100万人が自立して輝きながら活躍する社会のために。タレントマネジメントシステムで2万年の時間を創りたい

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氏名 井下田久幸
肩書 ドルフィア株式会社 代表取締役
出生 1961年9月25日
略歴 1984年日本アイ・ビー・エムへ新卒入社後、SE、マーケティング、営業など、2000年まで16年勤務。その後、ベンチャー企業、セキュリティー会社のCIO、一部上場企業の執行役員を経て、2014年にドルフィア株式会社を創業。
趣味 ラグビー、ゴルフ、水泳、スキー、テニスなどスポーツ全般。読書、映画、パズル/ゲーム

「自分が何を得られるかより、相手に何を与えられるか」「感即動」「個の時代」「価値の創出」「依存から自立へ」「短期的よりも長期的な視点」などなど、今回のインタビューでは様々な印象的キーワードが浮かび上がってきた。相手の人生を豊かにするために挑戦し続け貢献する人、そして、頼れる人生相談役、井下田久幸氏が知られざる本音を語る。

幼いころから理数系で人見知り、10歳でIBM入社を決意

 

【インタビュアー:岡本康典】本日はよろしくお願いします。まず、今の仕事に至るまでのキャリアを教えていただけますか?

【井下田 久幸(敬称略)】幼いころは父が厳しかったので外で遊ばせてもらえず、友達と接する機会が少なくて、人見知りになってしまいました。家ではパズルとかで遊んでいたので、必然的に理数系になっていきました。母親が、得意な算数を伸ばそうと考えてくれて、 大学生の家庭教師をつけてくれました。10歳のある時、僕にとっては神様みたいな存在だったその家庭教師が 「IBMという会社がこれから伸びる」と一言ささやいたんです。当時はまだIBMなんて誰も知らなかったのですが、 僕にはそれがずっと印象に残っていて、将来IBMに入るともう決めていました。

【岡本】10歳でIBMに入ると決めたとは驚きですね。

【井下田】就職活動でもIBM一社しか受けませんでした。それだけ思いはあったので面接は一発で通ったのですが、今だから話せる笑い話があります。面接室に入ったとき、僕が座るはずの椅子を持ち上げて3人の面接官の前に運んで座ったんです(苦笑)なぜかと言うと、面接官との距離が遠く、よく見えなくて不自然に感じたからです。今思えばとんでもない失礼なことをしたかもしれませんが、後から聞いた話では、僕が面接室から出ていった直後に採用が決まったそうです。

でも、実はそのときの国籍がドイツだったことが壁になり、入社できないという話になってしまいました。入社までに日本の永住許可を取るようにと言われました。内定式に出席しながらも、まだ入社が決まっていない状態でした。諦めかけていたところ、12月くらいに永住許可が降りて、どうにか入社が決まったというドラマがあり、それから16年くらいIBMにいました。

一部上場企業の役員を辞め、今はプログラミングに明け暮れる毎日

【井下田】その後、外資の会社でなく日本の会社で世界に羽ばたきたいと思ってベンチャー企業に行ったり、セキュリティーの会社へはCIOという立場で行きましたがIBMに買収されたり、最後の前職では日本の一部上場企業で役員として働いていました。そこでの地位も給料も良かったのですが、息子が怪我でラグビーの道を挫折して悩んでいて、その時の僕の生き方では何も伝えられないと思いました。3年あればゼロから何でもできるということを僕自身が見せようと思いました。

それで2年半前に会社を辞めて、趣味でしかやったことのなかったプログラミングを始めました。今は毎日机のパソコンに12時間以上向かっています。プログラムでトラブルが発生した時の解決は気がおかしくなるくらい大変です。人間は自分が正しいと思いがちですが、システムの不具合で、結局自分の間違いに気付かされることになるんです。自分の不完全さを学ぶので、本当に落ち込みます。

年間120件、3日に1回ペースの人生相談

【井下田】そんな地味な仕事を毎日しているのですが、なぜか講演の依頼があったり、人生や仕事の相談もすごく多くて、年に120件くらい来ます。本当に色々な方から依頼があって、若者も主婦も起業家志望者も、不倫の相談なんかもありました。フェイスブックで知り合った方もいます。これは仕事とは関係なく、完全にボランティアみたいなものです。僕にとって良いのは、いつも部屋に籠る仕事をしているのでバランスがとれるし、人と会っているとすごく感性が磨かれます。

