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「冷徹の虎」と呼ばれたプロ経営者、南原竜樹が100億円の事業と100億円の借金のはざまで見出した生存戦略とは?

株式会社LUFTホールディングス 会長

南原竜樹Tatsuki Nanbara
南原竜樹さんのインタビュー
南原竜樹 — The Keyperson

INTERVIEWEE 話す人

南原竜樹

株式会社LUFTホールディングス 会長

大学在学中に高級外車の並行輸入で起業
人気テレビ番組「マネーの虎」で“冷徹の虎”と呼ばれる
1988年 オートトレーディングルフトジャパン株式会社を設立
2005年 MGローバーが経営破綻し25 億円の負債を抱えたが、再起を目指し、多業種への事業展開、年商100億に復活
2015年 株式会社LUFTホールディングスに社名変更
2020年 現在はITを駆使して、新たな挑戦を開始中

この記事の目次
  1. 急拡大していく事業、急変化していく人生
  2. 会社の事業整理の中、「冷徹の虎」の心境は?
  3. どん底の状態でも感じる「人生の楽しみ」としてのストレス
  4. 「冷徹の虎」と呼ばれたマネージメントは、今はどうなっているのか?
  5. 経営のプロとして、いくつもの事業を成功に導く法則は?
  6. YouTuber南原竜樹の戦略とは?
  7. たどり着いた人生の第4のステージ

心に残った言葉を、選択してシェア。

聞き手:)南原さんと言うと、若いころから起業され、何度も挑戦されている方、という印象があるのですが、どんな幼少期を過ごされて、どのように現在の南原さんのパーソナリティが形成されていったのか、についてお聞かせください。 南原さんにとって起業や、ビジネスを意識し始めたのはいつ頃くらいになりますか?

話し手:南原氏)ビジネスを意識しだしたのは大学の後半くらいだね。まあはっきり「今日をもって起業しよう」って決めた感じではなく、いつの間にか滑り出していった感じだったかな。

聞き手:)最初は、ドイツに卒業旅行で行かれた際に、たまたま友人がドイツの車が欲しいというので仲介したら、それがビジネスになった、というのを拝見したことがあります。

南原:そうだね。もう少し詳しく言うと、当時、日産のハコスカという車の中古が5万円くらいで買えたんだよ。それを自分で買って、当然安いからボロボロなんだよね。

そこから自分で真っ赤に塗装し直して、綺麗で幅の広いアルミホイルをとりつけて、車高を少しだけ落としたりして、ちょっとスポーティーに改造したものに乗っていたんだよ。

そうしたら友達が「売ってくれ」って言うんだよ。それを30万くらいで何台か売ったりしてってのが、僕の起業の原点だな。

聞き手:渡辺) 聞き手:そういうビジネスをしばらくされていたんですか?

話し手:南原氏) そうだね、でもビジネスとしてやろうとは思ってなかったんだよ。子供がプラモデル作ってそれを誰かが買ってくれたら新しいプラモデルが買えるじゃない?そんな感じでやっていたんだよね。

聞き手:渡辺) そこから本格的なビジネスに移るきっかけはあったのですか?

話し手:南原氏) 車がかなり好きだったから、ドイツに行って、当時内外価格差を見つけて、それを車好きな仲間に話すと、自分よりもひと回り上の人間がやっぱり多くて。

彼らに電話して「こんなに安いから、買えよ」って言うと、「日本に売っている半値じゃん」みたいな感じでオーダーがいっぱい来たんだよね。

聞き手:渡辺) そこから事業として大きくしていこうとしたのはどういうときなんでしょうか?

話し手:南原氏) その買ったうちの一人が、「もう一度買ってきてくれ」って言い出したんだよね。ただその、3台輸入した中で、合計70万くらいだったんだけど、確か損しちゃったんだよ。それは自分の見込みが甘くて、友達に「これぐらいの値段で乗れるようになるよ」っていうのを大雑把に言ったつもりが、友達的には、「そのお金を用意して、自分が買ったんだ」と。

後で工場から請求書が来て、「こんなにかかったから請求したい」って言ったら、向こうは人生のひと回りふた回り先輩で商売もしていたりするから、「いや今更言われてもそんなの出せんだろう」と、言われて。

結果的にはその最初の商売で大損したんだよね。でも、それなのにそのうちの一人が、「また買ってきて欲しい」って言うので、ここが商売のきっかけになったんだ。

急拡大していく事業、急変化していく人生

聞き手:渡辺) そこからは海外に買い付けして、日本で販売するビジネスをずっとされて、大きくされていったのでしょうか?

