迷ったときは天秤にかけて判断をする。SNSで炎上を恐れない為国辰弥が、直言での発信をする理由とは

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氏名 為国辰弥
肩書 ウィングス株式会社 代表取締役
略歴 株式会社マイナビの求人広告部門の営業部長を勤め、2022年度は全国最下位予算達成率の部を半年で全国3位まで躍進させる。500社以上の採用支援実績。
2023年2月、StockSun株式会社にパートナーとして参画。
個人にも実績豊富な経験を背景にコンサルタントとして活躍し、2024年ウィングス株式会社を創業。

YouTubeの起業リアリティーショー『Nontitle』では、これまでに数々のドラマが生まれてきた。2024年6月27日から放送されていたシーズン4では、オーディションの様子も公開されるなど、新たな演出が話題となった。そんなシーズン4で最も注目を集めたのは、為国辰弥氏ではないだろうか。同氏は実業家である株本祐己氏が運営するYouTube『年収チャンネル』のメンバーであり、『Nontitle』に出演する前からSNSでも積極的に発信している。

為国氏を「優秀だ」と賞賛する声もある一方で、SNSでの発言内容や動画での言動に対して非難の声があがることも珍しくない。非難されようとも自分のスタイルを貫く背景にはどのような思いがあるのか、為国氏に話を伺った。

SNSで炎上を起こしがちな「為国辰弥」とは

—【聞き手:松嶋、以下:松嶋】はじめに自己紹介をお願いいたします。

—【話し手:為国 辰弥氏、以下:為国】為国辰弥と申します。現在は個人事業主として、企業の採用をサポートしており、その一環としてSNS運用支援も行っています。またキャリアアドバイザーとして、転職活動をしている方のサポートも行っています。

—【松嶋】為国さんといえば『Nontitle シーズン4』での活躍が印象的です。番組出演後に何か変化はありましたか?

—【為国】大きく変わりましたね。以前は僕を悪く言っていた方から飲みのお誘いをいただくことが増えて(笑)。「手のひら返しってこういうことか」としみじみと感じました。あとはインフルエンサーの方や上場企業の社長さんと飲むようになって、ちやほやされているなと思うので、浮つかないように気を引き締めなくてはいけないと。嬉しい8割、戸惑い2割という感じですね。

—【松嶋】戸惑い、というと?

—【為国】周囲からの“見え方”に違和感があるんです。僕はもともとただの個人事業主であり、経営者ではないんですよ。ただ、言語化能力は高い方だと自負していて、それによって番組では「すごくできる経営者」みたいに見えてしまったんです。それが自分としては違和感があると言いますか。

—【松嶋】為国さんの発言は常に賛否両論だったと思いますが、否定的な意見に対してはどういう思いで受け止められていたんですか?

—【為国】別にショックは受けていません。番組に出演している時は、視聴者の記憶に残ることを1番に考えて「どこを切り取られるのか」を計算しながら発言していましたし、自分としては嫌われ役に徹していたので。

—【松嶋】番組やSNSでの姿とプライベートでは、違う一面もあるのでしょうか。

—【為国】根幹としては一緒ですね。もともとの素質として、モラハラ要素を持ってはいる。ただ、番組では「これは言ってはいけない」と思うこともあえて言葉にしていましたし、演者でいる時の僕は、自分のいいところと悪いところを誇張した姿ではあります。

—【松嶋】SNSなどの発展もあり、今はできる限り周囲に配慮した発言・行動を意識している人が多いと思いますが、あえて逆の行動を取られている理由は何なのでしょう?

—【為国】「思ったことを言わないストレス」と「言ったときに相手から嫌われるストレス」を天秤にかけたときに、前者の方がストレスを感じるからです。

—【松嶋】天秤にかけて判断されているのですね。

—【為国】その方がすぐに判断できるので。時間をかけて何かをするのが苦手で、何事もスピード感を持って進めたいんですよね。寄り添いよりも、スピード重視です。

クラスの端っこにいる“陰キャ”だった小中学生時代

—【松嶋】子どもの頃はどういったお子さんだったんですか?

—【為国】外交的になりたい内向的な子どもでしたね。わかりやすく言うと、クラスの端っこにいる陰キャです。学校から帰ったら、ピアノの練習をするか両親と話すか、おもちゃで遊ぶか。そのローテーションです。

—【松嶋】ピアノはいつからされていたんですか?