人生相談は昔からあったのですが、会社を辞めてからこの2年半は特に増えました。最も印象的だったのは、去年2017年の暮れに、目の見えない方の1000人規模のコンサートをやったのですが、そこに命を懸けて来てくださった方のことです。心臓病で入院されていた3歳の娘さんがいる方から、コンサート当日の2日前に相談されて、「明日生きているかもわからない娘だけれど連れていきたい」という内容でした。幸いにも退院できて来てくださり、とても感動されて、私にどうしてもお礼の食事をご馳走したいと申し出てくださいました。同じような状態の方が3,4人来てくださったので、あのコンサートは本当にやって良かったと思います。

フェイスブックは自分のためではなく、相手のため

【岡本】小さいときから専門分野以外のことまで幅広く相談があるのは、それだけ頼りにされているからだと思いますが、ご自身ではなぜだと思われますか?

【井下田】なぜなんでしょうね、理由が分からないですけれど・・・最近ではフェイスブックの影響が大きいと思います。私はフェイスブックでは仕事の内容は書かないのですが、まだ誰にも言っていない本音を言うと、実は息子に向けて書いているんです。彼が隠れて読んでいるのは知っています。彼へのメッセージを伝えるために書いていますが、他の人はそれを知らないで自分が言われているようにいい意味で勘違いしてくれています。

いつも長いメッセージを書いていますが、皆さんも長いコメントを下さり、それに対してもそれぞれ返信しています。そのやり取りを見ている人たちが相談したくなるみたいです。利己の心は出さないようにしているので、セミナーやりますとか美味しいもの食べましたとか、自分からはしないようにしています。僕に話せば、利己ではなく利他からのアドバイスがもらえるかもしれないという期待感があるみたいですね。

【岡本】利己ではなく、利他の人だというのがすごく伝わってきました。だから多くの人がフェイスブック投稿を通じて利他の精神を感じるのだと思います。

ラガーマンの息子の怪我がきっかけで、会社を辞めて独立に踏み切れた

【井下田】息子は今21歳でニュージーランドにラグビーで留学していますが、怪我でプロとしての選手生命は絶たれてしまいました。私も本当に辛かったです。たらればになりますが、もし怪我をしていなければワールドカップに出場していたかもしれません。その期待が逆に彼の負担になってしまいました。彼が自分の持っている可能性を超えていく経験を積めるなら、何でもいいと思っています。その想いを伝えたいがために、言葉では説得力が無いので、私自身が実際にチャレンジしています。失敗しても成功してもどちらでも良くて、とにかくやりきらなきゃと思っています。

実は彼のおかげで僕自身が今楽しくなってしまっています。一部上場企業の役員をやっていたときは、研究所の所長をやっていました。それはテクノロジーの未来を生みながら、会社が進めるべき準備を提案する立場でした。役員たちは石橋をたたいても渡らないところがあって、事業計画書をいくつ提案してもみんな却下されました、特に先進的なものばかりなので前提が却下みたいなものでした。

私の未来予測、けっこう当たるんです。例えば5,6年前にはIOTが来ると予言していました。今はみなさん当たり前のようにIOTと言っていますが、当時はまだ誰も言っていませんでした。IOTという略語だけで反対されました。でも今になって、「あのとき井下田の言うことを聴いていれば良かった」と言われます。

そういうのがいっぱいあって、僕は評論家に成り下がっていました。自分は未来を読めるのに、会社が否定するからできないとして自己満足度を得ていました。10年以上前からそれは薄々感じていて、こんな人のせいにする生き方じゃいけないともがいていました。会社を辞めて独立したいと思っていて、でも勇気が出ない、そうやってずっともがいていたところに息子が怪我できっかけをつくってくれました。

運が良かったのは、息子はニュージーランド、娘はアメリカ、妻はカナダと、家族四人バラバラだったことです(笑)家にいたら辞めていいか訊けませんでしたが、LINEで「会社辞めたいけどいいか」と打って、「息子が大学卒業できるならいい」と返事があり、すぐに辞めると決めました。

『個の時代』が来るから、タレントマネジメントというインフラを創っている

【井下田】日本は少子高齢化だからITでテレワークを実現できると思い、前の会社で降格を条件にテレワーク普及の推進をさせてもらいました。それでビッグデータとか色々提案しましたが全部だめでした。思い描いている未来を創ろうと思って2年半前に辞めて、今はその未来の一部を創っています。

色々描いている未来の中でも、これからは『個の時代』が来ると思っています。今までのように株式会社というような「固定化された組織で働く時代」はもう破綻が近づいていて、「各個人が能力を持ってプロジェクトごとにチームが変わる時代」が来ると思います。ダブルワーク、トリプルワークして最適なメンバーで集まるという未来が来ると予測しています。そうなると必要になるのは、「才能をみんなで共有できる仕組み、タレントマネジメントというインフラ」で、それを創っています。これも出会いがきっかけで、ある組織から頼まれてつくることになりました。

【岡本】『個の時代』が来るというのは、どういったところから予測が立てられるのでしょうか?