話し手:南原氏)そうそう。そこからはね、まるで急な坂道でも、ものともしないくらいの勢いでどんどん拡大していって、時代も良かったのと、その頃はパイオニア的な商売だったので、ライバルもあまりいなかったのもよかったね。

聞き手:渡辺) どれぐらい急拡大な感じだったんですか?

話し手:南原氏)最初一人で始めて、2,3年の間に30億売る様になったかな。 その後も、どんどん右肩上がりに上がっていって。でも一方で負債も大きくなっていって。業務拡大のために、ディーラーを買収したり、インポーターになったりしたりするための投資が必要だったりもしたので。

聞き手:そこでちょっと転機になったのが、ローバーが海外で倒産した事件ですよね。

南原:そうですね、2005年の春に倒産しました。
あれは、特損だったから、20億とかの赤字になってしまったんです。

銀行は、「1億円を借りると、何年か先に1億円をかえす」って思っている人が結構多いんだけど、そういうケースはあまり無くて。
1億円を借りると、ローンみたいに毎月返済していくんですが、残高が減るとまた貸してくれるわけです。絶えずその繰り返しなんで、お風呂から水が減っていっても絶えず蛇口から入れているんで、いつもお風呂にはお湯があるみたいな感じなんですよ。

でも一旦その蛇口が止まってしまうと、あっという間にお風呂は空っぽ、つまりお金がなくなってしまって、急激にキャッシュフローが悪くなってしまう。キャッシュフローの悪化のスピードが、当時約20〜30億借りていたから、毎月1億くらいキャッシュが減っていく感じでした。
それ以上のキャッシュを作るのが不可能だったので、会社を清算することにしたんです。

会社の事業整理の中、「冷徹の虎」の心境は?

聞き手:渡辺) 2005年の時点で清算が終わるまでどれぐらいの期間だったのですか?

話し手:南原氏) 実際に完全に終わるまでは2年くらいかかったけど、初動の1年以内には大体、片がついていたかな。まあ自社ビルとかショールームとか結構もっていたりもしたので、時間はかかったね。

聞き手:渡辺) その時、南原さんは事業整理を着々と行っていたかと思うのですが、その際の南原さんご自身のメンタルはどんな感じだったのですか?それまでイケイケでいってきたところから、急に変化があると、自分の中で大事にしていた価値観など、様々なものが変わってきたりはしなかったのでしょうか?

話し手:南原氏)皆そうやって言うけど、僕はあまりメンタルに大きな変化はなかったね。 例え話で言うと、飛行機は最初上昇していってかなりの高度まで上がっていくよね。これは事業が成長しているときのイメージ。 でも、エンジンも壊れて燃料も無くなってしまうようなトラブルも起こるけど、エンジンが仮にとまったとしても、滑空比もあるからなんとか空港まで不時着させるのも、パイロットの腕なわけだよ。 そう考えると、経営者として会社が急降下したときに無事に着陸させることをしているっていう意識で向き合えているから、そういうチャレンジとして楽しめたとは思うよ。

どん底の状態でも感じる「人生の楽しみ」としてのストレス

聞き手:渡辺) 会社の清算後、一回バスの運転手の面接に行った、みたいなお話もお聞きしたんですが、その時はどういう感じで面接へ行かれたんですか?

話し手:南原氏) それはね、メンタルが落ち込んだというより、少し疲れちゃって休憩したいと思ったからだね。

多くの人をつかって、予算をかけて、事業を急拡大していくときの、ストレスって結構強烈じゃないですか。

例えばその、初めてある大きなディーラーを買収した際には、買収費用は10億円だったんだ。当時、僕はまだ30代くらいでその買収の際には、運転資金を考えると結局20〜30億円の事業を想定しないといけない。

それまで自分たちは、車の並行輸入っていう、分かりやすく言うと「若い兄ちゃんたちがヤンチャに世界中を飛び跳ねて、世界中から安く車を仕入れて、それをバンバン売っている」みたいなビジネスをしていて。

それが、大学卒業の社員をきちんと教育して、ディーラーの営業マンとしてインポーターの説明をきちんと聞きながら、その戦略を踏まえて販売網を展開していく、みたいな話に急激に変化していくんですよ。

