作曲家 平野義久に聞く「独学で切り拓く」キャリアの作り方

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氏名 平野義久
肩書 作曲家
1971年12月7日和歌山県新宮市生まれ。5歳よりヴァイオリンを始める。バロック音楽に魅了され、小学生の頃から独学で作曲を始める。高校時代にジャズと邂逅、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、エリック・ドルフィ、ジョン・コルトレーンらの音楽に没頭する。アルト・サクソフォンを手にしジャズ・プレイヤーを志すが、ジョン・ゾーンへの心酔を契機に現代音楽に心惹かれるようになる。一方で、ショスタコーヴィチの交響曲に強い感銘を受け、本格的な作曲の修行を決意する。高校卒業後紆余曲折を経て渡米、イーストマン音楽院で作曲をクリストファー・ラウス、ジョセフ・シュワントナー両氏に師事する。バタイユ、クロソウスキー、マンディアルグ、ジュネら20世紀フランスの作家・思想家に傾倒し、授業もそっちのけで多くの時間を読書、そして作曲に費やす。紆余曲折を経て同院中退、その後帰国。さらなる紆余曲折を経て2001年に劇伴作曲家としてデビュー。以来今日に至るまで数多くのサウンドトラックを世に送り出している。文学・哲学から落語・モードファッションまでこよなく愛する好奇心旺盛な作曲家。(日本国内の)動物・昆虫などはかなりの確率で正確な和名を言い当てることが出来る。ただし幼少時のトラウマ体験により芋虫恐怖症。

出典:http://www.yoshihisahirano.com

ドラマ『先に生まれただけの僕』『ゆとりですがなにか』、アニメ『HUNTER×HUNTER』『DEATH NOTE』、『スーパーロボット大戦』などのバラエティ豊かな作品に楽曲を提供。自身のプロジェクトとして現代音楽にも取り組む多彩にして多作の作曲家平野義久さん。

今回のインタビューでは、彼が単身渡米し作曲を学んだ際のエピソードや、業界の枠を超えて作曲の第一線で活躍し続けるために心がけていることなどについてお話をうかがいました。

今日はよろしくおねがいします。さっそくですが、まずは、ご自身の生い立ちや経歴についてお聞かせください。

私が生まれたのは和歌山県の新宮市です。熊野古道や中上健次の小説で有名なところ、と言えば聞こえは良いですが、要はド田舎です(笑)。本当に、すごくすごく田舎なので、作曲やクラシック音楽の理論について専門的な教育が受けられるところは皆無でした。ですから、当時の私が置かれていたのは「地元に残る限りは本格的クラシック音楽は学べない」という状況でした。今思うとこの背景が、独学でもなんでも自分が進むべき道を切り拓いてやろう、という私の生き方に影響を及ぼしていたのだと思います。

作曲を学ぶために単身アメリカへ渡る

そこで、渡米することにされたと?

そうですね。当時は、どうすれば作曲が勉強できるか相談すべき相手すらいませんでしたので、このアメリカ行きもある意味で無計画なものでしたが……。音楽と英語を勉強しようと言う感じで、その環境を求めて行きました。

ニューヨークにはカーネギーホールという有名なコンサート場があります。そして、その近所にペーターソンという楽譜屋さんがあるんですね。そこに行くと壁に名刺が貼ってあって、いろいろな演奏家に混じって作曲家という人の名刺もありました。そんな人たちに「教えてください」と電話をかけたり、押しかけたりと、そんなことをしていました。

あと、実はアメリカに行ったのはもう一つ理由がありました。当時私は、楽器はバイオリンとサックスを弾いていて、ピアノはあまりうまくありませんでした。当時の日本の感覚ですと「ピアノが弾けないと作曲家になれない」という状況で、まず、音大に入る段階で相当にうまくピアノができないとダメでした。

でも、アメリカはというと、ピアノを弾かない作曲家というのがいっぱいいるんです。そんなわけで「アメリカであればピアノが少々下手でも音大に入れるだろう」なんて思っていたというのもあります。この目論見が当たったかどうかはわかりませんが、なんとか渡米先で音大入学にこぎつけることができました。

ちなみに、英語も堪能ではなかったので、最初は授業に出ても何を聞いてるのかよくわかりませんでした(笑)。しばらくすると、慣れてきて気づけばある程度は話せるようになりましたが、討論は難しかったですね(苦笑)。アメリカの学校は、音大に関わらず討論をよくやらせるのですが、これは当時の私にはなかなかの難関でした。

帰国後は劇伴作曲家に

帰国後は作曲家として活躍され、アニメ、実写ドラマ、ゲームなど、幅広い作品に音楽を提供なさっています。こういった際に、1つの作品と関わるに至る縁、あるいは決め手は何なのでしょうか?

