「今とても楽しい」暗黒時代と大胆なキャリアチェンジを経て、山本有里がたどり着いたスタートアップコミュニティマネージャーの仕事

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氏名 山本有里
肩書 株式会社WELLS U 代表取締役|MTG Ventures / PRE-STATION Aiコミュニティマネージャー
愛知県生まれ。金城学院大学現代文化学部卒。リクルートキャリアにて中途採用支援を経た後、人材系ベンチャーにて東海支社の立ち上げを経験。2017年から名古屋のスタートアップ・ベンチャーを盛り上げるための交流会・イベントを個人活動として主催。2021年4月独立し、愛知県のスタートアップ支援拠点「PRE-STATION Ai」及びMTG Venturesのコミュニティマネージャーを兼務。イベント企画・開催、マッチング支援、コミュニティ運営を中心にスタートアップ支援を行う。

「今、スタートアップが盛り上がっているのはどこ?」と聞かれたら、真っ先に名前が挙がるのは名古屋だろう。

スタートアップの新たな聖地として注目が集まる名古屋で、コミュニティマネージャーとして活躍しているのが山本有里氏だ。

同氏は、スタートアップの支援だけでなく、イベントの企画・運営まで、活動の幅を広げ続けている。そもそも、日本では認知度が低いコミュニティマネージャーとして活躍するまでには、どのような過程があったのか?

今回は山本氏を招いて、同氏の過去~現在までの道のりについて伺った。

「友達がいない」暗黒時代を乗り越え、人と関わる楽しさを知

—【聞き手:松嶋、以下:松嶋】自己紹介をお願いします。

—【話し手:山本有里氏、以下:山本】株式会社WELLS Uの代表をしている山本有里と申します。現在は、2024年10月にオープン予定の日本最大級のインキュベーション施設「STATION Ai」の前身であるPRE-STATION AiとSIXPADやReFaなどで知られるMTGグループのコーポレートベンチャーキャピタルである株式会社MTG Ventures、計2箇所のコミュニティマネージャーをしています。

—【松嶋】具体的にはどんな仕事をされているのですか?

—【山本】コミュニティマネージャーとして、PRE-STATION Aiの施設の入居スタートアップやMTG Venturesの投資先のスタートアップのお手伝いをしています。MTG Venturesの投資先では、毎月定例ミーティングに参加して、協業できそうな企業を紹介することもありますし、私はHRのキャリアが長かったので、採用業務のサポートをすることもありますね。そのほか、起業家や大企業で働いている方を招いた交流会を開催したり、MTG Venturesではキャピタリストとしての役割もさせていただいたりしています。ベンチャーキャピタリストの仕事については、もともと興味はなかったのですが、素晴らしいキャピタリストの方々との出会いから刺激を受け、起業家とともに未来をつくる素晴らしい仕事だとワクワクしながら勉強しています。

そのほか、イベントの企画やMC、トークセッションのモデレーターなどの依頼をスポットでいただくこともありますよ。

—【松嶋】人と接する仕事が多いのですね。昔から人付き合いは得意だったのですか?

—【山本】いいえ。人付き合いは苦手な方でした。実は、小学校6年生~中学校3年間は、私の中で人生の暗黒時代なんですよ(苦笑)。

洋楽が好きだった父親の影響で、小学校6年生になるくらいに私も洋楽が好きになって、周囲がモーニング娘。の話をしているときに、私は一人でビートルズやアヴリル・ラヴィーンの出身地を調べていて。海外のことを調べるうちに「自分の知らない世界がこんなにあるんだ」と魅了されて、どんどん洋楽・海外の世界にハマっていったんです。

—【松嶋】学生時代は周囲の人と話が合わなくなると孤立してしまいがちですよね。

—【山本】そうなんです。周囲と話が合わないことに加えて、母が病気がちで毎週末に通院していて、私も付き添いで病院に通っていたので、友達と遊ぶ時間があまりなかったというのもあります。子どもながらに、母が長く生きられないことを悟っていたので、友達と遊ぶよりも母との時間を過ごすことを優先していました。母が14歳の時に亡くなった時には、「生きる意味がないな」と思うほどに落ち込んで……。弱音を打ち明けられる友達もいなかったので、現実逃避をするために、ますます海外文化にハマっていきましたね。

—【松嶋】今の明るい山本さんからは全く想像ができないですね……。

—【山本】中学校ではいじめにあって不登校になった時期もありました。母が亡くなってからは家事をしていたので、部活にもあまり行けなくなって、事情を知らない部活仲間にはサボってると思われてしまったようで。そういったことが積み重なり「人付き合いなんて面倒くさいものだ」と思うようになってしまっていたんです。

でも、高校に進学して人と関わることの楽しさに気がつくことができました。

—【松嶋】何かきっかけがあったのですか?

