありませんでした……「俺だったらこの番組の見方を変えられる」とか、まったく思えませんでした。ただ、友だちの勧めもあったので、出演することに決めました。

—【楯】自分が世間に知られる存在になるわけですが、それはある一面だけです。これってなんか変な気分になりませんか?

【半田】一言ではうまく言えませんが、情報の非対称性は感じます。こんな特徴のない顔を街中で見て気付いてくれる。それはとてもありがたいことだと思い、できるだけの対応をします。ただ、たまに「あ、テラスハウスじゃねぇ?」と言われるのはイヤです(笑)。僕はテラスハウスに出ていただけで、テラスハウスじゃないです(爆笑)。それでも知ってくれているのは嬉しいですけどね。でも、電車で座っていたら向かいの女性2人が「あれ、絶対そうだよ」と携帯で検索しはじめて……周りのお客さんも「え?誰?なんの人!?」みたいになると、恥ずかしくて次の駅で降りるしかない(笑)。逆に話しかけてくれた方がいいです(笑)。

実は番組の影響があまり建築の仕事に繋がることもなく、都合の良いお仕事の話はありません。番組に出ていたというだけで、仕事を頼まれたりはしないのですが「あいつ、テレビに出たから仕事取ってるんだよ」などと言われるのは悔しいなと思った時期もありました。でも、最近はなんとも思わなくなりました。あと……完璧だとか、パーフェクトだとか言われることに悩んだ時期もありましたが、今は通りすぎました。もう、あきらめています。

でも、番組に参加してよかったと思えたのは「一面だけを見られて、賛否両論を言われる」という経験をさせていただけたことです。今まで僕は褒められたことが多くて、面と向かって批判されたのはそう多くはありませんでした。でも、名が知れたアーティストの方って、みんな賛否両論あるじゃないですか?良いも、悪いもいろいろ言われる存在ですよね。僕はテラスハウスのおかげて、そういった方々の気持ちがちょっと味わえたと思うんですよ。多くの人から批判されたりは初めてだったのですが、「あぁ、これか!」と思って、なんだか嬉しい気持ちになりました(笑)。賛否両論の世界に入ってこそ、何かが始まると今も思っています。

—【楯】批判とはどのように向き合ってこられましたか?

【半田】頂いたメッセージなどにはできるだけ目を通すようにしています。だた、こんなことを言うと申し訳ないのですが、どちらの意見もすべて受け取ってはいないです。テラスハウスに出ていた自分を自分だと思っていないので、第三者的に「半さん、こういう意見がきてるよ」という感じです。別人格というか。「確かにあれだけ映っていたらそう言われるよな、半さん」と。当時も、いまも「半さん」のことは客観的に見ています。今日のインタビューもそうですし、テラスハウスがきっかけでお会いできる方が増えることは光栄なのですが、いまは「テラスハウスの印象と全然ちがったよ」と言ってもらえるように頑張っています。





<TKP 10 Q’s feat.半田悠人>


—【楯】さて、ここで少し流れを変えて「10問10答」をさせてください。私が質問を投げますので、考えずに、正直に、スグに、答えてくださいね。答えやすい質問の中に、ちょっとだけ答えづらい質問が混ざってるかもしれませんよ(笑)。

【半田】いいですね(笑)。わかりました。

—【楯】それでは行きます!

Q. コーヒ派ですか? 紅茶派ですか?

A. コーヒーです。

Q. 現実派? 夢見がち?

A. 夢見がち(笑)。

Q. パン派ですか? ライス派ですか?

A. パン派です。

Q. 都会が好きですか? 田舎が好きですか?

A. うーん……(一瞬悩んで)、田舎です。

Q. テレビ派ですか、本派ですか?

A. 本派ですね。

Q. 時間が欲しいですか? お金が欲しいですか?

A. 時間。

Q. 好きな食べものは最初に食べる? 最後に食べる?

A. 最初に食べます。

Q. 自分のことは好き? 嫌い?

A. 好きです。

Q. 犬派? 猫派?

A. 猫派です。

Q. 頭脳派ですか? 肉体派ですか?

A. 頭脳派です。

【半田】いやー、これなかなか怖いですね(笑)

—【楯】この “10Qs(テンクエスチョンズ)” は私たち『ザ・キーパーソン』のインタビューでは初の試みだったのですけれど、楽しいですね(笑)。ありがとうございました。





<自撮りは無理(笑)>

—【楯】さて、最近の情報発信についておうかがいします。いまはInstagram(インスタグラム)が中心ですか?

