アートな捉え方は日常を明るくすることを伝えたい。「バチェロレッテ・ジャパン」杉田陽平の素顔

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氏名 杉田陽平
肩書 現代美術家
出生 1983年
略歴 現代美術家。三重県立飯野高等学校応用デザイン科卒業後、武蔵野美術大学造形学部油絵科に進学。在学中に革新的な絵画を次々に考案し、様々な絵画コンクールで受賞を重ねる。2002年に炎上アート集団「じゃぽにか」を結成し、芸術家としての活動をスタート。2020年にAmazon Prime Videoの婚活サバイバル番組『バチェロレッテ・ジャパン』に参加し、一般層からも大きな注目と人気を得る。

革新的な現代美術家として高い評価を得る杉田陽平(すぎた ようへい)さん。美大在学中から頭角を現し、数々の賞を受賞。杉田さんはアート界の革命児とも呼ばれている。美術愛好家以外の一般層にも杉田さんの存在を広めたのは、Amazon Prime Videoの婚活サバイバル番組『バチェロレッテ・ジャパン』。番組で見せた杉田さんのストーリーや、彼の発する言葉、姿勢に魅せられ感動した人も多い。今回は彼の生い立ちや仕事をお伺いして、リアルな姿に迫る—。

※ 本インタビューは緊急事態宣言が発出される以前に、感染症対策を行なった上で実施しています。また、取材後2週間が経過した時点で、関係者に新型コロナウィルスに関する症状はありません。

『バチェロレッテ・ジャパン』の反響

—【聞き手:松嶋、以下:松嶋】『ザ・キーパーソン』は、ジャンルや年齢を問わず活躍されている方にインタビューし、時代のキーパーソンから学ぶことをコンセプトにしたメディアです。今日は芸術家としての杉田さんにフォーカスして、これまでの道のりや、お仕事に対する価値観、今後の活動についてお話をお伺いする予定です。杉田さんといえば、『バチェロレッテ・ジャパン』に参加し、その時の立ち振る舞いや言葉がとても話題になっています。まずは、『バチェロレッテ・ジャパン』の参加後の反響について、お聞きかせください。

—【話し手:杉田氏、以下:杉田】)まわりの目が劇的に変わりましたね。番組配信後は、SNSのフォロワーが4,000人から20、30万人近くと、何十倍にもなっています。僕が作る作品も3年待ちの状態や、画集も数日で2,000人から予約されて、光栄ですね。僕が着た服が完売してブランドから感謝されることもありました。また、『バチェロレッテ・ジャパン』の中で愛を「花びら」って表現したんですが、それを見てファンになってくれた方が、入れ墨として刻みたいから許可をもらいたいというDMを送ってくれました。嬉しいけれど、一生残っちゃうものだから何てお応えしようか迷いましたね。

でも、実感が湧かないですね。僕は学生の頃から今まで10何年もアート業界にいて頑張ってはいましたが、言葉や姿勢を評価されたことはなかったです。むしろ、「エッセイでも書いたら」と、嫌味を言われちゃってました。配信前に出演者の紹介CMがYouTubeで流れて、僕の番組参加を知った人からは「こんな番組に出たら、アート業界の人がチャラチャラしていると思われちゃう。イロモノ扱いだと思うけど、カッコ悪いから一回戦で落ちるのだけはやめて。」と言われがちで。でも、僕は旅を終えているので「それなりに頑張ったんだけどなぁ」と思いながら、色々な意見をずっと聞いていました。僕は何でも一生懸命やるタイプなので、せっかくアート以外のことをやるんだったら、アートの観点を持ちながら一生懸命やれたらなって思っていました。そうしたら、配信を通じて、みんな僕に対して優しくなったというか。

—【松嶋】撮影時と配信時期は時間差がありますからね。配信を通じて、杉田さんのことを周りが理解するようになったのでしょうか?

フォロワーが増えたりして、変化を感じてくれたかもしれませんね。ただ旅を見ていた人からはよく「杉ちゃんは変わった・成長した」と言われますが、僕自身は何も変わっていないんです。もう一回、同じ環境・設定で参加したら、やっぱり震えたり、奥手になると思います。番組のヒロインである福田萌子さんは女の子を喜ばせるためにカッコつけたものではなく、その人の本質・カラーが知りたい人だということが旅の中で段々分かったから、いつもの自分を段々と出すことができたというのが実際のところです。だから、自分は変わったと思っていないですね。

思考のプロセスを父と学び、言葉を母から学ぶ

—【松嶋】先ほどお話にあった「花びら」は、私もすごく印象に残りました。「花びら」に限らず、杉田さんの言葉が印象に残っている人は多いと思います。杉田さんは昔から不思議な子だと思われていたとお話しをお聞きしましたが、小さい頃はどんな子供だったのでしょうか?