矛盾したことを言うようですが、テクノロジーって予測できないんですよ。たとえば今はスマホが当たり前のようになっていますが、10年くらい前はまだ誰も予測していませんでした。当時スマホをやっていてもみんなバカにしていました。それくらい世の中は凄いスピードで変わっています。

価値を創出する時代の到来

【井下田】結論を言うと、実は未来を創っている人間がいて、彼らはバックキャスティングをしていて、僕もそうならなきゃいけないと思っています。それでもテクノロジーは読めないんです。そんな中でも研究所時代から人口分布図をずっと見ていました。人口だけは、災害とか戦争が起きない限りは、大体予測がつくんです。人口の変化を見たときに、社会がどう変わるかを考えて、バックキャスティングして準備します。

世界では人口が90億に向かう中、日本は少子高齢化の先進国になってしまいました。人口が増えているときは同じものをたくさんつくれば売れる時代なので、テストして単価を下げていけばビジネスモデルが成り立ちます。これからはそうではなくて「価値を入れていかなければ売れない時代」が来ます。いい人材をたくさん固定化すればいいわけではなくて、価値を出せるもの同士が組まなければならなくなるという時代が来ると読みました。

今までのようにサラリーマンで会社に寄りかかって生きていける時代はもう終わり、「価値を出していかなければ生き残れない厳しい時代」になります。テクノロジーから読むのではなく、「人口の変化から必要なテクノロジーは何か?」という逆算で見ています。

制約が多い人たちが輝けば、みんな輝きだす

【岡本】そうした未来予測のことを本当に理解している人は少ないと思いますが、それを広めていくには何が必要だと思われますか?

【井下田】ある意味厳しい世の中が来てしまったのですが、人間の逃れられない性として、楽をしたいという欲求があります。肉体と魂の欲求は離れていると思うのですが、短期的には肉体的な欲求に負けてしまいます。価値を生み出さないと生き残れない時代なのに、悲しいことに今世の中では楽して儲かるような誘い話が増えています。やっている人には申し訳ないのですが、たとえば仮想通貨や為替なんかがそうです。誰かを損させて自分は儲けるというゼロサムゲームです。あとはネットワークビジネスがすごく流行っていて、誰かが損して自分が得するというモデルなんですが、そういうものが蔓延している中、価値をつけるというのは実はとても難しくて簡単には広まりません。

難しいかもしれませんが、弱い立場の人たちがもっと価値をつくれるようにしたいと思っています。制約が多い人たちが輝けば、いい影響が広がると思っています。去年開催した生まれつき目が見えない人のコンサートも、制約がありながらも持っている可能性を最大限生かすので、本当に輝くんです。コンサートには1000人来ましたが、みなさん彼女がかわいそうだと思ってきたかもしれませんが、実際コンサートが始まると逆の現象が起きてみんなが元気になりました。しかも彼女はパラリンピックも目指していて、彼女と会っているとできないという言い訳は言えなくなるくらい元気なんです。そういう機会をもっと増やしたいと思っています。

依存関係を脱却し、個人が自立していくこと

【井下田】すごく大きなビジョンになりますが、タレントマネジメントというインフラではまだ物足りません。というのは僕が今つくっているインフラで助けられるのは能力ある人だけなんです。本当にやるべきは、能力はまだ不十分な人たちに、魚をあげるのではなくて魚の釣り方を教えていなかければ、というのがおぼろげながら今見ている未来です。

今、心が病んでいる人がすごく多いですが、それは人に依存しているからだと思うんです。収入を得るために我慢しながら本来の自分を押さえつけるがゆえに、ゆがみが生じるのだと思います。ハラスメントを我慢するとか、そういう人間の依存関係が原因だと思います。個の時代から、集団で分業できる時代になり、テクノロジーが生まれて、また個の時代に戻ると思っています。自給自足の時代が来てもいいと思っています。