流れとしては、まず、オファーをいただいた段階で脚本やキャラ表、コンテなどを見せていただきます。ジャンルはヒューマンドラマだったりサスペンスだったり、いろいろですが、作り手の方々は何かしら良いものをつくろうという気概がある。そういったものを強く感じたときに、私自身も触発されます。極端な話、ジャンルやストーリー云々より、作り手の熱意に深く共鳴したり、共感したりできるかが自分が参加するかどうかの決め手になりますね。

幅広いジャンルの作品と関わるにあたり、さまざまな人と一緒に働くことになると思います。また、業界ごとの作法の違い、特色などもあるはずです。そういった中で、仕事をされるにあたり、気をつけていることやスムーズに仕事をするコツなどがあれば教えてください。

実は、ドラマやアニメのスタッフさんとの調整は私のマネージャーががんばってやってくれています。なので、仕事をする上での人間関係があるのは音楽家やサウンド・エンジニア、演奏家たちです。そういった人たちのディレクションをして、スタジオで円滑に録音が進むようにするという仕事はあります。その中で大切にしているのは、それぞれが満足する仕事をしてもらえるようにすることです。こちらがOKを出しても、もう一回やらしてください、と言ってもらえるような関係を大事にしています。

僕は(音楽の)書き手でもあるからその意図を汲んでほしいけれど、表現してくれるのは演奏家だから、彼ら、彼女らの流儀で納得できるところまでやって欲しい。完成した音楽に演奏家の観念が反映されていないとおもしろいものにならないのですよね。「もうちょっと弾かせて」と言ってくれるとうれしいですし、そういう時はたいがい良い曲に仕上がります。

創作活動を続けるコツ

音楽を創る上で、「この流れで制作するとうまくいく」というような例があれば教えてください。

僕らの仕事は短期決戦型です。例えば、ドラマなら30曲くらい、アニメだと50曲とか、多いときで80曲くらいかな。これを2ヶ月くらいで仕上げなければなりません。

その時に心がけていることは、とにかく寝ること。絶対に7時間以上は寝るようにしています。集中して音楽を書いていると、頭は覚醒していて眠りにつけないこともありますが、一定の時間になると「もうぜったい書かない」と決めて、寝床に行くようにしています。これをしないで根を詰めすぎて書くと、けっきょく翌日になってボツにしなければならなくなり効率が悪いのです。

あとは、しっかり遊ぶこと。1日に2曲書く、と決めてそれが終わったら「3曲目の作業も少し……」とやらずに遊びます。落語が好きなので、そういうことを楽しみながらリラックスする時間をつくるようにしまています。

田舎育ち故に身についた独学のクセ

ジョルジュ・バタイユなどの思想家からも影響をお受けになっているそうです。このような、ご自身にとって「重要な出会い」には、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

ちょっと前置きが長くなりますが、まずは「独学」ということについてお話しさせてください。

私がいた環境では独学をしないと作曲が学べませんでした。まず、田舎にいた頃は周囲はほとんどクラシック音楽と無縁の場所ですから、なんとか自分で学ばないといけません。アメリカに渡ってからも、作曲というのは手取り足取り教えてもらえるものではありませんでした。作曲の勉強は、学校に通っていても結局は独学みたいなものです。作曲はティーチャではなく、メンター、あるいはアドバイザーなのです。口をあけてエサを待てばいいという世界ではありませんでした。

そこで、なんとかかんとか「独学の方法」を身に着けなければなりません。その方法というのが、とにかく憧れている人を分析して真似るということです。ある時「ソナタ・アレグロの様式を身につけるにはどうしたらいいいか?」と考えまして、その時はアメリカの作曲のサミュエル・バーバーのピアノ曲を小節数を全部数えて、構成を覚えこんでいく、という感じで学んだということがありました。

20代前半の私は、武満徹さんから大きな影響を受けていました。私が彼に共感を覚えていた部分は、武満徹がアカデミックな教育を受けていない中で、独学で作曲家になったことです。音大卒のアカデミックな人ではないけれど音楽家として成功した、という姿に勇気を得ました。

私は良い音大に入りこそしたものの、音楽の専門教育を受け始めたのが遅かったことにコンプレックスがありました。武満徹はそれを払拭してくれる存在だったのです。ですから、彼の独学の方法や考えを知りたいという思いがありました。読書家だという評判でしたので、私もそれを真似て本を読み漁るようになりました。憧れに憧れを重ねた結果というか、若者のストレートな心境というやつですね(笑)。

ですから、とにかく彼の真似を良くしていました。武満徹が「大江健三郎の性的人間を音楽的に読んだ」と何かのインタビューで言っていたら、私も同じ本を買ってきて音楽的に読もうとしてみる、という調子です。そういった独学のプロセスの中にバタイユなどの思想家との出会いもあったというわけです。

彼の作品「マダム・エドワルダ」なんかにはけっこうな衝撃を受けましたね。ラディカルなものに惹かれていたのだと思います。バタイユのイデオロギー、政治的な部分には共鳴しませんでしたが、死生観にはぐっとくるものがありました。

気になるものは、なんでも深掘りしていく

お仕事をされる上で大切にしている姿勢、考え方があれば教えてください。

私がやっている劇伴音楽は、いろいろな種類の音楽と向き合う必要があります。普段はあまりシンセサイザーを使いませんが、劇伴では使わなければならないこともあります。そういうときは新しい事を吸収する必要がありますが、こんなときに大事なのは「無理に探しにいかない」という姿勢です。スッと入ってきたもの、出会ったもので「あっ」と思うものを深掘りしていくほうが良い。そういった意味では「望遠鏡」を覗き込むのではなく「アンテナ」を立てるという感じです。気になったものに敏感に反応して、そこから自分の世界を広げていく、という姿勢を失わないようにしています。

今後の活動についてはいかがでしょうか? 公開できる範囲で告知をお願いします。

今日もちょうどこのホールでリハーサルをしているのですが、現在は現代音楽のサックス4重奏に取り組んでいます。アルバムになって、299 MUSICという現代音楽専門レーベルから2018年2月10日に発売予定です。

あとは、ロシアやEUの国でコンサートをやろうと思っていますが、詳細はまだ秘密。私の公式サイトなどでアナウンスする予定ですので、そちらをお待ちください。

わかりました。これからのご活躍にも期待しています。本日はインタビューにご協力いただきありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。