—【山本】担任の先生が、とても親身になって話を聞いてくれたんです。「よくここまで生きてくれたね」と言って抱きしめてくれて。その時に「こんな風に接してくれる人もいるんだ」と、すごく感動しました。そこから周囲の人とも徐々に話せるようになって、本当に信頼できる親友もできたんです。

—【松嶋】担任の先生との出会いが、今の山本さんにつながっているんですね。

—【山本】人と関わり合うことの楽しさを知るきっかけをくださったのは、担任の先生でしたね。人への関心がより強くなったのは、大学生として某人気カフェチェーンでアルバイトをするようになってからです。

そこはホスピタリティを追求する社風が有名で、スタッフとして「この人は早くコーヒーが欲しいのか、それともゆっくりコーヒーを楽しみたいのか、どちらだろう?」「メニューを見て迷っているから、新しい商品を探しているのか?それともカスタマイズをしたいのかな?」と、目の前のお客さまのことをずっと考え続けることが求められていました。

そうすると、自然と目の前のお客さまへの関心度が高まっていくため、必然的にお客さまとの会話が増えるんですよ。こちらが相手のことを考えてコミュニケーションをすると、向こうも心を開いてくださるのか、常連の方に「山本さんと話すと元気が出る」とか「山本さんに会いにきちゃったよ」と言っていただいたこともあります。そう言っていただけた時は、とても嬉しかったですね。そうした経験を重ねていくことで、人と関わることが好きになりました。

120年続く老舗呉服店で、未知の世界を知る喜びを再体験

—【松嶋】大学卒業後は呉服店に勤務されていたとお聞きしました。海外文化がお好きなのに、意外な選択ですよね。どういった理由があったのですか?

—【山本】海外の方とのコミュニケーションを通して、日本文化について学ぶ必要性を感じるようになったからですね。

大学では国際社会学科という学科で国際情勢や差別問題、環境問題について学んでいて、海外旅行や短期留学にも行っていました。海外に行くと、現地の方に日本のことを聞かれるのですが、私はあまり回答できなくて。むしろ海外の方ほど日本文化に詳しいなんてこともありました。海外は母国への愛が強い方も多いですし、カルチャーショックを受けましたね。私は日本に対して特別な思い入れはなく、文化についても詳しくはなかったため、次第に日本のことをもっと学びたいなと思うようになっていったんです。

—【松嶋】海外にいったことで、日本文化に関心を持つようになったと。

—【山本】はい。日本文化に関心を持つようになったのがちょうど就活を始めようとしていた時期だったこともあり、求人サイトでたまたま見つけた呉服店の求人にとても惹かれて、就職することにしました。

そのお店では社員は毎日着物を着るルールがあったので、自分で着付けができるようになったら自慢できるなという下心もありつつ(笑)。海外での経験を通して、日本の文化をなくしてはいけないという思いもありましたね。

—【松嶋】着物を着る人は少なくなりましたが、着物は知れば知るほど奥が深く、素敵な文化ですよね。

—【山本】はい。着物には日本の文化だけでなく歴史が詰まっていますしね。柄の一つひとつに意味があったり、色にもストーリーがあったり……。私が働いていたのは120年続く老舗の呉服店で、お店自体も歴史がありましたし、職人の方にいろいろ教えていただいて、とても楽しかったです。

—【松嶋】呉服店というと小規模なお店が多いイメージですが、どれくらいの規模のお店だったのですか?

—【山本】呉服店としては規模が大きなところでした。写真館も併設されていたので、カメラマンやメイク担当の方もいらっしゃって、社員の人数でいうと計30人弱ほどでしたね。

—【松嶋】その中で、山本さんはどういった仕事をされていたのですか?

