マックスむらいの「あきらめない力」はどのように培われたのか?AppBankのCEO再就任の胸中を明かす

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Profile
プロフィール
氏名 村井智建(マックスむらい)
会社名 AppBank株式会社
出生年 1981年12月
略歴 石川県出身。2000年、株式会社ガイアックス入社。2006年、株式会社GT-Agencyを設立。2012年、AppBank株式会社を設立し、代表取締役CEOに就く。2013年からはニコニコ動画やYouTubeに出演し、「マックスむらい」チャンネルでは日本最大級の登録者数を獲得。
Interviewer
渡辺大介
渡辺大介

YouTuberとしても上場会社の経営者としても注目をあつめるマックスむらいさん。
ゲーム実況動画として一世を風靡し、起業したAppBankも上場とその時代を象徴する活躍をしながらも、元役員の横領事件などで大炎上し、「オワコン」と呼ばれた時期も。

そんな修羅場を乗り越え、2020年には改めてAppBankのCEOとして再就任。
なぜマックスむらいさんは、このような数々のハードシングスを乗り越え、新しいことに挑戦し続けることができるのか。

そのマインドと、「あきらめない力」が彼の人生の中でどのように培われたのか、について迫りたいと思います。

子どもの頃はまさかの虚弱体質!?

聞き手:渡辺)むらいさんと言えば数々の苦難を乗り越えタフに挑戦し続ける方、という印象が強いのですが、昔からそのような性格だったのでしょうか?

話し手:マックスむらい氏:以下マックス)いえ、子どものころは全然そうでもありませんでした。石川県のすごい田舎の出身で、実家は牛を飼ってる牧場でした。身体も虚弱体質で、身長も小学校1年の時は108cm、6年生のときでも132cmしかなかったので、一番学校でも小さかったですね。性格もおっとりした感じでした。

でも、勉強は得意でしたね。2歳のころからずっと公文式をやっていて、小学校2年生のときには、全国の計算コンテストにも出場して、石川県で2位の成績も残しました。この時、当然周りは私よりも年齢でも体格でも大きな人たちばかりで、人生で初めて大勢の人に囲まれた環境で計算のスピードを競うってことをしたんです。そしたらその競争っていう環境が楽しかったのか、すごい集中力を発揮できて、いつもできないような暗算ができたんです。運動選手でいうゾーンみたいな感じです。私には、こういったゾーンにはいるみたいな瞬間が人生の中でも何度かあって。

例えば、パズドラの降臨戦のときにも同じようなことがあって。幕張メッセでイベントに出演していた時の話ですが、落ちコンが決まらないと負けてしまう盤面だったんですが、その時にはどこからどの色のドロップが落ちてくるかっていうのが、オカルティックな話になってしまうのですが見えてしまって。もう事前に次に落ちてくるドロップの色を確信できてたんです。結果的に狙った色のドロップが落ちてきて、落ちコンが決まり奇跡的に勝利ができました。

この時、2013年くらいのことだったんですが、まさにパズドラ降臨戦の一番盛り上がってる時期でもあり、私がこの降臨戦で結果出すかどうかによって、ソシャゲ業界の売上が変わってしまうかも、というプレッシャーがあったんです。気概として誰にも求められていないのに勝手に業界を背負ってました。こういうプレッシャーの時でも、逆に凄い集中力を発揮できるメンタルは子どもの頃にも片鱗はあった感じはしますね。

渡辺)その後、中学に入学してからはいかがでしたか?

マックス)中学ではスラムダンクの影響で、バスケ部に入部しました。そしたら、毎年15㎝づつ身長が伸びて、ようやく標準的な体格になり体力も結構つきましたね。3年生の1年間はピタッと止まってしまいましたが。。高校では、七尾高校という石川県奥能登の進学校に入学しました。そこでは、合唱部にはいったんです。そこで私は一つの才能が開花しましたね。

渡辺)どういう才能なんですか?