—【杉田】小さいころから物を作ったり、考えることが好きだったんですよ。けれども、単に作るだけじゃなくて、何か叶えたい目標に向かっていました。例えば魚を釣るという目標があれば、魚のことをたくさん調べるんです。その池に住んでいる魚が食べているものや、夏は暖かいから海上にいるのかな…と仮説を立てるんです。そうして、捕食される魚にそっくりの擬似餌を木やアルミホイルで作って釣ってみる。上手く行かないと、色を変えたり、重たくしたりと、仮説を立てることと検証を繰り返すんです。考えたり、工夫するプロセスが好きなんですよね。

原点で言うと、ミニ四駆がすごく好きだったんです。僕が幼稚園の時に、祖父と出かけたら、イベントがやっていたんです。子どもたちが車を動かしていて、競争させていて。その時は何なんだろうなぁ」と思ったんですが、後からミニ四駆と知りました。後日、デパートのおもちゃ屋に行ったら、ミニ四駆が売っていて、ねだって買ってもらったんですよ。遊んでいるうちに、今度は走らせるコースが欲しくなるんですよ。でも、コースは大きくて高いので、買ってもらえないんですよね。それで父と一緒に近くのスーパーから段ボールを貰って、簡易的なコースを作るんです。友達を呼んで、走らせる。そうすると必ずどちらかが速くて、どちらかが遅い。優劣がつくんです。「何で同じように作っているのに、自分は遅いんだろう」と考えて観察すると、「後ろにもローラーがないと、カーブでタイヤが擦って、抵抗が生まれる」と気づくんです。また父と一緒に工夫して、いつしか勝てたりする。でも相手も上達していたりして、どんどん競争するんです。そういった目標を見つけて、考えて、自分の良さを知ったり、上手く行かないものを工夫することが好きだったんですよね。

—【松嶋】お人柄は両親との関わり方から来ているところが大きいんですかね?

—【杉田】工夫して、考えて楽しむことは、父から学びました。父は工業系の人なので、もの作りが好きなんです。口数は少ないですが、一緒に仮説を立てたり、工作をしたり、検証して改善することが好きなんですね。片や、母は本が好きで、食事の時に自分が感動した話を聞かせてくれていました。

—【松嶋】小説をですか?

—【杉田】小説に限らず、もう全部なんですけどね。テレビに映っているタレントのストーリーや、映画だったり。幼い自分でも理解できるようにかみ砕いて話してくれました。それを聞いた自分は「そんな素敵な話があるんだ。いつか読みたいな」と感じて、覚えていました。

—【松嶋】杉田さんがつむぐ言葉について他の人から言われることがあると思うのですけれど。ご自身では、どう感じていらっしゃいますか?考えるときもお母様から受け継いだ言語能力も活きていたのかなと思うのですけれど。

—【杉田】自分は普通だと思っているんですよ。だから、武器とは全然思っていなくて。嬉しいですね。自分の言語の特徴としては、アウトラインを丁寧に追いかけようと思っています。例えば、素敵な女性がいたら、色んなことを想像するんですよ。プロポーションが良いと、この肉つきはアスリートなのかな、洋風スタイルだから変わりたいと思っているのかな、とか。そうしてこの女性ともっと近づきたいと思うと、自分の中で憧れや想いが生まれますよね。その時の感情を僕は雲のように感じているんですよね。モヤモヤとした、抽象的なもので、湿度などの色々な条件で変わるものだと思っていて。それを丁寧に描写していく。「美しいから好き」と、簡単に伝えてしまうのではなく、「他の女性とは異なる美しさがある」って、モヤモヤしたものをああでもないこうでもないって、探りながら発して近づけていく。

萌子さんに対しては、「すごく一緒にいたいんだけれども、信じてくれないよね?」「まだ時間も経っていないし、特殊なムードだし、信じていないかもしれないけれど、でも本当なんだ」みたいに、大事に一つずつを噛みしめながら伝えていく。最後のシーンだったら「一緒に暮らしていきたい。萌子さんの精神面とか、眼差しを理解しているつもり。だから、まだまだこれから理解していきたいし、こんな短い間で、と思われるかもしれないけれど、自分なりに萌子さんの理解者になれる自信があるから、一緒にいたい。でも、ケビン君の方が一緒にいるから、理解者としてはケビン君の次ぐらいかな」と伝えました。そういう丁寧さです。受け手も、丁寧に発してくれた言葉を、重みに感じるじゃないですか。単に「好き」って、たくさん言われるよりも、その「好き」に重みが生まれる。そういうのを大事にしながら、追いかけながら喋っています。言葉って喋ったら消えてなくなるってものではないんですよ。