【半田】はい、まぁ……。あまりやっていないので「がんばってます!」というのは失礼になりますね。よく「もっと写真を上げてください」というコメントを頂きますし(苦笑)。ただ、いまアカウントを持っているのはInstagramだけなので「メインはインスタ」と言っても間違いではありません。

—【楯】ご自身が直接、たくさんの人にリーチできる状況は現代的ですし、誰もができることではないと思うのですが、それについてはどのように感じられていますか?

【半田】個人が雑誌を超える発信力を持った時代がとても面白いと思っています。一方で自己顕示欲が強く出すぎていやしないか、というのは心配しています。僕は撮った写真をなかなかInstagramに上げられなくて、周りに言われた時だけ撮ってもらって上げるという感じになってしまっていますね。

僕は、僕個人の主張なんていらないと思っておりお会いした時にお話しさせていただければと考えていたので、昔からSNSをやっていなかったのです。テラスハウスに入った時に「インスタは持ったほうが良いよ」と強く勧められて始めましたが……。あと、「絶対やめないほうがいい」とみんな言うので……実はずっとやめたいのですが……いまもたまに写真を投稿しています。まぁ、もう少し時代に合った考え方にならなければいけないかな、とも思いますけどね。自分が正しいとは思ってないですし、もっと気軽に写真を上げてもいいツールなのかな。

あと、「もっと半さんの顔を写して」と言われますが……「自撮りをしろということですか!?」って、「そんなの無理ですっ」てなりますね(笑)。時代遅れなので、成長しないといけないですかね。でも、実は僕みたいな人はきっと多くて、そういう人を救ってくれるサービスが何かが世に出てきてくれたらいいなって、思っています。

<インスピレーションの源>

—【楯】アウトプットではなくインプットの側はいかがでしょう?インスピレーションの源や情報収集をする場所は?

【半田】日常のすべてがインプットだと思います。ヘミングウェイの「何を見ても何かを思いだす」という小説のタイトルがすごく好きです。それって当たり前だろというツッコミはありますが(笑)。あの時の繋がりがあったなとか、昔の思い出が強すぎて、なにを見ても繋がってしまうとか……そういう意味で「何を見ても何かを思いだす」という言葉がとても好きです。だから何を見ても、他のことへつながらないか、と常に考えています。

あと、何かひらめきが欲しいけれど、何も浮かばないという時はなるべく大きいホームセンターへ行きます。そうしてお店を見て回っていると、絶対になにか思いつきます。一番好きなのはジョイフル本田ですね。実は事務所の近くにホームセンターがたくさんあるので、東京の東のエリアを拠点にしています。車の移動の5分圏内にホームセンターが4つあるので、使い分けていますよ。ホームセンターって特色がないと思いませんか?でも、実際は提携している卸会社が違ったりして「ここに売っているのに、あっちには売っていない」という特色があるのです。木材の仕入れ方が違ったり、個性があるんですよ。

—【楯】どうやってホームセンターを“使い分け”してるんですか?

電気部材ならDOIT(ドイト)の品揃えが良いです。変わった木材を、材木店に頼む時間がなくてスグ買いたい時はロイヤルホームセンターに行きます。あと、トラックを2時間無料で貸し出してくれるので、これがすごく便利です。プロユースのアイテムが欲しいときはコーナンに行きます。例えばコンクリートパネル、フレキシブルボードなどの品揃えがいいので、特殊なものを買いたいときはコーナンです。豊洲にあるスーパービバホームも楽しいです。あそこは最強ですべて揃っているんですが、塗料だけが弱いかな(笑)。

ちなみに、ホームセンターで買えない素材が欲しいときは、各会社のカタログとか、ブランド別のカタログがあるのでそれを読んで取り寄せています。金物屋さんと付き合いもあるので、作ってもらったりもします。この2つの手法の組み合わせで必要なものはだいたい揃います

—【楯】へー、それは知りませんでした。プロとしての顔とマニアの顔が両方見れた気がしておもしろいです。本当にお好きなのですね。

<建築家としての仕事>

さて、建築デザイナー半田さんとしての、現在のお仕事について教えてください。

【半田】個人の仕事とチームの仕事を分けていて、『maison 1/1(メゾン・イチブンノイチ)』は半田個人の仕事です。それとは別にアーティストグループの『DELICIOUS COMPANY(デリシャスカンパニー)』という法人があって、建築関係やデザイン関連のお仕事はすべてこちらでやらせていただいています。