—【山本】私は着物の販売をしていました。お客さまの中には、子どもの結婚式や卒業式に出席するのに着物を揃えたいという方や、お茶やお花の先生、習い事をされていて発表会のために着物を新調したいという方もいらっしゃいましたね。成人式の振袖や卒業式の袴のレンタル、販売もしていたので、若い方が来店されるケースもありました。

—【松嶋】先ほど楽しかったとおっしゃっていましたが、販売するにあたって、着物のルールなどを覚えるのは大変だったのでは?

—【山本】大変だったという思いはありません。着物は畳を歩く時に親指が縁につかないようにしないといけないとか、歩き始めの足が決まっているなど、覚えることが多いのですが、それらを勉強するのは苦ではありませんでした。大雑把な性格をしているので、細かいことは苦手なはずなのに、当時は「もっと勉強したい」と思って、お茶やお花も習っていましたね。

—【松嶋】海外文化にのめり込んだというお話でも思いましたが、未知の情報を追求する能力が優れているのでしょうね。

—【山本】自分の知らない世界を知ることが楽しいんですよ。「興味がない」「関心がない」と思っていたジャンルだったとしても、少し覗いてみればいろんな世界が広がっています。それを知らないというのは、損しているのかもしれないなと思うんです。

大胆なキャリアチェンジで、新しい業界に挑戦

—【松嶋】呉服店の次は、リクルートに入社されていますね。大きなキャリアチェンジの背景には、どういったきっかけがあったのですか?

—【山本】妹が独立して私が家事をする必要がなくなったので、家庭から離れてチャレンジしてみようと思ったからです。呉服店は実家から通えて残業が少ない点も就職した理由の一つだったため、実家にこだわる必要がないと気がついた時から、新しいことにチャレンジしたい気持ちが大きくなっていきました。

また、当時の私は呉服業界が衰退していくのを肌で感じていたものの、その理由がわからず歯痒い思いを抱えていました。どの業界が伸びていて、どの業界が衰退しているのか、日本経済について学びたいなと思っている時に出合ったのがリクルートで。「この会社ならさまざまな業界の企業と話をすることができるし、日本経済や社会の仕組みについても勉強できるだろう」と思い、転職することにしたんです。

—【松嶋】リクルートでは法人向けのリクルーターをされていたのですよね。

—【山本】はい。toCサービスの接客しか経験していなかったので、覚えることがたくさんあって、ついていくだけでも大変でした。名刺交換の仕方から覚えるような状態だったので、最初は「ちんぷんかんぷん」といった感じで(笑)。周りに追いつこうと必死に取り組んで、新人賞をいただいたこともあるのですが、今思うと振り切れていなかったように思いますね。

—【松嶋】第三者から見ると、新人賞を獲得されていますし結果は出せていたのではないかと思いますが、ご自身では納得できなかったと。リクルートの次はサーキュレーションに転職されていますが、これはどのようなきっかけで?

—【山本】リクルートグループの飲み会がきっかけですね。目の前に座っていた方から「サーキュレーションという会社で人事をしている友人から『東海支社を立ち上げるための人材が欲しい』と相談を受けているのだけど、自分は名古屋出身ではないので知人が少ない。山本さんの周囲に転職したがっている人はいませんか?」と相談されたんです。サーキュレーションに関する話を聞くうちに、だんだんと興味が湧いてきて、友人を紹介するのではなく私が転職することにしました。

—【松嶋】どういったところに惹かれたんですか?

—【山本】サーキュレーションは、正社員ではなく専門性のあるフリーランスや副業人材を企業に紹介する事業を展開していて、そこが魅力的でした。

というのも、リクルート時代に、中小企業と大企業の両方からオファーをもらっていた方が、本音では前者で働きたいと思っていても、家族のことを考えて年収の高い大企業を選ぶというのを目の当たりにしたことがあったんです。

候補者の方と中小企業の代表はとても気が合っていて、「いい人、いい会社に出会えた」と双方に喜んでいただいていたのですが、候補者のご家族からの合意が得られず……。最終的には年収の高い大企業が選ばれました。候補者の方は全く悪くないのですが、中小企業の代表がとても落ち込んでいる姿を見て、私もとてもショックだったんです。