—【為国】いつ頃というか、気がついたら弾いていた、という感覚ですね。僕の両親は高校のオーケストラ部の先輩後輩で、父は3歳からバイオリン、母は3歳からピアノを習っていたそうです。そんな家族だったので、僕も兄も小さい頃からピアノを習いに行っていました。週2回のレッスンと、ピアノ講師をしていた母からのレッスンを毎日数時間くらい。

—【松嶋】学生時代は勉強よりもピアノに打ち込んでいたのですか。

—【為国】別にピアニストを目指していたわけではなく、音楽を習うのが当たり前の家庭だった、というだけです。勉強も頑張っていたわけではなくて。

小学生の頃から振り返ると、僕が通っていた学校はちょっと特殊で、クラスの半分は親が日本最大の総合商社の子どもで、みんな優秀だし運動もできて見た目も優れている子ばかりでした。僕は勝てるところがなかったんです。だからといって劣等感があったわけではなく「そういうもんだ」くらいに思っていました。

中学生に上がってからは、両親から「勉強を頑張るのであれば音楽は抑えていい」と言われたため、とりあえず勉強を頑張ることにして、有名な塾にも通わせてもらいました。それで一時期は頑張っていたんですが、段々とサボるようになって、5クラスあるなかで最下位のクラスに落ちてしまって。いつの間にか勉強も頑張らなくなりました。

—【松嶋】今の為国さんからはあまり想像ができませんね。

—【為国】昔はそうだったんですよ。そんな状態だったのに、父が慶應義塾大学に行く夢を叶えられなかったので、その夢を僕が叶えたいという思いもあって。とはいえ、現実的に考えて慶應は無理ですし、明治か法政の附属高校に入りたいと思っていました。結果的には、慶應も明治も法政も全部落ちましたけどね。それで、日本大学の付属高校に進学しました。

—【松嶋】ご両親はどんな反応でした?

—【為国】「塾代が無駄だったね(笑)」とは言われましたけど、別に責められることはありませんでした。自分としても「あれだけサボっていれば、当然の結果か」くらいの感覚で、特にショックも受けていませんでした。1時間以上集中して勉強することができず、両親には毎日4~5時間勉強しているように見せて、机の下でゲームボーイをやっていたりしたので。

華々しく高校デビューするも、一つの判断ミスが人生最大の後悔に

—【松嶋】高校生に進学してからは何か変化はありましたか?

—【為国】180度変わりました。関わる友達と周りからの評価がガラッと変わったんです。まずは、1年生のオリエンテーションの時に部屋が一緒だった子が一軍メンバーで、その子たちと一緒にいるようになった。加えて、受験~高校に進学するまでの間に身長が10センチほど伸びて、僕自身の見た目も大きく変わっていて、クラスの子たちから「かっこいい」って言われるようになったんです。

それまでの人生で「かっこいい」って言われたことなんてなかったのに。ワックスで髪の毛をセットして、ブレザーだったのでネクタイをちょっとずらして、腰パンにするとイケてる雰囲気にはなるんですね。そこで、中身は陰キャ・外見は1軍、の“為国”が出来上がって、人格が完全に変わりました。

—【松嶋】どういったふうに変わったんですか?

—【為国】人を見下すようになっちゃいました。

部活でも中学生ではギリギリレギュラーだったのに、高校生では周囲が初心者ばかりだったため、1年生なのにレギュラー入りしました。1年生は白いTシャツに苗字を書いて参加する決まりだったのですが、僕はレギュラーなので、そのルールに従う必要もなく。

要は、クラスでも部活でも最下層にいたのに、一気に最上層に行ってしまったわけです。小中学生の頃と比べて周囲の学力が下がったことで「あいつは勉強もできる」という評価になって。そういったことが続いていくと、人って考え方が変わるんですよ。

—【松嶋】高校に入学して、いつ頃からそういった人格が出てきたんですか?