今は第三次産業が盛んですが、また第一次産業、第二次産業に戻っていって、自分の食べる分だけ自給自足できれば、意外に依存心が減って、最悪でも一人で生きていける、今のITならそれがつくれると思います。そういうものをつくっていけば、自分の生命は保っていけるので、ノーと言える自分になり、他人に価値を与えられるようになる、そのスパイラルを生めばみんな健康になると思っています。そこを目指さなきゃいけない感覚があります。どこまで自分にできるかはわかりませんが、面白いものでこう思っているとそういう人たちが自然に集まってくるので、今凄く出会いが良いです。

「ノータイムポチリ」 人生の転機となった3人との出会い

【岡本】様々な出会いがある中で、人生の転機になった出会いがあればぜひ教えていただけますか?

【井下田】今すぐにぱっと思いつくのは3人ほどいます。

一人目は小野裕史さんで、仕事では一緒になったことはありませんが元IBMの方です。昔、太っていたらしく、あるきっかけでまず10キロ走って、次にハーフマラソンを走って、だんだんはまっていってフルマラソンを走るようになったそうです。彼の講演を聴いたときに、彼が「ノータイムポチリ」と言ったんです。時間かけずに(ネット上で)ポチリと押してしまえというポリシーです。僕の言葉では『感即動』いう、感じたら即動けと同じです。

面白かったのは、彼が北極マラソンをネットで見たとき、普通ならやらなくていい理由なんていくらでもありますが、その理由を考える前に彼はノータイムで参加ボタンをポチリと押したそうです。参加ボタンを押した瞬間に、今度はどうやったら自分が北極マラソンを走れるか考え始めて、結局彼は北極マラソンを完走しました。その次は南極マラソンというのがあって、またノータイムポチリで完走しました。今度は南アフリカの250キロマラソンを見て、それもノータイムポチリして優勝したんです。彼はそうやって人生が劇的に変わって今では有名人になってしまいました。

やるかやらないか、最初にやる思考回路に転がすだけ

【井下田】人間のやる思考回路とやらない思考回路は同じなので、最初にどっちに転がすかだけなんです。やる方を選べばどうやったらできるかを考え始めます。3年前に彼と出会ったときに自分もそうしようと思いました。

ある時、アンソニーロビンズのセミナー中にスカイダイビングに誘われました。怖かったですが、みんなに見られている中でノーと言えば恥になり、イエスと言えばヒーローという状況で、その時に小野裕史さんの言葉「ノータイムポチリ」が浮かんできて、やると言いました。驚かそうと思ってその日のうちに申し込んだのですが、実は体重制限に引っかかってしまいました。それでフェイスブックで3か月で10キロ痩せると宣言して、結果的には軽くクリアして19キロ痩せました。

ただそのときは10月で冬が来て飛べなくなってしまったので、春に有言実行しようと思って声をかけられたコーチたちに一緒に飛ぼうと言ったら、約束していたのに怖気づいてしまって飛ばないと言われました。それで娘を誘って、他にも3人集めて飛びました。集まったのは全員女性で、男は一人もいませんでした(笑)人生が変わったきっかけになりました。もう怖いものが無くなりました。このおかげですぐ動ける体質になりました。

【岡本】そういう話を聴いてしまうと、怖いから絶対やりたくないとは言えなくなりますね(苦笑)

【井下田】二人目は、元JALのチーフパーサーの黒木安馬さんです。彼の家に3度くらい遊びに行っているのですが、千葉に土地を買って何をしたかというと、全部自分で家を建てたんです。自分でというのは、大工も使わず、自分で全部木を切って豪邸を建てて、自分で掘ってプールをつくって、28年かけてたった一人でつくりあげたのです。それに感銘を受けました。生まれたときにトンカチを持って生まれてきている赤ちゃんはいないから、やってできないことは何もない。やり遂げる気持ちがあれば絶対できるということに影響を受けました。

三人目は、カンブリア宮殿にも出られた石坂産業の社長の石坂典子さんです。彼女は産廃業者の会社を親から継いだのですが、ダイオキシン疑惑で冤罪を受けて非難を浴びました。そこで逆の発想をし、長年かけて作った工場を一度潰して、密閉型の工場につくり直し、近隣には森をつくり始めました。男社会の中に入っていって、社員も半分以上辞めたそうですが、今ではみんなに愛される会社になっています。通常の産廃処分費よりコストがかかるのに、今では多くの業者が石坂産業を利用しています。そうやって会社をV字回復させた彼女の生きざまに惚れて仲良くしています。以前に300人のコンサートをやったときに、彼女を誘ったら即断で10枚買ってくれました。他の会社も何十社も誘いましたが誰も買ってくれませんでした(笑)

岡本】この3人に共通するのは決断の速さと行動力だと思いますが、そこに影響されたんですね。

【井下田】はい、何事もやりきるっていうのが難しんですよね。

一歩踏み出す体質になるには、小さな成功体験を積むしかない

岡本】知識とかスキルは十分に持っていても、怖さや不安から行動できない人はたくさんいると思います。どうしても最初の一歩を踏み出せない場合、どうすればいいと思いますか?