母からは言葉や目の前の人に合わせて言語を変換しながら一生懸命伝えることを、父からは工夫してフィードバックする精神を得たんだと思います。たぶん、両親はバランスが良く取れているのかもしれないですね。それでいて無欲で。あんまりレールを敷かない両親で、僕が能動的に説得しないといけなかったですね。例えば、ちょっと高価な欲しいものがある時は、プレゼンテーションが必要だったんです。さきほどお話したルアーの例で言うと、鉛を入れて泳がせたい時に、チタンと銅の違いを説明する必要があったんです。「小っちゃくて、重たいってことはそれだけキビキビ動いたり遠くに飛ばすことができるんだ」って。なんだかんだ言って最後は買ってくれても、プレゼンテーションをする機会があったんです。僕も苦労して買ってもらったから、充実した成果を出したいと思っていました。

—【松嶋】小さい頃に考えて感じたものを尊重してくれる環境があったのですね。

—【杉田】今まで、否定されたことはないですね。両親は田舎の村社会で過ごし、保守的な家庭だとは思うんですけど、僕に対して否定せず、尊重があるんです。その上で、自分たちの意見をちゃんと言ってくれるというのがありました。押しつけも、あんまりないんですよね。

美術との出会い

—【松嶋】美術との出会いはいつ頃でしょうか?

—【杉田】目標を見つけて、考えて、工夫する活動の中に、絵もありました。最初は姉がデパートのコンテストに絵を出していて、「陽平も描くかい」って言われて、描きはじめました。手先が器用だったこともあって、賞をたくさん取らせてもらったんです。僕としては、ただ絵を描いているだけなのに、親も喜んでくれるし、「素晴らしい」「天才だ」って言ってくれる人もいる。普段はちやほやされるような子ではなかったのですが、美術や図画工作、コンテストの時だけはヒーローになれたんです。 ただ、アートの将来は厳しいこともわかっていました。しかし、中学校3年生のときに美術高校を両親に勧められて、ガイダンスに行きました。そうしたら、先生が「絶対来て」って言ってくださったので、進学しました。

—【松嶋】美術高校への進学は親御さんの勧めだったんですね。親御さんの勧めで美術系へ進学することって、一般的にはあんまり聞かないと思いますが。

—【杉田】両親は何にも考えていないんだと思います。あまり欲がない親で、「目立たなくても、大成しなくていい。健やかに生きてくれたらそれでいい。」というタイプなんです。僕が窮屈さを感じながら嫌々勉強して普通科の高校に行くよりも、生き生きできるフィールドの方がいいんじゃないかと考えてくれたんだと思います。

—【松嶋】親御さんも、それが本当に良いことだと思って言ってくれたんですね。

—【杉田】やっぱりそこはよく聞かれるんですよ。その後、美大の油絵科に進学するんですが、いくら絵が上手くても油絵科に行くのは非現実的じゃですか。美大に行くのは許しても、デザイン科を勧めるのが普通ですよね。就職とリンクしているし。油絵科は卒業しても、その先の道がほとんど不透明なので、油絵科に進学させることは怖いことだと思うんですよ。だから親は多分、あまり深く考えていないんだと思うんです。「この子はそっちに興味があるし、手先が器用だし、合ってんじゃない?」くらいの考えだと思います。東京藝大に行きたいとなると、東京藝大は東大みたいに三浪・四浪が当たり前の世界なので、多浪しちゃうかもしれない。そんなの怖くて親は許せないじゃないですか、普通は。僕の両親は受かるとも思っていないんでしょうけれど、受からなくても別にすくすく育ってくれたらそれでいいぐらいの感じなんですよね。こっちに行ったら危ないとか、こっちに行ったら確か、という風にレールを敷いてくれるタイプではないんですよね。自分で考えるように言われていました。

評価されなくても、自己否定が強くても、自分を支え続けた自己愛

—【松嶋】杉田さんのお言葉で、特徴的だったのが「自己愛」だと思います。他のインタビューでも、「今回参加された時に自己愛を持っていてよかったと感じた」とお話しされていました。親御さんの教育が、また繋がっているのでしょうか?

—【杉田】僕の言う自己愛は、自分のことが大好きということでもないんですよね。僕は自己否定が強いんです。ただ、否定的な気持ちが9割あるとしても、1割に自己愛があって、その自己愛が自分を支えてくてました。どういうことかというと、もし自分に美術の才能があったら、もっと早く出世していたと思います。10年美術をやっていても、大きな美術館で個展ができないということは、そんなもんなんだと思います。彼らだって目利きですから。じゃあ、絵をやめるかっていうと、自分を完全に殺しちゃうぐらい否定的にはなれなかったんですね。フィールドを変えたら、活きる場面があるんじゃないかもしれないと、思えて仕方がなかったんです。というのも、僕の作品を買ってくれるお客さんがいるんですよ。