マックス)ずばり、「声のでかさ」です。合唱部って基本的にはみんな声が大きいのですが、私はその中でもずば抜けて大きくて。この才能が後でも役に立つことになるんです。合唱部にはかなり打ち込んでいて、結局高校3年のクリスマスの合唱迄ずっとやっていました。なので、本格的な受験勉強はそこから開始した感じです。

渡辺)かなり直前ですね。

マックス)ですね笑。基本的には、授業中はめちゃくちゃ集中して勉強してたので、基本的な部分は抑えられていました。東大が第一志望だったので、そこからまずはセンター試験猛勉強です。数学や物理は得意だったんで、満点取れたんですが、ネックは世界史。それまでほとんどやったことなかったですからね。でも、2日前から勉強初めて無事足きり点もクリアして800点中700点くらいはいけたんです。でも、東大の2次試験は落ちてしまいました。
でも、どうしても東京には出てきたかった。それで、防衛大を受験して合格したのでそちらに入学することになりました。

憧れのキャンパスライフのはずが防衛大の体育会な日々

渡辺)どうしてそんなに東京に出てきたかったんですか?

マックス)その時好きな漫画が江川達也先生の東京大学物語やGOLDENBOYだったんです。キャンパスライフやフリーターの自由な空気というものに憧れていて、そのためにはどうしても東京に出てこないとって思っていました。でも、いざ防衛大に入ってみると、初日にちょっと気に入らないってくらいの理由で先輩にぶん殴られるような体育会な環境で、素敵なキャンパスライフとは正反対。

でもですね、数日たつとカルチャーショックが強すぎて、逆に防衛大の環境にはまっちゃったんです。我ながらすごい順応力だなと。実はここで、先ほどの「声のでかさ」がすごい役に立ちました。

とある上級生とすれ違う時に、ちょっと絡まれたんですが、その時大声で「君が代」を熱唱したんです。そしたら、上級生がすごい気に入ってくれて感動して泣いたんです。そこから、防衛大でも先輩とも仲良くなって楽しくなったんです。

でも入学して3ヶ月くらいした時にふと考えたわけです。こういう自衛官としてのエリート街道にのった人生が自分のやりたいことだったのかって。元々自由でバカなノリにあふれた人生を夢見てたので、これじゃない感が沸々とわいてきて。悩んだ結果、入学3ヶ月で防衛大はやめることにしたんです。防衛大はやめるのにも親の同意が必要だったので、その許可をもらいに話したんですが、当然ながら親もぶちギレで。結局、喧嘩別れになりました。

「キミ誰?」から始まったIT業界デビュー

渡辺)防衛大やめた後はどうされたんですか?

マックス)それまで全寮制だったのでやめると当然家も無くなるわけです。貯金ももちろんなく、なのでまずは職探しをと、本屋に入って参考になりそうな本を探しました。そうすると、当時また立ち上がり時期だったIT業界を特集した本がそこにあって、なんかカッコいいなと。それで、IT業界の会社を受けることにしました。パソコンもわからなかったに、です。

でも、仕事に応募するのに事前に電話してアポをとるという常識が牧場育ちゆえなかったので、とりあえず会社にいきなり行ってみました。なんかすごそうだったのでサイバーエージェントにまずは行ってみたのですが、受付にキラキラした美女が3人いて「あ、これは違う。私には無理だ。」って思って断念。そこで、唯一「学歴不問」ってその本に書いてあったのが、ガイアックスだったので、ガイアックスに訪問しました。

本に書いてた住所が渋谷だったので、そのビルに行ったんですが、入り方がわからなかったので入口でうろうろしていたんです。そしたら、「キミ、ガイアックス?」っていきなり声かけられて、「ハイ、そうです!」って返事して。

どうやら、ガイアックスがちょうど移転した時期だったようで、その日インターンの面接が4人入ってて、1人が現れないからもしかしたら前のビルにいるかもと思って迎えに来てくれたんです。で、一緒に連れていってもらったら、その遅れてたインターンのもう一人もちゃんと会場に着いていたんです。

そうすると、当然「キミ誰?」ってなりますよね笑。でも、担当してくれた方が、せっかく来てくれたんだったらと思ってくれたのか、面接を調整してくれることになったんです。そうしたら、社長の上田祐司さんのお兄さんで営業部長の方が会ってくれることになって。それで、「君面白いね」って気に入られたのか、インターンとして採用してもらえました。

「会社に住む」ことで培った人脈術

渡辺)なかなか、そういう形で採用される方っていないです笑。ガイアックスでの仕事はどんな感じでしたでしょうか?