【井下田】それは永遠のテーマのように難しいことですが、多分、地味ですが小さな成功体験を積むことしかないと思います。できなかったことができるようになるというその小さな変化、体験を積んでいくしかないんですよね。怖い、不安という感情は、できないかもしれないという感情から生まれるので、できなかったことができるようになる体験をいっぱい積むと、一歩踏み出しやすい体質ができ上がっていきます。

【岡本】「体質」という言葉が印象的です。

考え始めるより先に動き始めるのがコツ

【井下田】判断を入れると人間動けなくなるので、判断を入れずに瞬間で動くようにするといいですね。たとえば、僕はダイエットしてから腹筋を毎日4分間で200回していますが、朝起きてやるときに200回やるかやらないかなんて判断を入れた瞬間にできなくなります。まず1回目を始めると、もう最後までやっちゃいますね。 あとは毎週かなりハードに泳いでいますが、それもやるかやらないか考える前に、荷物を持ってまず現場に行っちゃいます。泳ぎ始めるともう大丈夫なので、そこが大事ですよね。そういうできなかったことができるようになる体験の機会がもっと身近になってもいいと思います。

あり得ないチャレンジの連続

【岡本】今までで最もチャレンジングだったことは何でしょうか?

【井下田】今が一番チャレンジングですね。今つくっているインフラも普通なら絶対やらないくらいチャレンジングですし、去年のコンサートもちょっとあり得ないものでした。音楽は全く無知ですし。今から2年前にその全盲の女の子に出会い、当時15歳でしたが、愛知に住んでいて東京でコンサートをやりたいと言われました。正直そんなのできるわけないと思っていましたが、50人くらいの社長がみんないい話だといいながらも引き受けなかったと知り、まずは愛知に会いに行きました。

今思えば、会いに行った時点で断れなかったのですが、最初に40人のコンサートをやりました。ただ、15歳の無名の女の子のコンサートを東京でやるというのはすごく難しく、それでもやるからには採算は絶対に取らなければと思いました。そのときはそれで3か月くらい地道に声をかけ続けて成功させました。

その後、1年前に100人のコンサートをやることになりましたが、3か月前でももう場所が見つかりませんでした。やっと見つけた場所が表参道にある結婚式場で300人の会場でした。40人から300人に増えましたが、面白いもので40人はすぐに集まりましたが、残りは泣きたくなるほど苦労して340人集め、当日は300名満席になって大成功でした。

次は1000人だということで目黒パーシモンホールでやろうということになりました。取れたのがクリスマスイブでした。300人から今度は1200人。300人でも死ぬ思いをしたのであり得ませんでした。絶対できないなと思いましたが、400人くらいは集められると思いました。400はすぐに超えて、720までは行きました。ただ、素人なのでPAと舞台監督を入れろと言われても何のことかわからないレベルでした。採算を取るためには750は必要でした。

でも、あるセレブが300枚買っていたところをドタキャンされました。それでもう肚をくくってフェイスブックで呼びかけました。普段書かないのにお願いをしました。そうしたら凄くて、750まで戻ったんです。本当はその時も逃げたくて、コンサートやらなくていい理由がたくさん思い浮かびました。だけど、やりきらなきゃという思いで結局やり切りました。それが僕にとって一番の試練でした。

自分のためならできない、人のためだから諦めずにやり続けることができる

【岡本】何度もめげそうになりながらもやり遂げてこられましたが、何がそうさせてきたのでしょうか?