アートに一番愛がある人たちは、ギャラリストもやアーティストよりも、お客さんなんですよね。ギャラリストやアーティストは、欲望があって美術をやっている部分があると思うんです。ですけれど、コレクターは50万払って買った作品も、作家がやめたら、ただのインテリアになる。一生懸命考えて100万円投資しても、それが返ってこない率は高いんですよ。どれくらい才能があるっていう風に広告を打たれても、99.9%の人はやめてしまう世界なので。それでも、買って楽しむ人はすごく愛があるし、言葉に重みがあるし、作家の今後を心から楽しんでくれるプレイヤーなんです。

自分は叩き上げで、作品を代理で売ってくれるプロデューサーや代わりに広告を打ってPRしてくれるギャラリストはいなかったので、自分で売るほかなかったんですよね。場所はタダで貸してくれるけれど、売るのは自分という状態がずっと続いていたんです。10日や2週間の展示をした時、毎日毎日、雨の日も台風の日も誰も来ないかもしれないけれど、待つんです。そうすると、たった1人でも来ることはあるんです。時には100人来ることもありますけれどね。どういう思いで作ったかを話して、なんとか自分のファンになってもらう。自分にとってはその1人は100人分の価値があり、宝石だったりするんですよね。今よりもっと無名の時ですからね。それをずっと繰り返して、いつしか完売作家になっていくということだったんですね。なので、そのお客さんたちに成長させてもらったし、可能性を信じてまだ続けようかなと思えたのは、その人たちがいたからですよね。僕のたった1割の自己愛は、そこにあるんだと思います。僕が言う自己愛は、そういうことです。

虎視淡々と、武器を磨きながら機会を待つ

—【松嶋】大人になってからはお客さんに支えられて、今があるんですね。美術はどんな感覚でやられていたんですか?

—【杉田】美術は難しい世界って言われているじゃないですか。毎年、色々な美大や藝大から2,000〜5,000人卒業して、その中から大体50人にスポットが当たり、大々的にPRされてデビューできるんです。でも、去年デビューできた人が今年も展覧会をできるかというと、そういう訳ではなくて。去年デビューした50人が、次の年には5人、3年後には1人、10年後には0人と、それぐらい生き残るのがすごく難しい世界なんですね。みんな自分の作品は素晴らしいと思っているはずなのに、認められない、食えない。保証も担保もされない。ほとんどの人は「こんな世界やってられない」って、やめていっちゃうんですよね。でも難しいって分かってるじゃないですか。特に予備校の時なんて、自分の時間がものすごくあるので、自己を掘り下げつつ、不安になったりするんですよね。その時に色々な巨匠や若くても売れている人の年収、作品の値段に関する知識はたくさん蓄えていました。50億で売れていると、「なんで?」って疑問が浮かぶんです。僕にとっては良い絵なのに、5万円でも売れないものあったりして。それらを比較すると、「やっぱり現代アートって白人の世界なんだ」「アジア人だから差別されているんだ」「でも村上隆はアジア人っていうのを利用して欧米の中に行ったんだ」とか、ストーリーが見えてきますよね。そうやって多角的に見ていると、値段は闇雲についている訳じゃなくて、他とのバランス・比較でできている。クオリティが担保されていないと、流行りで高くなったものも、何年後かには落ちていくと、変動することなど、段々分かってたんです。それは、不安の蓄えにもなるんですけれど、自信の蓄えにもなる訳ですよ。クオリティに対する値段がわかると、自分も「このぐらいは描ける」「これぐらいのスキルはある」と。

ただ、自分はキャリアやストーリーがないので、これから作ったらいいんじゃないかと思いました。成功例は無数にあって、賞を受賞する人、プロデューサーに見つけられる人、美人画家として売れる人など多種多様で、それだけ自分にも可能性があるんだって思えたんですよ。腕試しに若手のコンペに出そうとしたりして、自信と不安と臆病さを身に着けながら、いつかフィーチャーされる時が来るんじゃないかって、虎視眈々とチャンスを狙っていたんです。

上手く行かなかったら、上手く行かないなりにそれを逆手に取る。例えば、ミニ四駆で言うと、手先が不器用で特殊なセッティングはできなくても、仲良くなる能力があったりすると、速い人のセッティングを真似する能力があったりするんですよね。逆もありますけどね。つまり、自分のコンディションは捉え方や活用の仕方によっては武器になることを知っていたので、いつかそれがバネになるよう、ずっと武器を磨き続けていたんです。

アート的な捉え方は日常を明るくすることを伝えたい

—【松嶋】「じゃぽにか」もその取り組みの一つなんですか?