マックス)まず家がなかったので、会社に住まわせてもらうことになりました笑。実はここからの約2年間ずっと家がなかったんです。基本的にはエアコンも効いてるし、快適です。当時はまだ営業部隊が合宿をして、会社に泊まり込んでいる社員もいたので、私だけじゃなく他の人もいましたが、住んでたのは私だけでしたね。近くのコインランドリーで洗濯して、風呂は銭湯、それ以外はずっと会社にいるような生活です。半年くらいそれでインターンでいたんですが、当時会社にずっと住んでいたので私自身に全然女っ気がなくて。それで、「女の子がいる環境にいたい」と思ってしまったので、半年くらいで一度辞めてるんです。ガイアックスは全部で3回辞めましたね笑。

それで、中野の魚民って居酒屋でアルバイトすることに。今度はちゃんと事前に電話して面接のアポしてから面接に行ったのですが、いったら速攻で「あ、君今日から働く子だよね。じゃぁ早速今日は焼き場お願いできる?」って言われて、ひたすら焼き場で焼き鳥焼いてたんです初日から。数時間焼いてたら店長ともう一人従業員ぽい人が入ってきて、

「みんな!彼が新しく入ってもらう新人です」

って紹介するんです。そしたら、そこにいた従業員は一斉に私の方見て

「お前誰よ??」

って笑。また、言われっちゃったんだよね。で、事情を説明したらとりあえず働くことになって、ちょうど年末の人がいない時期だったので毎日15時~翌朝6時まで途中休憩はさみながらもほぼぶっとおしで1ヶ月以上働いてました。時給890円くらいだったのに、給料もらったのが43万円で。

お金たまったので、NY旅行に行きたいと思って、居酒屋は正社員に誘われたけど断ってそれで辞めたんです。でも、パスポートがガイアックスのロッカーに置きっぱなしなこと思い出して。それでだれもいない深夜に忍び込んで回収しようと思ったら、その時に限って面接をしてくれた営業部長の上田さんがちょうど仕事していて。

「バイトして気分転換になったんじゃない?じゃぁまた明日からよろしくね」って感じで握手を求められてしまって。悩んでたら「あれ?俺の手、下げさす気なの笑?」って言われたからしぶしぶ握手でまた働くことに。

でも、ガイアックスでは本当いろんな方に可愛がってもらえて。働いてた時期って、食事とかもほとんどお金使ったことないんです。大体先輩が奢ってくれてたので。会社に住んでるやつって私以外にはいなかったので、やっぱり面白がってみんな助けてくれたんです。ここで、色んな人から気に入られて仕事に活かせる人脈を作っていくきっかけになったと思います。

NY旅行で学んだ「なんとかなる」精神

渡辺)ガイアックス戻って結局NYにはいかなかったんですか??

マックス)その時は行かなかったんですが、結局翌年にまたガイアックスを辞めていくことに。よくない事件(9.11)が起こってNY行きのチケットが激安だったので。それで、最長期間のオープンチケットを買って、ガイアックスはいったん辞めてNYに飛びました。その時も貯金は8万円しかなかったんですが、野宿得意だったんで最悪野宿したらなんとかなるかなーと。

でも、実際行ってみると1月のNYって氷点下でとてもじゃないけど野宿はできない感じで笑。なので、夜だけネットカフェの入場券を1ドルで買ってネットカフェの中で寝て、それ以外はひたすら散歩するみたいな感じの生活をしてました。それでも三日で限界を感じて、暖かそうなのでマイアミへの長距離バスで移動することにしました。

で、これも行ってから知ったんですが、マイアミの長距離バスのバス停ってちょうどスラム街のはずれにあるんです。なので、すごい治安悪くて。めちゃくちゃ怖い人たちが一杯いるんです。あまりにも怖すぎて、日本人旅行者っぽい人見つけたら抱き着いて一緒に連れてってください~って頼んだら、ステーキ奢ってもらえました笑