サーキュレーションであれば、そういったケースでも、企業と候補者の双方の希望を叶えられるのではないかと。

—【松嶋】雇用形態を正社員に限定しないのであれば、マッチする人材の幅が広がりますもんね。その分、母集団も形成しやすくなる。

—【山本】そうなんです。当時は副業をしている方は今ほど多くなかったのですが「これからは個人のスキルを生かして複数社で働く選択を取る人が増えるし、企業もそういう人を欲するようになる」という確信を持っていたので、サーキュレーションへの転職を決意しました。

サーキュレーションでは、法人開拓の他に東海支社での採用活動としてリファラルを頑張ったり、企業のマーケティングや人事などさまざまなテーマでの課題解決プロジェクトの計画立案をサポートしたりと、3年と9ヶ月働く中で、いろいろなチャレンジをさせていただきましたね。

「好き」で働ける? 予想外に好評だったコミュニティマネージャーの仕事

—【松嶋】サーキュレーションを退職された後に起業されたんですよね。

—【山本】そうです。サーキュレーションで働いているうちに「独立して、自分で何か事業に挑戦したい」と思うようになり、起業しました。自分自身が考えたアイデアで、より社会貢献できることができないかと考えたんです。

起業した当初は、自分自身が母を亡くしてから家事を任されていて仕事と家事を両立することの大変さを身をもって理解していたので、家事代行サービスを始めようとしていました。

—【松嶋】家事代行サービスですか?

—【山本】はい。私が起業した2021年はテレワークが浸透し、おうち時間が増えていた時期でもありました。出社しなくていいとはいえ、仕事量が減るわけではなく、家事をする余裕がない方も少なくないはず。しかし、散らかっている環境では仕事の生産性が落ちてしまいます。また、一人暮らしの場合は、最低でも5~6時間ほどは家事をする時間が必要です。家事が得意なら気分転換になることもあるかもしれませんが、そうでない方もいらっしゃいます。

家事をする時間を、読書や勉強、休憩にあてることができれば、生産性も上がるでしょうし、よりたくさんのアウトプットを生み出すことができるはず。そう考えて、仕事で忙しい独身のビジネスパーソン向けに、Uber Eatsのような感覚で気軽に利用できる家事代行サービスを作ろうと思ったんです。

—【松嶋】現在は家事代行サービスはされていないですよね?

—【山本】はい。事業計画書を作って複数の方にプレゼンもしていたのですが、自分の想像以上にコミュニティマネージャーとしての活動が増えていき、家事代行事業をストップする意思決定をしました。

コミュニティマネージャーとして「これは山本さんだからできること」といって評価をいただくことが増え、「もしかしたら、これが今私に求められていることで、天職なのかもしれない」と思うようになったんです。

サーキュレーションで働いている時からイベントの企画~運営までしていたものの、あくまで趣味でやっていることでもあったので、コミュニティマネージャーをメインの仕事にできるとは想像もしていませんでした。

—【松嶋】なるほど。イベントというと、具体的にはどのようなことをされていたのですか?

—【山本】月に1度、名古屋ベンチャー飲み会というのを開いていました。

サーキュレーションでの東海支社立ち上げは、私ともう一人の社員の方の2人で行っていたのですが、会う機会が少なかったので、とても寂しい思いをしていました。私と同じくリクルートからベンチャーに転職した友人にその話をしたら「自分も同じような環境にいる」と言ってくれて。同世代で同じ思いをしている人が他にもいるかもしれないという可能性に気がついて、イベントのアイデアを思いつきました。そこから、同じような環境の人との交流ができる場所として、名古屋ベンチャー飲み会を開催するようになったんです。

それがいろいろな方にご好評いただいて、次第に「こういうイベントを一緒にやりませんか?」とお誘いいただくようになり、「山本さんと一緒に仕事をしたい」「イベントをしたい」と声をかけてくださる方が少しずつ増えていきました。家事代行サービス事業をあきらめたわけではないのですが、求めてもらえるなら、コミュニティマネージャーの仕事を頑張ってみようと。