—【杉田】それは遊び心の1つで。何でも真剣にやるタイプなので、野心があったり、好奇心が強い人たちが集まって、仲間になったんですね。それが「じゃぽにか」の原形って言われている人たちなんですけれど。当然、みんな絵描きになるばかりじゃなくて、大学の先生や、予備校の先生など、違う仕事に就く人もいます。ですが、みんな熱い気持ちと特殊能力を持ったような人たちなんですね。飲み会を年に1回開いていて、その飲み会の名前が「じゃぽにか」だったんですよ。30歳になった時に、何かやろうという話になって、目標を決める流れになったんです。当時、岡本太郎現代美術賞という、現代美術の中では最難関と言われているコンペがあり、そこに「じゃぽにか」として応募することにしました。SNSでふざけたことを投稿して炎上させちゃう「バカッター」がホットなトピックだったので、それをパロディにして現代アートにしたら特別賞をいただいたんです。それで、「じゃぽにか」としてデビューしました。

—【松嶋】「じゃぽにか」では「杉様」という設定で、今の杉田さんと全然違うキャラクターで面白いなって思いました。

—【杉田】「じゃぽにか」は友達アートっていうのがアイデンティティなんです。現代アートは難しいもので、カッコつけていたり、使命感があるものなんですけれど、「じゃぽにか」はそうじゃなくて、世間から認められなくても友達や親友と内輪ノリで戯れているものなんです。それを周りがどう捉えるか?作品として成立したときの意味があるかを見てみたい気持ちもありました。僕は後ろのほうにいるタイプだけど、そういう人が俺様キャラになると、そのギャップが楽しいかなって。

—【松嶋】アートをもっと身近にしたいお気持ちも強いのかなって思ったのですが、そこに関してはどんな考えをお持ちなのでしょうか?

—【杉田】「アートを身近に」しようとする取り組みは、昔からあったんですよ。だけど、「アートを軽くしよう」というメッセージなんですよね。僕はそうじゃなくて、「アート的な捉え方はすごく日常を明るくするよ」ということを言いたいんですね。例えばアート系YouTuberの方は、ピカソやウォーホルがいかにすごいかを説法するのが多いんですね。僕は現代アートの見方を説明したいとは全然思っていないんです。例えば、企業の開発案件でアイデアが煮詰まった時に、第3のアイデアとして、「これを空っぽにして、松ぼっくりを入れて、窓に飾ったらアートになるよね」と言える人がもしいたら、少し考えや場の雰囲気が柔らかくなるじゃないですか。

今、図画工作や美術の授業がどんどんなくなっています。受験に必要ないから省くという考えはわかるんですけど、実は美術や図画工は生きる上で重要なんです。手先を器用にするというよりも、物事を多角的に見る訓練なんですよ。ピカソもただ単に写実的に捉えるんじゃなくて、それを再構成したり。アートはそもそも新しい見方を啓示する活動ですからね。

バチェロレッテでも萌子さんが曇り空を見て、「わぁ綺麗!」って言ったシーンがあるんですよね。それを他の男性は「曇り空なのに綺麗って言ってる。」と、不思議に思っちゃう。でも、僕は萌子さんの見方がすごく分かるんですよ。ちょっと暗くて淀んだ曇り空は、向こう側が青空だったりして光が差して、木漏れ日が海に映って、すごく綺麗だったりするんです。曇り空だからこそ、色々な色が存在していて、そのことを美しいって言っているんだろうなって、容易に想像がつくんですね。だけど、普通な捉え方をしているだけでは、そういう物の見方ってなかなかしにくいじゃないですか。でも、僕らの仕事は、赤でもピンクでもない、その間のなんとも言えない中間色にすごく意味があるというのを唱える役目なんです。もっと日常の中にアート的な捉え方だったり眼差しが増えたら、想像力がはたらいて、相手を思いやれたりすると思うんです。それで解決はしなくても、滑らかになることって多い気がするんですよね。だから、アートは日常に潜んでいますよっていう当事者意識を持ってもらえたら、日常はもっと変わるんじゃないかというのが言いたいですね。

何気ないものが劇的なドラマを生む

—【松嶋】お人柄とアートが結びついていると感じましたが、ご自身ではどのように思われていますか?

—【杉田】僕自身は何気ない存在でありたいんですよ。そこにある、生きている。それ以上でも以下でもない状態を目指しています。学生時代に、イケてるグループとはぐれ者みたいにキャラが分かれていたと思うんですが、その中で忘れてしまいそうな子がいるじゃないですか。僕は、たぶんそれなんですよ。僕のことは覚えていない人が多いと思います。そういう脇役じゃないけれども、主役でもない、何気ないものが尊いんだって唱えたいし、自分もそうありたいんですね。何気ないものでいようとすると、自分に固執することがない。だから、自分が強く正しいと思うことがあっても、違う見方をしようと謙虚になるし、相手の意見が固く聞こえても自分が間違えているかもしれないから聞いてみようとしたり。そうして、知れば知るほど、いかに自分が何気なく物を見ていたか、いくらでも発見があるんですよ。そういう発見していく精神や脇役を主役のように捉えることが好きだし、自分がそうでありたいんですよね。