こうした急激な変化ってストレスを伴いますが、僕は「ストレスが大好きだ」っていつも言っていて。 ストレスの無い人生は全くつまらないじゃないですか。変化がなく安定した平和な生活って、ストレスもないかもしれないけど、刺激もないから。

僕は映画も好きでよく見に行くけど、007とか、ミッションインポッシブルとかってピンチの連続じゃないですか?だからこそ、あの映画ってハラハラして面白いと思うよね。

ただ、楽しいのは楽しいけど、疲れはどうしてもたまってしまうので、色々なものを整理整頓していく際に、「ちょっと休みたいな」と思ったんだよ。頭を使わずに、まあ一言で言うと「のんびりしたいな」と。 それで車の運転が得意だから、バスとか運転したら癒されそうだなって笑

聞き手:渡辺):実際どれくらいの期間されたのですか?

話し手:南原氏) 実は、採用されなかったよ笑。当時年齢制限で、35歳以下じゃないと、どこも仕事が無くてね。当時45歳の僕を採用してくれるところは、夜の警備員か、タクシーの運転手さんぐらいしかなくて。

聞き手:でもその、南原さんくらい著名の経営者であれば、知り合いの会社からも「役員をやって」みたいなオファーとかも結構あったと思うのですが。

南原:ヘッドハンティング会社の人に声をかけられて、「南原さん、いい条件のポジションあったので絶対決めますよ」って感じで飛び出していったんだよ。

それで、すぐ良い話が来るかなって思ったら、全然話が来なくて。

「なんで話来ないんだよ」ってちょっと不満げに言ったら、 「いやー、まず部長に話すと、『南原さんが俺の下で働くのは、ちょっと待ってくれ、部長の座を奪われちゃうよ』と。社長に直接話したら、『いやいや、うちの会社で社長の僕より南原さんの方が威張ってるんじゃないか』って言われて難しそうです」って。

やっぱり、テレビの影響もあって、かなり使いづらいなと思われていたんだよね。

聞き手:渡辺) そうですね。その時は、落ち込んだっていうことはなかったのですか?自分が世の中に対して、「求められていないのかもしれない」とか思ってしまって

話し手:南原氏) 多少グラッとはきたよね。ただ、その頃は本当に、ストレスの無い暮らしを少ししたいと思っていたから、そっちのほうが強かったかな。

聞き手:渡辺) 聞き手:やはり、そのストレスに対する向き合い方っていうのが多分、だいぶ普通の方とは違うなっていうところがあると思いますよね。南原さんのストレス解消法とかは何かありますか?

話し手:南原氏) 全く無いね。ストレス解消なんていう、定義が自分の中にはない。ストレスが溜まるっていう定義もあまりないからね。だから、一番楽なのは「毎日365日仕事する」こと。それが一番楽だよね。

聞き手:常に前を向いて走っているから、ストレスを感じることもない、みたいな感じですか?

話し手:南原氏) そうだね。逆に土日に家で転がっているとすごいストレスだし、身体も痛いし、会社に行くのが一番楽だよね。 なんかちょっと休んだりしていても、結局何か新しいことをやりはじめてしまうんだよね。例えば、今は、これまでやっていた会社の売却を進めていて、規模を縮小したホールディング会社だけになっているんだよね。

そうしたら、やらなくてもいいのにYouTube始めて。YouTube始めるとやっぱり「目標に対して進捗が遅いんじゃないか」とか、「こんなこともやらないといけない」とか。

結構、企画会議とかもちゃんとやって、ネタを考えたりしています。例えば、「共和党と民主党の違いをもう一回確認のために勉強しておこう」みたいな企画を作った場合でも、時間と手間が結構かかるよね。でも、そういうのが好きなんだよ。

僕の友達で、大企業を定年退職した人は、オートバイ買って、キャンプ行って、趣味に生きてストレスの無い生活をするのが好きなみたいな感じで、それもいいと思うんだよ。でも、僕はそれよりも何かビジネスに少しでも絡んでいることをしている方が、ストレスがなく楽しめるってことなんだ。

聞き手:渡辺) 聞き手:南原さんの1週間や1日の過ごし方ってどういうタイムスケジュールなんでしょうか?

話し手:南原氏) 南原:そんなに過酷なスケジュールじゃないよ、実際は。以前は午前5時ごろから会社に行ったり、1日10件近く会議があったりもしたけど、今は会社に行って仕事し始めるのも9時頃とかです。大体18時半頃になると、誰かとの会食が入っているので、ご飯を食べに行って。

「冷徹の虎」と呼ばれたマネージメントは、今はどうなっているのか?