【井下田】綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、自分のためならできないんですよ。人のためだからできましたね。 彼女のため、彼女のコンサートに来てくれる人が幸せになると分かっていたから、人のためだけに動いていたからできましたね。自分が儲けるためのコンサートだったら、できなかったと思います。

今つくっているインフラも僕のためならできません。今56歳で残り40年くらい生きるとして、その40年間を美味しいもの食べたりして自分の肉体を満足させるために生きることもできますが、そういう生き方で果たしてその40年が楽しいか考えました。僕のつくっているインフラで人の時間を節約できると考えたら、もし100万人が使ってくれて1週間節約できたら2万年という時間がつくれるんですよ。人間て面白いもので、自分の時間はつくれないけど、他人の時間はつくれるんですよ。そうすると40年を生きるのか、それとも2万年をつくって死ぬのかと思うと、2万年だと僕の本能が言っているんです。だとするとやめられない。40年で2万年というビジョンを持つとやめられない。綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、本心です。

最終的には「教育」、自分の可能性を超えるチャレンジの喜びを伝えたい

【岡本】その壮大なビジョンをひとりで達成するのは難しそうですが、将来的な構想を教えていただけますか?

【井下田】今は採算性を確保するために一人でやっています。インフラを完成させて100社ユーザーができれば僕の家族の生活は確保できると思っています。お金持ちになるつもりもなく、生きていければいいので、僕の私利私欲はそこまでです。それ以上を超えたら人を雇ったりしようとは思いますし、同じ方向を見ている人が集まってきたら、その先は教育に行くと思っています。

【岡本】大切にしている価値観や信条があれば教えてください。

【井下田】座右の銘もいっぱいありますが、「自分の可能性を超えるチャレンジの喜び」をみんなに知って欲しいです。得たものが永遠にあるという錯覚があると思いますが、自分の持っている価値も人格もどんどん償却していくので、死ぬまで成長を目指さないとどんどん目減りしていってしまうと思います。だからこそ、できないことをできるようにしていくという達成感、喜びを感じて、価値を創ることにこだわりたいですね。

その裏返しを言うと、世の中は既得権益にすがる人があまりにも多いのですが、価値も人格も償却することを自覚して謙虚に価値を創り続けようと思います。そのためには楽しまなければならないので、できないことをできるようになるという喜びを知らないとストイックにはできません。

人生の残り時間を、自分以外の誰かの喜びに変えていきたい

岡本】こういう自分でありたいというご自身のあり方や、意識されていることがあれば教えてください。

【井下田】とにかく自分の残り時間を誰かの喜びに変えていくことが生きざまだと思っているので、今日もそうですが人と会う時には「この人に何をあげられるのか」を思ってから会います。それに尽きるかなぁ・・・人と会って何を得ようかでは無くて、何を与えられるかに集中するようにしています。

【岡本】その与えるという姿勢は、どこから生まれたと思いますか?

【井下田】人に喜んでもらえるのが嬉しいのですが、それは僕の承認欲求かもしれません。それがいつからなのか、具体的な事件は思い出せません。裏返せば小さいときに人と遊べなかったからその反動かもしれませんね。喜ばせるといい笑顔が返ってくるという快感をどこかで知ったのかもしれません。とにかく、そう見られてないとは思いますが、本当は人見知りでシャイなんです。

【岡本】人に対して苦手意識はなさそうに見えますが

【井下田】意外とそうでもないんです。

迷ったときは、未来の自分に訊けばいい

【岡本】最後に後輩や同世代のビジネスマン、諸先輩方に向けてメッセージをお願いします。

【井下田】生きているときっと迷うことの連続だと思います。迷ったときに一番の相談相手になるのは、5年後とか10年後の自分だと思います。それくらい先の自分に訊けば大体間違えない気がします。魂の欲求より、短期的な肉体的欲求に流されがちなのが人間です。瞬間的な判断を求められると肉体の欲求に従ってしまいます。だから5年後くらいの自分が喜んでくれるか、それを考えると間違いのない判断ができると思います。

あるセミナーでやった課題で、もし今日自分が死んだら、未来の自分に何を書くかという手紙があるんですが、僕はそれを毎朝読んでいます。そうするとそれは前世の自分からのメッセージになっていて、それを読むとはっとして、そこに自分にして欲しいことが書かれているんです。毎朝それでリフレッシュします。短期的ではなく、長期的な視点で見るとやりたいことがぶれないと思います。

【岡本】話は尽きませんが、このあたりで締めたいと思います。本日は誠にありがとうございました。

【井下田】はい、こちらこそどうもありがとうございました。

Company
企業 ドルフィア株式会社
所在 東京都渋谷区恵比寿西2-19-9-201
業種 ユニバーサル・タレントマネジメント・サービスの提供 、ITコンサルティング 、講演
URL http://www.dolphere.co.jp/



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