—【為国】1~2ヶ月経ったくらいだったと思います。でも、そういう態度をとっていると、嫌われちゃうんですよね。表では媚びてくるんですけど、裏ではめっちゃ悪口を言われる。それに気がついたのは、2年生に上がった時です。

—【松嶋】何がきっかけがあったのでしょうか。

—【為国】部活を辞めたんです。

腰を痛めてしまったので1年生の1月に顧問に「辞めます」って伝えて、1週間以内で呼び戻されると思っていたのに誰も来なくて。でも部活がないとあまりにも暇だったため、2年生になったばかりの春に「部活に戻りたい」と顧問に伝えたところ、部員のみんながめちゃくちゃ反対しているという話を聞かされて、そこで初めて嫌われていたという事実を知りました。それで、結局辞めることにしたんです。

—【松嶋】プライドが許さなかったと。

—【為国】そうですね。白いTシャツに名字を書いて練習に参加するなら戻っていい、という条件を突きつけられたので、戻りませんでした。レギュラーのトップだったのに1年生と同じ扱いをされるのは耐えられないって思ったし、部活のコミュニティに馴染めない状況しか想像できなかったので。

でも、今では戻らなかったことをとても後悔しています。1ヶ月ほど誠実に取り組んでいれば、部員のみんなは僕のことを受け入れてくれたでしょうから。人生で後悔した、判断を間違えたことがあるとしたら、高校2年生の時に部活に戻らなかったことです。物事に迷った時は天秤にかけて判断するというのは、この経験からきているものなのかもしれません。今考えると、この失敗は僕の人生のターニングポイントでもあったんですね。

つらい高校生活から楽しい大学生活へ!最後にはまさかの落とし穴

—【松嶋】部活を正式に辞めたあと、学校生活はどうなったんですか?

—【為国】高校2年生のクラス替えをきっかけに、1軍からは外れました。2年生のクラスはサッカー部が1軍だったんですよ。当然サッカー部とは仲が悪かったので、よく衝突していました。あとは1年もすれば中身が1軍でないこともバレるので、2~3年生の間は周囲からチヤホヤされることは全くなかったですね。

—【松嶋】それは結構ショックだったのでは?

—【為国】ショックというか……その時期のことはあまり思い出せないんですよね。小学生の時と同じで、学校から帰って親と喋って寝る、みたいな生活でした。友人はいたんですけど、週1回とか2週に1回ぐらい遊ぶ感じで、毎日一緒にいるような仲間はいなかった。

あと、1年生の時は女の子からもチヤホヤされていたので「1人の彼女を作らないのは、みんなのためだ」とかって本気で思っていたんですよ。ただ、2~3年生では誰からもアプローチされず、彼女はできませんでした。

部活もやっていないし友達も彼女もいないとなると、毎日が暇で仕方なくて、夏休みなんか特にすることがないんですよ。当時はすでにピアノを辞めていたのですが、ピアノ室にこもって1日10時間ほど漫画を読みながら「この時間って、人生に何の意味があるんだろう」ってずっと考えていましたね。

—【松嶋】そんな高校生活を経て、卒業後は大学に進学されたんですよね?

—【為国】はい。附属高校だったので、共通テストで1万人の上位3割に入っていれば商学部に進学できたんです。そこでなんとか上位に入れたので、日大の商学部に進学しました。

—【松嶋】大学ではどんな生活を送られていたんですか?

—【為国】大学ではほとんど授業に出席していませんでしたね。でも、高校生の時のような生活はしたくなかったので、コミュニティには積極的に参加するようにしていて、絶対にサークルとゼミに入ると決めていました。サークルはバレーが好きという単純な理由でしたが、ゼミについてはアクティブに活動しているところを選んで入りました。

恋愛も人並みにして、大学生活は楽しかったですね。就活以外は。

—【松嶋】就活は大変だった?

—【為国】大変でした。ゼミ試験では無双していたので、先輩からは「話が上手いし、為国ならどこでも受かるでしょ」って言ってもらえていたのですが、全然受からなくて。

—【松嶋】なぜ受からなかったのでしょう?

—【為国】本を読みすぎたんだと思います。自分の言葉で話すのは得意な方なのですが、就活にまつわる本を読みまくったことで「私の強みは継続力です。その理由はバイトを何年勤めていて~…」みたいなフォーマットに当てはめる形で話すようになってしまっていたんです。そんなことをしていたら、自分のいいところや個性が全て消えてしまうじゃないですか。そりゃ受かんないよねっていう。

転勤が嫌で転職。会話禁止令を出されるなど波乱の社会人生活がスタート

—【松嶋】就活は大変だったというお話でしたが、最終的には無事に就職できたんですよね。

—【為国】はい。2000人ほどの旅行会社に、ツアーの企画職として入社しました。その会社では、若手が添乗員の指示書を作成して、月に5日間は添乗員業務もするという決まりがありました。添乗員業務が何かというと、パソコンで調べたものを印刷して、暗記して読み上げるという業務ですね。添乗員業務は本当に苦手でしたけど、それ以外は楽しかったですし、当時は独立も転職も全く考えていませんでした。

—【松嶋】旅行会社は何年ほど勤めていたのですか?