聞き手:渡辺) 聞き手:先ほど話された最初起業された頃のお話とかですと会社には24時間365日働くという意味で24365部隊と呼ばれていたんですよね?そのころは、社員のマネージメントもかなりワンマンでされていたってお聞きしたんですが。そのあと、一回会社をリセットされた際に、社員のマネージメントや人との関わり方に変化はありましたか?

話し手:南原氏) そこでマネージメントの考えが変わったっていうのは無いね。

ただ、やっぱり会社規模や時代ごとにこういう考え方は、変わっていくものだと思うんだよ。 例えば24365部隊って言っていたのって社員が5人~10人以下で、その頃は社員に「焼肉食いに行くぞ」って言ったら「社長、今日で5日連続ですよ」とかって言われて。「やなの?」って言ったら「もちろん行きますよ」ってそんなノリの時だから。全員20代前半の男ばっかりだから、5日連続焼肉食っても全然平気だし。

当時大卒初年給が、11万円くらいの時代に、100万くらいするブルガリのクロノグラフを全員に会社支給していたしね。ボーナスも、「横に倒れないボーナスを支給しよう」ってことにして、100万円だとすぐ倒れちゃうから、400万円くらいだと押しても倒れないからね。 それだけボーナスを支給していると、当時は24時間365日でもみんな働きたくなっちゃうんだよね。「今そんなことやったらどう考えても労基違反でしょ」みたいな話になるから、今はやらないけどね。

経営のプロとして、いくつもの事業を成功に導く法則は?

聞き手:渡辺)会社の清算後、またいくつか事業を開始されたかと思いますが、実際事業って同時にどれくらいされていたのですか?今でいう、連続起業家のような形だと思うのですが、南原さんの事業の作り方を教えてください。

話し手:南原氏)数はうまくいったものも、失敗したものもあるけど、大体10個くらいはあるんじゃないかな。実は、なんらかの偶然のきっかけがあって始める事業が多いんだよ。例えば、沖縄のレンタカー屋は実を言うと元々がM&Aの仲介をした案件だったんだよね。

そうした仲介業を始めたのは、当時全く資本金がないため「投資できる資本がなくてもできるビジネスって何だろう」っていうとところで始まって。自分で投資しなくても、10億円のビルを売るだけでも数千万の手数料がもらえたりするからね。そんな仕事だったらすぐ始められるかなと思って始めたら、ビギナーズラックですごい儲かったんだよ。

最初は不動産だったんだけど、大体3億円くらい儲けてね。他にもなんか良いビジネスないか考えていて、M&Aの仲介も同じスキームで出来そうだから始めたんだよ。そこで、沖縄のレンタカー屋さんの仲介をしたら買収先が、ベンチャーキャピタルからも投資を受けているちゃんとした会社だと思っていたら、そのベンチャーキャピタルも騙されていて詐欺師だったんだよね。

結局1年経っても金が払われなくて、売り手の人からクレームを受けてしまって。もちろん、契約書上はうちには責任はないのだけど、なんとかしてくれって頼まれて、当時キャッシュがなかったので、「36回の月賦だったら良いよ」ということになって、自分で経営することになったんです。

最初はもう本当に小さな零細企業だったんだけど、最後は沖縄で二番目くらいの大きさのレンタカー会社にしていったからね。

聞き手:渡辺)そのような小さなレンタカー会社をどのようなやり方で成長させていったんでしょうか?

話し手:南原氏) まずは、大手の旅行代理店などに対して営業を強化したよ。僕らが目指した戦略は、当時はWEB集客が主流だったところに、あえてそうせず大手の代理店への営業を通じて仕事を獲得するというやり方だったんだ。 当時、沖縄に観光客が急増していて、年間300万人くらいの人数が最後には1000万人くらいまでになっていったんだよ。その中で、レンタカーの台数が全然足りないっていう状況だったんだけど、僕らはあえて空港から少し離れた周りにあまり何もないエリアに営業所を作ったんだよね。 他の競合は周りに家とかビルとかあるから、場所を拡張することが難しかったんですが、僕らは周りに何もなかったので、フレキシブルに拡大ができて。結果的に4000坪くらいの敷地の営業所になっていったんですよ。そうなると1日に1000台とか貸し出しても稼働できる余裕があるんですが、大手の代理店だと、とにかく数を確保しないといけないから、小さい営業所でちまちま手配するよりは、一括で依頼できるところの方が楽だし好まれるんですよね。その結果、どんどん仕事をもらえるようになっていったので、急拡大させることができました。

聞き手:渡辺)これまで数多くのビジネスを手掛けられていると思いますが、その中で必ずビジネスで勝つための秘訣やポイントなどは、南原さんとしては意識していますか?