—【松嶋】まさにその感覚に萌子さんはびっくりされていましたよね。杉田さんには、気づきや観点がすごく多いって。

—【杉田】萌子さんはすごく感度が良い方で、擦れていないんですよ。台湾に滞在した時にみんなと一緒にランニングをしました。彼女は体を動かすお仕事をしているので、男性の中で最後までトップで走り続けられた人がデートにありつけると、みんな思っていたんですね。僕はついていくのがやっとだったのですけれど、信号待ちの時に「杉ちゃん、良い汗かいてるね~」と気付く人なんですよね。ビルの玄関に花が咲いていて、「あの黄色い花、なんだろうね」と言いながら走るんです。そうやって立ち止まることができる人なんですよね。ただ体を鍛えるだけじゃなくて、日常の中に忘れてしまいそうな美しいものに気づける観察眼がある人なんですよね。だからこそ人の本質を見る、見抜くことができてしまう。「何かあるんじゃないか」という風に聞く耳を持つことができる。だから僕にとっては奇跡的な人でした。そんな人に出会ったことないし、現代社会では調教されて、どんどん大雑把になっていくんだと思うんです。小さい子みたいに好奇心を持って、「綺麗な花だね」と言える大人は少ないじゃないですか。この人の良さ・素晴らしさを知りたいし、もっと自分の言語で魅力を伝えていきたいと思っていました。自分には大切に思えた時間でした。

—【松嶋】:萌子さんもご自身と感性が似た方と会ったことがないから、杉田さんに興味を持ったんだと思います。ご自身もそういう風に感じられていましたか?

—【杉田】僕をなぜいいと思うかは、マウント取ってるみたいで聞けないですね。 やっぱり特殊な環境の中で起きていることだったので、自分も半信半疑だったというのが実際のところなんですよ。抱きしめてくれたり泣いてくれる時があって、彼女のことを信じてはいるけれど、「ホントに?」と思うところがあって。でも、あまり疑っていても、彼女にとっても失礼だから、「本当に思ってくれているんだったら嬉しいなぁ」と、不安もありつつとりあえず信じようと思いました。

僕の実家に来てもらった時にりんごの木を一緒に植えて、僕が告白をしたんです。そして、今後も旅を共にする男性を選ぶローズセレモニーの時に、一緒に選ばれた男性、黄君の前でハグをしてくれたんですね。それはどういう意味かっていうと、僕がルターの言葉で「一緒に今、りんごの苗を植えられること自体がゴールで、成果よりもそのプロセスが自分にとっては大事なんだ」って伝えたんですよ。そうしたら彼女は、「あの時、すごく嬉しかったし、感動したから、抱きしめさせてくれ」って言ってくれました。「今日言いたかったことや感動したことは、言わないと忘れられて薄まってしまう。明日じゃダメなんだ」という意味合いのルターの言葉で返してくれたんです。僕はそれを聞いて、まだ愛じゃないかもしれないけれど、自分のことを特別な気持ちで見てくれているんだって思ったんですよ。黄君に対しての当てつけだと考察している意見もありましたが、実際はそれぐらいスペシャルに見てくれているんだなって実感したシーンでした。

—【松嶋】杉田さんは変わっていないと、お話しされていたんですけれど、とはいえ1人の女性を通して自分と向き合う時間の中で、変化はありましたか?

—【杉田】萌子さんからも、参加者からも得るものはもちろんありました。両方ともすごく大事です。あの旅は待ち時間が多いので、会えない時間が育んだ部分はあります。会えない時は参加男性と関わったり、現代においての恋愛・結婚について考えたり、萌子さんと次会う時のことを想像したり、萌子さんの言葉の意味を考えたり。考えることが多かったんだと思います。

萌子さんは衣装が自前なので、「黄色の意味は何だったんだろうなぁ」とか。全部メモしていたので、それを読み返しながらずっと自問自答していました。それが、きっと彼女と会った時に潔さを生んでいるんですよね。あれだけ考えているんだからって。そして、選ばれなかった人たちの分まで堂々とするべきですしね。だから、嘘でも堂々としていたし、それが映像では段々キリっとして、成長しているように見えるんだと思います。

そして、参加者の人たちの良さですよね。黄君、チャミ、ローズの良さを考えて、彼らの良さを自分が取り入れられたら良いなと思って、会った時には「教えて」って、聞いていたんです。

—【松嶋】そこもミニ四駆で培った、仮説検証の知恵があったんですね。

—【杉田】そこは無意識だったかもしれません。でも参加者からもファッションだったり、姿勢を真似して、少しでも良くしようとしたかもしれませんね。ミニ四駆も競争しますよね。なのに、ライバルに教えるんですよ。それってライバルを生んじゃうじゃないですか。負ける率が高くなっちゃうじゃないですか。でも、共有するんですよ。意固地な人もいるけれど、みんな「ミニ四駆とは何ぞや?」をやりたいんですよね。当然、優勝はしたいんだけれども、「去年のミニ四駆よりも研ぎ澄まされたよね、今年は」「そもそも何のために走っているんだろう」っていうのを知りたいんですよね。