【半田】直近の話だと、新宿で2つプロジェクトがありまして、ちょうどいまそれが終わったところです。

1つが『Book Tea Bed(ブッティーベッド)』という泊まれる本屋さんです。その新宿店を全部やらせていただきました。これは4月20日にオープン予定です。あと、疲労回復ジムZEROGYM(ゼロジム)2店舗目が新宿センタービルに完成したところです。

—【楯】そのような建築のお仕事をされるときは、どういうプロセスでデザインを決めていくのですか?

お店の場合は機能性です。なので、ひたすらヒアリングして、それを元に形におこします。建築って半分以上がカウンセリングだと思ってるのですよね。イメージというのはみんな抽象的で、これまで見てきた複合的な感覚なのですよ。「オシャレな感じで」と顧客から言わて、床の色を白にするか黒にするか悩んだ結果、改めて確認すると「床は黒でも白でも良いです」みたいなパターンがあります。でも、僕は1つに決めなければならないので、徹底的に聞きます。あやふやだった場合は「僕が最善だと思うものに決めてもいいですか?」と確認して、納得していただいてから3DCGやイラストなどを作ります。

こうして3Dにすると、ようやく具体性が出てきます。それで、色を変えて欲しいなど細かいことを言われるようになって、修正が出てきます。「こちらをこの色にするなら、あっちはあの色にするといいですよ」などと提案して、なるべく修正回数は減らしていますね。そんな感じで僕は徹底的に聞いて、話して、決めていきます。

決める理由をいつも作ってあげるようにしていますが「流行だから」という言葉は絶対に使わないようにしています。決める理由は、僕の場合は名前ですね。これは建築・アート業界であまりやってはいけないと言われていることで、「観念的なデザインは良くない」と教わります。

例えはあまりよくないかもしれませんが、よい空間と言われたときの定義というのはたくさんあって「かわいいアイドルがいる空間」を男の人が「めっちゃよい空間!」と言うかもしれませんが「建築的にはよい」訳ないじゃないですか。あとは、仮に「そこへ行けば10万円もらえます」という場所があれば、それって「良い空間」かもしれないですよね?でも、やはりこれも、建築的な意味やデザイン的な意味で空間性が良い訳わけではありません。

もちろん、僕がデザインした空間にアイドルに来てもらったり、お金をあげるわけではありませんよ。でも、デザインだけでない部分で好きになってもらうことは“あり”だと思うんです。気にいることで空間ってよく見えるのです。だからダジャレだったり、名付けだったりで、そのデザインや空間を愛してもらう、そういう工夫をして訪れた人やクライアントと共犯関係をつくるんですよ。

建築的な話で言うと難しいのですけれど、例えば、このライトを『かき揚げ』と名付けました。

プレゼンの時に「かき揚げを作るようにいろいろな材料でつくりましょう」と提案して、その場のノリでみんなでつくったライトです。直径が3メートルくらいある大きなもので、テクニカルな物ではありませんが、みんなが“かき揚げ”といって愛してくれました。こういうのってすごくいいなと思います。

あと、僕は網を必ず使うという自分のルールがあります。今回のBook Tea Bedのビルの外側にもネットを張りました。それで、その骨組みを漢字の「本」という形にしました。でも「本という漢字になっているからいいのです!」という推し方はしません。

網を張る良さを説明したあとに「実は本になっています」と言ってウケてもらい「意味性があるから好きだよ」と思ってもらう。そういった感じですね。僕はこんな感じで「デザイン関係ないじゃん!」ということをあえてやることが多いですね。

<正解の先を見たい>

—【楯】いまの建築とかデザインに対する問題意識はありますか?