話し手:南原氏)そうだね、ビジネスで勝てる要因って一つのことだけうまくいってもダメだから難しいところだよね。

例えば、レンタカー屋の事例だと、単に営業だけうまくいってもダメで。僕らは、急拡大の中で増車をどんどんやっていくと、やっぱり新車の割合が増えていくよね。その結果、お客さんからの満足度もあがって、代理店からもさらに仕事が増えていく、みたいなスパイラルに乗せていく必要があって。

また、並行して、人も採用して教育して、組織もちゃんとつくっていく必要がありますし、ファイナンスでも、最初は1つのリース会社からとれる与信がせいぜい10台分とかなんですけど、最終的には、1社のリースで500台くらいは相手から提案されるようにもなっていました。

このように、いろんな側面でビジネスを足並み揃えて進めていく必要がある、というのがビジネスの成功には欠かせません。だから、1つだけの成功の秘訣って無いと思います。例えば、組織だけ作るのに注力していても、金がなきゃどうしようもならないし、資金調達だけ上手くても、お客さんが来なきゃどうにもならない。集客が上手くても、車買えなきゃどうにもならないし、ちゃんと車を提供できる体制がないと意味がないということです。

聞き手:渡辺)では、いろんな事業に出会った際に、「あ、この事業いけそうだ」みたいな予感のようなことを感じることはあるのでしょうか?

話し手:南原氏)例えば、今コロナの中で新規に普通の飲食店をやりたいとは思ってはいないけど、飲食店の中でも、コロナのこの先を見据えてやれるようなビジネスモデルもいっぱいあると思う。

一方で、この間「ヘリコプターの会社を買ってくれ」みたいな相談もあったんだけど、これは絶対に買わないよね。だって、今航空測量みたいなものは、今後はドローンでもできるようになるし、災害時の撮影も、もうドローンで十分じゃないかと思うので、ヘリコプターじゃないといけない理由がなくなっているような事業は難しいと思うよ。

でも、そういう右肩下がりの業界でも、うまくいくと感じた事例もあるよね。例えば、僕らは旅館を再生してV字回復させたんだよ。当時、旅館業界はずっと右肩下がりで、ピークで9万軒あった旅館が、既に5万軒くらいになっていて。

旅館10年間の売り上をグラフにしたら、なんと綺麗に斜め45度の右肩下がりなんだよ。こういう業界だと新築で旅館を建てても、投資回収って難しいよね。でも、僕らは既にある旅館を買収でかなり安価に手に入れることができて、そうすると全く違う戦略を作ることができるんだ。

例えば、5億円で旅館を建てて、10年で返済しようとする場合、毎月約500万円は返済しないといけないじゃないですか。そのためには、つまり毎月500万以上の利益をコンスタントに出さないといけない。

ところが、民事再生中の旅館を5,000万で買った場合、10年計画でも毎月50万円の利益で成り立ちますよね。50万だったら、土日だけ営業して稼働率上げれば、利益率も高くなるし、戦略の選択肢も色々考えることができるの

当時の市場で言うと、とにかく旅館として生き残っていくことが重要で。なぜなら、ある温泉地単位でみた場合、立地の悪い端の旅館からつぶれていくんです。立地のいい綺麗な旅館はすぐに埋まっていって、そこが一杯になると、その周りの旅館がだんだん埋まっていくという感じ。そんな状況で、端にあった旅館が潰れて、10軒あった旅館が1軒潰れると、なんと他の旅館は1割売り上げが上がるのです。だから、生き残って、残存者になっていけば、ちゃんと利益が出ていく体制を作れます。

このように業界全体としては、成長性がなくても、個別に見た場合にはちゃんとビジネスとして成立するものもあるので、そういう視点を持つことは重要ですよ。

聞き手:渡辺) そういったトレンドの中で、南原さん自身が生き残りの戦略を、描けるか描けないかっていうのが一番事業を選ぶ際の決め手って感じなんですね。

話し手:南原氏) そうだね。あとは、今後の展開の戦略として化粧品を例にとると、大手の資生堂やKOSEも今後どんどんマーケティングがインターネットにシフトはしていくと思うけど、やはり規模が大きいので、それは時間がかかると思います。

そうすると、僕らが先にYouTuber専門の化粧品の販売会社を作ることができたら、これは大いにチャンスがある領域にはなると思います。

YouTuber南原竜樹の戦略とは?