—【松嶋】今の話を聞いていると、成長された・変わったように見えたのは「自分を出してもいい」というブレーキが外れたからなんですね。それは杉田さんが元々持っていたものですよね。でも、世の中の人ってそれをダメって言われて生きてきて、自分のものじゃない言葉を自分の言葉のように喋るようになっていると思います。杉田さんにはそれが残っていたからこそ、今も自分を出せるんじゃないかと感じますが、いかがでしょうか?

—【杉田】やっぱり理想を求めたいじゃないですか。集団心理で、一人をいじったりすると他の人たちが結束しちゃうことってあるじゃないですか。それは理想じゃないですよね。本当は、みんながそれぞれのカラーを持って、響き合いたいと思うんです。この人がいるからこそ、僕が響ける、成長できる。響き合いの中で、一人ずつがここにいる必要がある。陰でいやらしいことをして、萌子さんの前だけは紳士になったところで、理想じゃないじゃないですか。後で知っちゃうし、結婚生活も続かないじゃないですか。番組としては、面白いかもしれないけれど、参加者もそんな風にしなくたって、お互いに尊重し合って、本当のバトルをする。その方が視聴者も絶対に喜ぶじゃないですか。そうしようと意識してはいませんが、真剣に向き合えば向き合うほど自然とそうなるんですよね。ある人たちのチームワークを良くするために自分がいじめられることもたくさんありますけれど、それって本当は誰も気分がよくないじゃないですか。自分や選ばれている人たちは、そんなにレベルは低くない。だから一番難易度の高いものに挑戦していったんです。

—【松嶋】その中でブレーキも外れていって、より出せるようになるし、みんながより出せれば、その場が一番良い状態になっていく。さっきの「何気ない存在でいたい」というのも、自分だけが目立つんじゃなくて、自分も含めて全体がハーモニーとして成り立つのがお人柄に出ているんですかね?

—【杉田】女の子ってピンクが好きじゃないですか。ピンク色が目立つように絵を描こうとしたきに、ピンク色だけを塗っても絵にならないんですね。そこにピンクに合う黒が、画面上の9割ぐらい入っていて、ピンクが少しだけでも、ピンクが主人公になるんですよ。ファッションもそうですよね。そういうのって関係性じゃないですか。好きなやつを並べたからといって、それが主人公になるとは限らなくて。もしかしたら僕がストーリーの中では準シンデレラみたいに際立って見えるかもしれないけれど、それは僕がすごいんじゃなくて、輝かせてくれる人たちがいるからなんですよね。特に黄君の努力にはみんな共感する部分があると思うんですよ。ダメなところを補いながら、少しでも良い男になろう、社会にとって良い人材になろうとして、頑張ってきた彼がいるからこそ、僕みたいに好きなことしかしてこなかった人がハーモニーになれる部分もある。そういう風に考えると、照らし方によってはみんな主人公なんですよ。だから、何気ないものが劇的なドラマを生むって僕は思うんですよね。

—【松嶋】個性の強さじゃなくて、どこにでも個性は存在していて、それをどれだけ引き上げて全体のハーモニーを作れるか、ことですね。

—【杉田】壁にぶつかったり失敗したことは、学びやストーリーに変えられると思うんですよ。最初から上手く行っていたら、何もないですよね。そう考えると、毎日が輝くじゃないですか。そういうムードの中で、他の人と一緒に働けたり、生きていけたら、ものすごく良いじゃないですか。アートは、そういう考え方を濃縮して閉じ込めたツールなんですよ。

杉田さんの今後

—【松嶋】杉田さんが色んな観点で今後やられていきたいことをお伺いします。まず1つは「アフター・バチェロレッテ」。2つめは画家としての杉田陽平さんは今後どういう風に社会で生きていきたいのかお聞かせください。

—【杉田】まずバチェロレッテに関しては、感謝のほかないですね。感謝してもし切れないくらいです。「普段の杉ちゃんが一番いい」と言ってくれた、スタッフやプロデューサーに感謝したいです。萌子さんにも、他の参加者の人たちへの感謝も忘れずにいきたいですね。自分がすごいんじゃなくて、「すごい」と感じさせてくれた人たち、僕を輝かせてくれた人たちのことを最優先に考えながら過ごしていきたいですね。