—【為国】3年ほどですね。転職する意思はなかったのですが、先輩から「他の会社の面接も受けてみれば?」と言われて、3年目の1月からなんとなくで転職活動を始めました。その半月後くらいに異動辞令がでて、中国地方での事業所の立ち上げメンバー5人の1人に選ばれたことをきっかけに、退職することを決めました。次の職場が決まっていたわけではなかったのですが、今のコミュニティから離れて5人しかいない場所に行くことが耐えられなくて。転勤がなければ、今でも旅行会社に勤めていたかもしれません。

—【松嶋】旅行会社を退職して、その次はどこに転職されたんですか?

—【為国】マイナビです。旅行サイトを立ち上げる計画があり、その事業部に配属されました。まだサイトが完成しておらず、営業として入社したのに販売するものがないっていう状況で(笑)。入社してから1年間ほどは毎日会議ばかりでした。そんな日々が続くうちに事業部のトップから「お前は生意気だ」と言われて、自分よりも年齢が低い人たちとの会話を1年間禁止されるなんてこともありました。

—【松嶋】何があったのですか?

—【為国】後輩相手にマウントを取っていたんですよ。僕は3月に入社していて、4月に入社してきた新卒の子たちの先輩というポジションだったので。少し経つと、事業部のトップから「みんなに敬語で話しなさい」と言われました。で、それを速攻で破ったため、会話を1年間禁止されました。

そこから半年ほどで旅行サイトが完成して、営業活動がスタートするのですが、僕は途中で大阪に転勤することになったんです。でも、全国に50名ほどいる営業の中で圧倒的1位の成績を収めたおかげで、大阪にて会話禁止の解除及び課長への昇進を果たしました。

—【松嶋】大阪に行くのは嫌ではなかったですか?

—【為国】嫌でしたよ。退職を検討するレベルで。でも、大阪のコミュニティも大きかったので、なんとか堪えました。大阪には6年ほどいましたね。

大阪にいる間もずっと営業成績はトップだったんですが、ハレーションを起こすからマネジメントは無理だという理由で、なかなか昇進できず。東京で活躍しない限りは上にいけないと思い、上司にはずっと東京に行きたいと相談していました。願いが叶って東京に戻ってきたのは、2021年の10月くらいだったと思います。

—【松嶋】東京に戻ってきて、どうなったのですか?

—【為国】全国的にも下位の成績だった課の立て直しとして東京で働き初めて、トップに近いところまで巻き返すことができたということで、半年ほどで課長から部長に昇格しました。ただ、これもいろいろとあって。

もともと大阪の統括部長は僕を部長として推薦する形で東京に送り出してくださっていたんですが、東京の本社側が「部長として適任かわからないから、課長でいいなら受け入れる」という判断をしていたそうなんです。だから、大阪にいたらもっと早くに部長に昇格できていたはずなんですよ。

そういった経緯もあったので、実は昇進辞令を受け取る2ヶ月ほど前に、役員に「昇進できないなら退職します」と伝えていたんです。で、その時には昇進が決まっていたので、危うく部長になり損ねるところだったんですよ。

—【松嶋】そんな事件もあったのですね。部長に昇進してからはどうだったのですか?

—【為国】実は部長に昇進してから、8ヶ月ほどで退職しています。営業成績を急激に改善することはできたのですが、あれはたまたまと言いますか。僕の能力で改善できたわけではなくて、タイミングが良かっただけだと思うんですよ。あとは、僕自身が部長職に向いていなかったんですよね。組織を立て直すとか、組織を大きくしていくための戦略を練るとか、僕にはできない。だから仕事もつまらなくて、毎日どうやって時間を潰すかだけを考えていました。

YouTubeの番組を通して、インフルエンサーとして遅咲きのデビュー

—【松嶋】せっかく部長に昇進できたのに、なぜ8ヶ月で退職することにしたのですか?

—【為国】4月に部長に昇進して、8月に『年収チャンネル』の新メンバーオーディションを受けて、そのオーディション動画が10月に公開されたときに、会社でめちゃくちゃ問題になったからですね。会社には出演しても良いか事前に確認していて、社名を出さないというルールを守っていたんですけど、動画のコメント欄に社名を書かれてしまったんです。あの頃は、会社で毎日のように呼び出されていました。

それで転職を考えるようになったものの、当時は年収が900万円ほどあったので、それを下げずに転職するのも難しくて。そこでダメ元で株本さんに相談したら仕事をもらえることになって、退職を決意しました。

—【松嶋】株本さんとはどうやって連絡を取ったのですか?