聞き手:渡辺) YouTubeのお話がでましたが、今南原さんが一番力をいれられているのは、YouTubeなんでしょうか?

そうだね、YouTubeです。 さっきのYouTubeの化粧品会社の話ともつながるけど、YouTubeって外から見ていたら、単なる娯楽のように見えていたけど、自分でやる側に回ってみると、中小企業でYouTubeを使ってない人達っていうのは、すごく勿体ないと思うよ。

だって、僕らがディーラーやっていた時には、朝のCMに月3,000万払わなきゃいけないんですよ。それが今はYouTubeでPRができる可能性があるし、場合によっては広告収入まではいってくるんだからね。

使い方次第でどんなビジネスをしている経営者でも利用できるし、単に物販をするっていうだけじゃなく、例えば物販をするにしても、その商品やサービスの啓蒙活動をするとかいろんな可能性があるよね。そういう事も、YouTubeを自分でやったから可能性を感じるようになったし、やはり自分でやってわかることっていっぱいあるよね。

聞き手:)YouTubeの開始は7月くらいですよね?YouTubeの手応えや方向性はいかがですか?

話し手:南原氏)最初は誰しも同じ様に苦戦するんだよね。1日の登録者数が10人とかで、「こんなの、1万人になるまでに、一体何年かかるの」って計算するじゃないですか。それで、事業計画を作って、進捗を見ていくと、右肩あがりのグラフにどうしてもならない。

でも、1万人を超えたあたりから1日の登録者数が400人くらいになったけど、最近また下がってきて、その繰り返しだね。これを1日500人くらいにはしていきたいね。今は登録者数が18000人くらいだけど、元々8000人くらいは登録者がいたんですよ。

再開してから1万人くらい増加したけど、10万人くらいにはしないとメディアとしての価値がないからね、そこを目標にやっています。

たどり着いた人生の第4のステージ

聞き手:渡辺)南原さんの今後の人生の中で野望や、まだまだやりきれてないことありますか?

話し手:南原氏) 僕ももう60歳なんで、今更「世界を変えよう」みたいなことは思ってないし、ただ人の役に立つことをしたいとう想いはあります。僕にとって今は人生における第4のステージだと思っていて。

第1ステージは、学生時代のいろいろビジネスみたいなことをしていた時代。第2ステージが車のディーラーをしていた時代。第3ステージが、いろんな企業を引っ張ってきた時代。そして、第4ステージっていうのが、今の時代でこれをどう楽しんでいくかっていうのを考えているよ。

聞き手:渡辺)この第4ステージに自ら行こうって思った、きっかけはあったのでしょうか?

話し手:南原氏) 実際、企業の社長で老害みたいになっている人結構いるんです。例えば、70歳になって今更後継者がいないからって、探しいてる人とか。そんなすぐに探すとかは無理だし、そういう企業って社長に頼り切った体質になっているからね。

他には、昔の成功体験が強烈で、それを頑固に持ち続けて、従業員に迷惑をかけてしまっている社長も世の中には、多くいるだろうね。

僕は、そういう風にはなりたくないし、世代交代をちゃんとやっていくためには、事前の準備はちゃんとしておく必要があるよね。関わっていた企業が今後も成長を続けていくことができるために、つまり成長戦略の一環として、手放したという考え方なんですよ。

だから僕がトップにいると、それ以上の成長が鈍化してくるので、僕という人間に制限されない他の可能性によってさらなる成長が可能になると考えています。

聞き手:渡辺)では、最後の質問になるんですけれども、このキーパーソンの読者に向けて、今までの南原さんの人生を通じて一番大事な価値観を伝えていただけましたら。

話し手:南原氏)僕の好きな言葉の1つが「タイミング」だね。遅すぎても早すぎてもダメ。そのタイミングを見逃さずに、起業や人生の方向を決めるべきだと思うね。

聞き手:)なるほど。本日はありがとうございました。

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