—【松嶋】サーキュレーションで働いていた時に行っていた活動が、今の仕事につながっているのですね。

—【山本】光栄なことですね。人とのつながりが生まれるというのは、私にとっては幸福感を得られることでもあって。ふとした会話から企画が生まれることもありますし、人と関わることで想定していなかった縁が生まれるのが楽しいんです。オンラインで誰とでもつながれる時代ですが、可能な限りオフラインで会うことを大切にしていて、日本全国いろんなところに行っています。人と会った数だけ、アイデアも生まれますから。

—【松嶋】山本さんにとって、コミュニティマネージャーという仕事は天職なのだろうと思います。

—【山本】まさに。好きなことが仕事になるなんて夢にも思っておらず、実現できたとしても50代くらいだろうと、スキルを極めていかないと難しいだろうと思っていたので、運よくそういう機会をいただけて、今とても楽しいです。

海外も視野に入れ、来るもの拒まずで挑戦を続ける

—【松嶋】愛知は最近スタートアップが盛り上がってきていると聞きますし、これからより忙しくなりそうですね。

—【山本】そうですね。愛知は東京の次に資金が潤沢ですし、大企業があるため、県内に優秀な人材がたくさんいらっしゃいます。また、関東にも関西にも行きやすいというメリットもある。スタートアップ界隈の方からは「愛知が日本の最後の砦なんじゃないか」と言われているそうです。

—【松嶋】山本さんもますますご活躍の幅が広がっていきそうですね。今後計画されていることもあると思うのですが、現段階でお話しできる理想の未来像についてお聞かせいただけますか。

—【山本】やってみないとわからないことも多いですし、キャリアを絞ってしまうのはもったいないと思っているので具体的には決めていないのですが、実現したいことはたくさんあります。

まずは、MTG Venturesでベンチャーキャピタリストとして勉強させていただいている経験を生かしてスタートアップ投資に関する知識を身に着け、資金面でスタートアップを応援し、彼らと一緒に社会貢献できる人材になりたいですね。

また、コミュニティマネージャーとして、海外にもネットワークを広げたいと思っています。日本のスタートアップが海外進出をするとなった時に、私自身が海外はノータッチだから支援できないとなってしまうのは嫌ですから。夏頃にタイに行って現地の起業家とお話ししたことがあって、今後もそういった機会を増やしていきたいと思っていますし、すでに今年度内で海外出張する予定も立てています。海外に行く機会を増やして、自分自身の人的ネットワークや視野を広げたいと思っています。

少し毛色が違うものとしては、古い古民家や蔵をリノベーションして、カフェなどのリラックス空間と音楽に触れられる空間が共存するような、五感全体で楽しめる場所をつくってみたいという思いもありますね。人が人らしく楽しみ、出会い、共感しあえる場所。具体的な案はまだないのですが、そういう場所が地域にあるのも面白いかなと。

それらを実現するのはもちろん、夢がある方を支援するために、もっと働いて自分が得たものを周りに還元できるような人になりたいですね。

—【松嶋】この記事がそういった方との出会いのきっかけになると幸いです。最後に、読者へのメッセージもお願いします。

—【山本】「やりたいことはあるけど、自分には無理だ」と思っている方がいるとしたら、そんなことはないと伝えたいです。私は小中学生の頃、本当に友達がいませんでした。実家が裕福だったとか、勉強ができたとか、人脈があったとか、人に愛される能力を持っていた、というわけでもありません。ただ、前を向いて意識を変えていけば、人は変わることができるのだと身をもって実感しています。

アドバイスできることがあるとすれば、「来るもの拒まず」で目の前のことに向き合ってみて欲しいです。20代のうちに実践して良かったなと思うのは、「誘われたら行ってみる」「何かをおすすめされたらやってみる」という小さいことの積み重ねです。「これが好き」「これは嫌い」「この価値観は受け入れられない」と最初から決めつけてしまうのはもったいない。20代のうちにいろんな価値観に触れることで、30代になった時に「やっぱり自分はこれが好きだ」という感覚が掴めるようになるはず。焦らず、ゆっくりと自分の軸を見極めていくのがいいと思います。

どこにチャンスがあるかはわかりませんし、いろんな価値観を受け入れる姿勢を持って人と関わったり、チャレンジしたり、を意識してみてはいかがでしょうか。

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