—【為国】『年収チャンネル』のオーディションに落ちたときに、株本さんから「一緒にお仕事をしたいと思っています」と連絡をいただいていたんです。それで「退職するので、仕事をいただけませんか」と相談しました。退職が決まった後の有休消化期間中に、株本さんからいただいた案件と他の仕事などをスタートして、順調に案件が増えていたのでフリーランスとしてやっていけると確信を持ちました。

—【松嶋】フリーランスになって、会社員の時とは違いがありましたか?

—【為国】本音で言うと、会社員でいたときの方がやりがいを感じていましたね。僕は相対評価で勝つことに幸福を感じるタイプですし、フリーランスのライバルってなかなか思いつかなくて。経営者として頂点を目指すなら孫さんや柳さんがライバルになると思うのですが、そもそも僕は経営者ではありません。それに、どう頑張っても、お二人よりも僕が上に登り詰める未来は見えないんですよね。

僕の場合は、手に届かないものは頑張れないけど、手に届きそうなものだと頑張れる。そういう意味では、会社員の時のように昇進するための道筋が見えている方がやりがいはあったかなって。

—【松嶋】なるほど。そんな為国さんが『Nontitle』に出演することになったきっかけはなんだったのですか?

—【為国】発端は、株本さんが『Nontitle』のプロデューサーである青木さんに「『年収チャンネル』のメンバーを出演させられないか相談したことですね。最初はメンバーの大堀を出演させる話が出ていたんですけど「僕にもチャンスをください」とお願いして、結果的に僕がオーディションに参加する権利を得ました。そこから『Nontitle』でのオーディションを勝ち抜いて、正式に出演することになったという流れですね。

—【松嶋】『Nontitle』に出演後に環境が変わったと言われていましたが、為国さんの内面には何か変化がありましたか?

—【為国】プライベートで言葉選びに気をつけるようになりました。僕は自分のことをいわゆる“弱者”だと思っていたので、あえて強く言うようにしていたところもあるんです。ただ、番組に出演したことで社会的には“強者”に見えている気がしていて。SNSなどでは今後もストレートな発信をしていくつもりですが、プライベートでは気をつけなくてはいけないなと思っています。

—【松嶋】番組に出演したからというよりは、環境の変化によって意識も変わったという感覚ですか?

—【為国】そうですね。だって本当に180度変わりましたからね(笑)。僕自身は何も変わっていないのに、世の中の反応が変わった。最初にもお話ししましたけど、その点には強烈な違和感があります。

あとは、僕が「自分を変えたい、大人になりたい」と思っても、周囲からは「モラハラな為国、子どもな為国」を求められているっていうのもある。「僕が目指す成長した為国」と「周囲が望んでいる為国」が乖離していることついては、これからも葛藤し続けるのだろうと思います。

KEYPERSONの素顔に迫る20問

Q1. 好きな漫画は?

『HUNTER×HUNTER』です。

Q2. 人情派? 理論派?

人には人情派、仕事には理論派。

Q3. パン派ですか? ライス派ですか?

ライス派です。お肉と一緒に食べるなら、圧倒的にライスの方が相性がいいと思っているので。

Q4. 都会と田舎のどちらが好きですか?

現状ではコミュニティの数が多い都会が好きですが、自分でコミュニティを作るほどの資産ができたら、田舎に住むのも良さそうだなと思います。

Q5. 保守的? 革新的?

保守的だと思います。

Q6. 好きなミュージシャンは?

いません。テンションを上げるためにポップな曲を聞くことはありますが、音楽にはあまり興味がなくて。

Q7. これまでに仕事でやらかした一番の失敗は何ですか?

仕事で社員旅行の飛行機の手配を担当をした際に、日付を全部間違えたことです。50~100名ほどの飛行機のチケットを取り直さないといけなくて、今思い返してもゾッとします。

Q8. 犬派? 猫派?

圧倒的に犬派です。基本的に甘えてくれる生き物が好きなので。

Q9. 現実派? 夢見がち?

現実派ですね。

Q10. 今、一番会いたい人は?

特定の誰かに会いたい、というのはありません。

Q11. 仕事道具でこだわっているのは?