画家としての僕は、今までとスタンス変わらず、やっていきたいですね。アート業界にいる人は、バチェロレッテなどの俗世間的なコンテンツを観ないんですよ。だから、アート業界の場に僕が行っても、何にも言われないんです。ただ、Facebookやインスタのフォロワー数がいきなり2桁増えたり、テレビに出たりすると、初めて「嫁さんに杉ちゃんのサイン貰ってこいって言われたんだけど、すごくなってるの?」と聞かれたりして。それくらい、全然知らないんですね。でも、それでいいと思っているんです。それぐらいアートの人たちは集中して、やればいいと思っているので。僕もこれまで通りしっかり個展や作品で良いものを出す。欲しい人がいたら丁寧に対応していく。もしかしたら展覧会の規模が大きくなるかもしれないですけど、最初から最後までできるだけ話す。スタンス変わらずやっていきたいですね。

—【松嶋】ありがとうございます。最後に人生やキャリア悩んでいる人にアドバイスをお伝え頂けますでしょうか。

—【杉田】新しいことにチャレンジしたり、枠からはみ出そうと言うのは簡単じゃないですか。でも、できないのが人間だと思うんです。人間って変わろうとしても変わらないんだと思うんです。アプリケーションは変わるかもしれないですけど、ハードディスクは変わらない。とはいえ、ここぞとアクセルを踏むべき時はあると思うんですよね。それがいつなのか、はたまた仕事なのか恋愛なのかも、みんな違うと思います。でも、みんなに反対されても、アクセルを踏むべきだと感じられる直感は、みんな備わっているんだと思うんです。その直感を信じるために、普段の何気ない運転を心掛けるって言うのが大事だと思っているんですよね。

状況って刻々と変わっていって、時には想像つかないこともありますよね。その生き物のように、悪魔のように蠢いているものと親密になれるかが一番大事じゃないですか。そのためには、失敗や成功といった経験が直感力を鍛えるんだと思うんです。なので、ダラダラと悩み、迷っている日常を大事にする。そうして、ここぞという時にアクセルを踏む力や、センサーを磨く辛抱強さが大事なんですよ。目を凝らしながら、耳をそばだてながら、虎視眈々と我慢強く、辛抱強く、待って、待って、待って暮らしていく。動くというよりも待つ辛抱強さと観察する目が僕は一番大切な姿勢な気がしますけれどね。変わらないことも大事だと思うんですよ。だって、起業してもほとんどの人が失敗する訳じゃないですか。みんな信じてやるのに失敗する。だから、辛抱強く待つのも、すごく大事だと思うんです。その人にとっての何でもない日常を、辛抱強く暮らしていく。それが大成功の素な気がしますけれどね。

—【松嶋】その辛抱強く待つ心構えやスタンスで、今まで美術をやられていたんですか?嫌になったり、飽きちゃうこともあったのかなと思うんですけれど。

—【杉田】画家さんって神経質でこだわるイメージあるじゃないですか。僕は、こだわりを持たないことがこだわりなんですよ。髪型や服装、描いてる絵、スタイルとかも。美術高校も勧められていったみたいなところもあるし、流されているんですよね。他人の方が自分の合っていることを知っていると思うんです。他人の中から自分を拾って、それを活かしていくことが大事だなと思っていて。変なこだわりや変な信念を持たないことを大事にしているんですよね。とりあえずいいって言われるなら、その髪型に挑戦してみたり。こだわりを持たない方がフレキシブルに動けますし、人ともぶつからない気がします。

—【松嶋】そうすると感じる力も高まるんでしょうか?

—【杉田】人にもよるとは思います。でも僕に関して言えば、相手から「自分の拙いことを言った時に、杉ちゃんは誤解して捉えたかもしれないけれど、びっくりするような感じで返ってきた」と、喜んでくれることが多いんですよ。2個を言ったら5個返ってきて、今度は10個伝えたら15個返ってきそうと期待されたりして。それが良いキャッチボールになるんですよ。そうしたら、相手もたくさん教えてくれますよね。参加者の男性も「杉ちゃんみたいなタイプが自信をもって勇気を出して動いたりすると、女の子はときめくよ」と言われて、「そうなんだぁ、どっかでやるか」みたいに。他人から学びながら、ぼんやりやっていく。だから、自分を大事にはするんだけれど、あまりこだわらないで頑張る。仕事もそうです。絵だけ描いていたらいいようなものだけれど、子どものアート的なおもちゃを開発したり、香水をプロデュースしたり、美容系YouTuberの人たちとコラボできないかと考えたりすることって、新たな自分を知れるし、相手も喜んでくれる。そうすると良い影響が出て、びっくりするような人たちから声をかけてくれる。また自分が学んで、違うところで活かせる。そういう、自分も他人も大事にして、こだわらないことにもこだわって、という矛盾を抱えながら、今まで通り暮らしていきたいです。

—【松嶋】本日はありがとうございました。

—【杉田】ありがとうございました。


【撮影協力(場所提供)】株式会社アイスタイル様