【半田】いまはデザインのカラールールが流行り過ぎていますね。誰が作っても同じようになってしまいます。正直これは先生批判になりますが、どの先生が作っても同じようなインテリアになってしまっているので、これには問題を感じています。とてもオシャレだとは思いますよ。でもオシャレだと思う気持ちも流行ですからね。時代ってそういう大きな力を持っているのですよ。戦争とか、宗教の歴史とか、哲学の歴史もすべてそうです。いま、これがよいと思わせるにはSoup Stock Tokyo(スープストックトーキョー)みたいなデザインが有利です。白黒、木みたいなものは絶対みんな受け入れる。流行りだからです。でも、僕はやりません(笑)。

建築業界は古い体質です。いまだに先生が強いです。90代でもバリバリやっちゃうので、正直「もう引退してよ~」とか思っちゃいます(笑)。教授クラスの50代の人でも「まだ上がいっぱいいるからなぁ」と言っているくらいです。僕は30歳になりましたけど、まだまだ若手の中の若手です。上の人たちがまだまだ時代の最先端のものを作ってしまうので、それが正解と思っている人が多いのかなぁ。でも、僕はその先を探し続けたいです。

ちなみに、ZEROGYMは色を使ってはいけないというルールだったので、カラー面でのインパクトはないかもしれませんが、棚を複雑に作らさせてもらいました。網を3重に組んで、棒が挟まっているだけで浮いている、という構造です。

そこにライトを仕込んで光るようにして、棚板を自由に突っ込み、抜き差しができるようにして構造的に遊ばせてもらったという感じですね。このように、誰もやったたことがないことをやる。極論で言うと、他と違っていればよいと僕は思っています。

僕たちの良いところは、自信があるわけではないし、こんなこと言っておいてオシャレなのはすごく好きなのですよね(笑)。僕らにできないからこそ受け入れて、流行りは常におさえてはいます。最近はピンクと緑が流行っていますね。淡いピンクと淡い緑を混ぜるのがアメリカの西海岸でも人気で、いくつか見に行きました。これはインスタ映えしますし、“映える“ということは拡散されるから、その雰囲気がドンドン浸透して強くなります。もう少ししたら、流行りはモノトーンではなくなってきますよ。

<首都高を封鎖>

—【楯】建築家、経営者としての半田さんの今後の野望は?

【半田】常にルールを超えたいと思っています。10年間に1回、ギリギリのことをしたいですね。今の社会でルールを減らしていくことってできないじゃないですか。世の中ルールが無くなることってなかなかなくて、どんどん規制が強化されています。建築業界もご多分に漏れずです。

そういう、何かを超えていくデザインの話で言うと、実は去年の夏に『Tokyo Tokyo FESTIVAL』というオリンピックの文化事業としてのアートコンペがあって、その最終専攻まで残った企画があります。この企画では首都高の1部分を封鎖しようとしていました。

首都高にトラックをたくさん運び、停留させておいて、荷台をナイトプールにしてギャルを呼ぶ(笑)。首都高じゃなければできるかもしれないですが、首都高じゃないと僕たちの作ったストーリーにはなりません。かつてのオリンピックのために急造で作られたのが首都高で、レガシーとして今に残っているものなので、それを使うことに意味があるのです。

オリンピックが来たから通行止めになっても仕方ないと思ってもらえるのなら、アートイベントもいっしょにやっちゃおうと思って、提案しました。渋谷などでは無理ですが、上野線の終わりで、一般道に合流してしまうところがあるので出口を手前にずらすだけの話でしたが、ダメでしたね。これもある種ルールを超えた企画でおもしろかったと思うんですが、必要な金額が高すぎたそうで……落とされましたね。名だたる審査員の方々からいろいろと質問責めにされました(笑)。でも、考えていたときはとても楽しかったです。

—【楯】では、最後に私たちインタビューメディア『ザ・キーパーソン』恒例の質問です。会社やコミュニティにポジティブなインパクトを与える存在「キーパーソン」になることを目指す人にアドバイスやメッセージがあれば、お願いします。

【半田】僕は教わる立場なので、なにも言えません(笑)。ひとつメッセージがあるとすれば……「情報力無いヤツは終わりだ」みたいなのはやめませんか?って言いたいです。トレンドやホットワードをおさえるのではなく、自分が気になっていることを掘り下げた方が良いと思いますね。なんか、いろいろなことが浅く広くなりすぎているような気がしていて……その先を知らない人が多いじゃないですか。そうなるとお互いを補完しあえない。僕なら建築についてはいろいろ深い知見がありますが、経済については知りません。だから、そっちに詳しい人と話して教えていただきたいし、教えられることは教えたい。そうやって「何かを知らない相手」をさげすむのではなく、補完しあえる関係になれたら素敵ですよ。

—【楯】わかりました。本日はたくさんお話しをしていただき、ありがとうございました。

【半田】こちらこそ、ありがとうございました。

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企業 株式会社デリシャスカンパニー
所在 東京都荒川区
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