何一つありません。

Q12. どんな人と一緒に仕事したいですか?

論理的で他者から好かれる人。僕は人から好かれる才能がないので、株本さんのように僕と近い思考でありながら人から好かれる才能のある人が理想です。

Q13. 社会人になって一番心に残っている言葉は?

「数をこなせ」です。マイナビで営業をしている時に上司に言われた言葉ですね。

他の人が100件電話して5件のアポを入れているなら、僕は200件電話して10件のアポを入れる。そうやって人よりも数をこなすことを徹底したおかげで営業力が身に付きましたし、数をこなすことにデメリットはないと思います。

Q14. 休日の過ごし方は?

友人と飲んだり、誰かと一緒に過ごすことが多いです。

Q15. 好きな国はどこですか?

1位が日本。2位はアメリカ(ハワイ)ですね。僕は飛行機に長時間は乗れないので、あんまり海外に行きたくないんです。でもハワイだったら6~7時間で行けますし、気候が良くて日本語も通じるので。

Q16. 仕事の中で一番燃える瞬間は?

会社員のときでいうと、営業成績のランキングが上がったとき。個人事業主としてお客様から感謝の言葉をいただいた時も嬉しいのですが、一番興奮するのは相対評価で自分の順位が上がっている瞬間ですね。

Q17. 息抜き方法は?

人と会って、飲んだり、喋ったりすること。

Q18. 好きなサービスやアプリは?

あまり思い浮かびません。

Q19. 学んでみたいことは?

トップインフルエンサーたちが考える、事業の伸ばし方や経営について学びたいです。

Q20. 最後に一言

やりたいことがあるなら、やってみた方がいいと思います。僕はリスクを踏みたくない派ですが、例えばYouTubeをはじめてみるとか芸能事務所に書類を送るとかって、それ自体には別にリスクがないじゃないですか。

それに、昔は「表に出る仕事をするなら、若いうちから行動しないと無理」と思っていたんですけど、僕がブレイクしたのって36歳ですよ。要は、何かを始めるのに年齢は関係ない。「やりたいことがあるけど実現させるのは難しい」と思っていたとしても、実際はそこまでハードルは高くないかもしれませんよ。

迷ったときは頭の中に天秤を!影響力を手に入れるため活動を続ける「為国辰弥」

—【松嶋】今後の展開について、可能な範囲でお話しいただけますか。

—【為国】『Nontitle』で決まった事業については僕だけの話ではないですし、色々と変わっていくと思うので、ここでは個人的なお話だけさせてください。

僕個人としては次世代に何かを残したいと思っていて、学生のなかで昔の僕のような状態にいる子たちを幸福にしたいと考えています。自分の可能性に気がつけずに、未来を信じられなくなっている子たちの力になりたいんです。

あとは、演者として大成したいと考えています。わかりやすくいうと、周囲に大きな影響を与えられる人ですね。僕は自分が中心にいたいタイプですし、孫悟空のように主人公として周囲を引っ張っていく人になりたいです。表に出るときは主人公、仕事ではサポートする側の人間として動いていくって感じですね。

—【松嶋】『Nontitle』に出演して、個人としてできることの範囲も増えているのでは?

—【為国】そうですね。以前は「株本の金魚の糞」だと思われていたかもしれませんが、番組に出演したことで「為国」という名前が広がって活動しやすくなりました。自分でも今後が楽しみですし、一発屋にならないように頑張ります。

—【松嶋】最後に、読者に向けてメッセージをいただけますか。

—【為国】すでに働いている人も就活生も、何かを決めるときは自分の頭の中で天秤を作った方が良いと思います。意見がブレていたり、最終判断ができなかったりする理由は、みんな天秤を作っていないからだと思うんです。天秤にかけて重い方に動くようにすれば、基本的に後悔はしないはず。

僕の場合は、高校生の部活に戻るかどうかを判断する際に天秤を作っていなかったことで、30代後半になっても後悔が残っています。「戻るメリット」と「戻らないメリット」を天秤にかけたら、どう考えても前者の方が大きいのに、その場の感情を優先して後者を選んでしまった。

そういった後悔をしないためにも、自分の頭の中に天秤を作る癖をつけるのをお勧めします。それで、判断できたなら振り切った方がいい。人の意見ではなく、自分で判断して進んでください。


【クレジット】
取材・構成/松嶋活智 ライティング/西村友香理 撮影/原哲也 企画/大芝義信

【スポンサー】
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