渡辺)すごい、コミュニケーション能力ですね。

マックス)はい、それで野宿も怖かったので、その旅行者の方に相談したらドミトリーならすごい安く泊まれるってこと教えてもらって、彼の泊まってるところに忍び込んで3日くらい泊まらせてもらいました。そこでは、いろんな国の人と下ネタ言いあって話したり、言葉も通じない陽気な人たちに連れられて一緒にクラブに言ったりして、恐怖からのギャップでめちゃくちゃ楽しかったです。

そのあとは、LAとラスベガスにも移動してそこでもひたすら遊んでましたら。そしたら、いよいよ残金がギリギリになってきたので、まだ帰りの飛行機の日程までは時間あったんですけど、長距離バスでNYに戻りました。NYまで大体5日くらいバスに乗ってるんですが、3時間くらいおきにマックに止まるんです。そのバスでは隣にはすごいデブな黒人が座ってて彼は停留ごとに大量のハンバーガーを買って食べてたんですが、私はお金がなくて何も買えず。しょうがないので、置いてあるケチャップとマスタードを手に山盛り乗っけて、それを舐めながら過ごしてましたね。

で、とうとうNYについたんですがその時には残金たった20セント。もうどうしょうもないってことになり、防衛大辞めた時以来2年近く音信不通になっていた両親から送金してもらおうと。でも、電話するお金もなかったので、コロンビア大学のビジターセンターに無料でPCを使えるところがあったので、唯一覚えていた弟のアドレスに

「ANI IMA NY.OKANE SIKYUU」

みたいな感じでローマ字で30分おきくらいに何十通も送ってました。普通、あきらかに怪しい今ならオレオレ詐欺みたいなメールなので、無視しますよね。でも弟が親に連絡してくれたみたいで奇跡的に1日経たず15万円振り込まれてたんです。

そしたら、気が大きくなって、ブロードウェーでミュージカル見まくったり、カーネギーホールやニューヨークシティホールでクラシック聴いたり、NBAで本場のバスケみたりとお金の限り遊びつくしました。で、ちょうど帰国のタイミングでお金も尽きたので、JFK空港から成田に戻ってきた感じです。

渡辺)かなり行き当たりばったり感のある感じです。その「なんとかなる」って精神もその後に大分影響してそうな感じしますね。

マックス)そうですね。で、日本に帰ってきてまた一文無しだったので、またガイアックスに戻ったら受け入れてくれて。結構適当に生きててもみんな優しく受け入れてくれるんです。それって、助けてほしい時に素直に助けてって言えるからってのも大きいんでしょうね。私は変なプライドとかがないので。

今度はガイアックスも長く数年してるうちに、営業の中でもトップになっており、会社の売上の6割くらいを私の関わっている案件やチームが作るくらいになってて役員にもなりました。会社も上場したんですが、何度もやめてるからストックオプションも少なくてちょっと寂しい気持ちになりましたねー。あの時辞めてなければ笑。

上場後は業績の不振もあって責任を取って役員を退任し、辞めようかなと思っていた時に、社長の上田さんが半年間はこれまでの給料保証するから、辞めるんじゃなくて引き続きなんかやってみない?って言われて、GT-agencyっていう子会社を設立して、今日の占いというコンテンツをASPで外部に提供するサービスを始めました。そしたらこれが爆発的に成功して、新卒とたった2名の会社だったにもかかわらず、2年目には450社に提供し、大きな利益を出したんです。ここまで利益だしたんで給料上げてほしかったんですが、給料で出すのはダメって言われて代わりに新規事業に投資してはどうだ、と。自由にやっていいよ、と。そのときに手掛けた新規事業がAppBankです。2008年にiPhone3Gが発売されたのがきっかけで始まったAppBankですが、その後2012年に独立します。

2020年AppBank CEOとして実現したいこと

渡辺)AppBank創業の経緯はそういう感じだったんですね。AppBankでは2012年の創業から2015年まではCEOを務められてて、マックスむらいの活動に専念ということで一度退任されており、CEOに再就任されるのは約5年ぶりになりますが、改めて再就任への想いはどういったものでしょうか?

マックス)そうですね、社長が変わると会社って変わりますからね。今回AppBankで成し遂げたいのは、AppBankをちゃんとインターネット企業にするという意味でビジネスモデルの再確立と、その実行のためのチーム作り、メンバーの育成と権限移譲です。

ビジネスモデルでいうと、これまでのAppBankってインターネット企業であるのに、どこかアナログな企業だったんです。どういうことかと言うと、初期の会社の成り立ち、組織の文化づくりの経緯として、アプリレビューやゲーム攻略など、取り扱うコンテンツそのものがとても強かったので、作ったら自動的にユーザーが集まっちゃってビジネスになってしまってたんです。そのため、広告やマーケティングなどを仕組み化してきてなかったので、その点を強化していきたいと思っています。アナログ企業からインターネット企業へ、と。

また、チーム作りやメンバーの育成、権限移譲でいうと、AppBankはこの数年は入社よりずっと退職者が多い状態でした。社員数もここ5年でかなり減ってしまっています。そこで自分が社長に復帰するという時に、まずは自分が過去仕事をした中で、また一緒に働いてみたいなて思った方に電話したんです。一緒に働いてくれないか、と。そしたら、なんとほぼ全員OKしてもらえて。みなさん口をそろえて言うのは、「一緒に仕事をしてたあの時期ってすごい楽しかったよね。またあの頃みたいにしびれる経験したいね」ってほんとありがたいことで。やっぱり夢とか目標があって一緒にワクワク楽しんで仕事と向き合えるみたいな人材に集まってもらえる会社ってとてもいいじゃないですか。まだこれからですが、AppBankをどんどん魅力的な組織に作り変えていって様々な困難や壁を乗り越えていきたいと思っています。

自分の限界を決めないことの重要性とは?

渡辺)それでは、最後にキーパーソンになりたいと思っているビジネスマンや学生の方に向けたメッセージをお願いします。

マックス)18歳からIT業界にいて、これまでいろんな人たちに可愛がられてきました。他に会社に住んでるやつもいなかったから、それだけで珍しがられましたしね。でも、この根底にあった一番大事なものってやっぱり「体力」だと思ってます。それこそ、深夜でも飲み会に呼ばれたら毎晩参加してて、それができたのもやっぱり体力と気力だなと。それが、いろんな仕事につながっていきました。

今の若い人をみていてちょっと残念だなって思う部分は、大きな野心がなくてすぐにやめたりあきらめたりしてしまうこと。自分の限界を決めてしまって、もうこれでいいやって見切りをつけるのが早い感じがして、もったいないな~って思います。もうちょっとだけ頑張れば、頭一つ抜けられるのに、それをしない。

私も、会社でいろいろな事件がおこって大炎上しているとき、これ以上YouTubeの動画の更新を辞めようと思ったことがありました。それで、尊敬しているメンターの起業家の方に何人も相談したんです。その時に、「一度辞めてみて落ち着いて考えてみたらいいんじゃない?」みたいなアドバイスをしてくれた人は一人もいなくて。逆に全員「絶対やめたらダメだ!」って強く言われたんです。それで、この「あきらめないこと」っていうのが、成功する人には共通する要素だなって確信するようになりましたね。辛かったですけど!

逆にネットだと、「むらいは一度休んだ方がいい」みたいな意見が多くて正反対で。もちろん私のことを心配してくれての意見だっていうのはわかるのですが、成功ってネットで言われる声とはやっぱりちょっとズレがあるというか、経営者として考えた際には諦めないでやりきるガッツ、継続するガッツが必要なんだろうなぁ、と。

私も一度、時の人みたいな感じになったのですが、特にそこに対してプライドがあったわけではなかったから、「オワコン」と言われていても、気にせず、かじりついて配信を続けることができました。これでプライド高かったら、きっとプライドが邪魔して続けるってことはできなかったと思います。

この時諦めなかったことが、自分のなかで確信に結びつく成果が出るのはまだこれからかもしれませんが、今回のAppBankの再建の中で、そこにきっとたどり着ける原動力になると私は信じています。

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