DSSR Co.
クリエイティブディレクター

本間英俊

Profile
プロフィール
氏名本間英俊
会社名有限会社ディーエスエスアール
出生年1977年3月7日
略歴19歳で美容師からファッションモデルにスカウトされる。2001年、有限会社ディーエスエスアールを設立、本格的にアパレル業界へ。30歳 で会社倒産の危機を迎え、プロダクトアウトからマーケットインへ方向転換。その後、コピーライティングを学び、インターネット上でもファッションを売れるようになる。現在はクリエイティブディレクターとしてアパレル店のブランドづくりが主な仕事。
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かっこいいデザインだけでは売れない。ビジュアルとストーリーを駆使し、コピーライティングで服を売る異才

INTERVIEWEE  Hidetoshi Honma INTERVIEWER  Yasunori Okamoto

ファッション、アート、クリエイティブ、デザイン・・・だけではない、「どうすれば売れるか?」にこだわるビジネスプロデューサー、そんな印象を受けた今回のインタビュー。どんな逆境でも逃げずに攻め続ければ突破できる、まさにその体現者、本間英俊氏の飾らぬ本音に迫る。

コピーライティングで売れるクリエイティブディレクター

【インタビュアー:岡本 康典】本日はよろしくお願いします。まずは簡単に自己紹介をお願いします。

【本間 英俊(敬称略)】本間英俊です。新潟出身、19歳の時にモデルになり、今年で40歳です。もうかれこれ人生の半分はファッション業界に身を置いています。今の仕事はクリエイティブディレクターです。表参道、六本木ヒルズ、ギンザシックス、伊勢丹などに店舗を持つメンズブランドや、レディスブランドのアートディレクション、いわゆる服以外のクリエイティブを大体やってます。

例えば、ブランドの世界観を魅せるために写真をどう撮られたらいいのか、どういうモデルさんを選んだら今季のイメージに合うのか、どういう背景で撮った方がよりこの服が伝わるのかなど。

そして、クリエイティブディレクションもやりますが、実はマーケッターでもあります。

コピーもよく書きます。コピーライティングもずっと勉強しています。自分のスニーカーブランドの商品をダイレクトレスポンス式でコミュニケーションを取り、プロダクトローンチで販売しています。

服ではなく、写真とストーリーを売る

【岡本】それはかなり珍しいですし、すごく興味深いですね。同じようなことをされている方をご存知ですか?

【本間】たとえば、広告をやるクリエイティブディレクターやアートディレクターはいます。僕の場合はずっとコピーライティングばっかり勉強していたので、そこにコピーを入れます。ファッションでも食べ物でも文章で売れる、そう信じていましたが、やっぱり写真がないと売れない、結局、写真がすごく大事、レディスは特にそう。女子はうんちくやスペックよりも、ヒラメキで動くので。だからフェイスブックよりインスタグラムが支持されています。

フェイスブックだと文章が盛り込まれていても嫌じゃなかったのが、写真メインに変わっています。僕の場合はコピーライティング的に写真を使うみたいなイメージなんですよね。

いいもの、かっこいいものだけ作って、バーンと売り出したらいいという考え方は実はなくて、どうやったらそれがちゃんと売れていくのかっていうとこまで紐づいてないと嫌ですね。

【岡本】ファッション業界にいて、コピーライティングで売れるのは、ものすごい強みだと思います。ファッションだけにビジュアルに訴える写真が重要とのことですが、言葉を使わずに写真で言いたいことを伝えるとき、何を意識されてますか?

【本間】結局はストーリーを売ってるんですよね。いかにストーリーに巻き込むか、それに尽きます。だから服とは全く関係ないことが多いです。例えば、その服がシンプルなら、背景を思いきって壮大な物にして、ちょっとイメージを変えたりします。そんな風にビジュアルをつくるのが、すごく好きです。とはいえ、これだけだと「かっこいいな」で終わるので、メルマガやSNSでコピーライティングを使ってブランドやものについて書いています。

特にファッションは、行く着くところ生地と糸だけの世界なんで、背景のインパクトと、ストーリーにいかにして巻き込めるかが大切になります。「売りにつながるグラフィック」というか、かっこよく見せるだけでなく、買いたくなるようにするという仕事が多いですね。

上京して間違えて美容師になったらモデルにスカウトされ、古着屋へ

【本間】正直、本当はデザイン一本で行けたらよかったんですけどね。元々、ファッションデザイナーになりたくて、新潟から上京したのに、最初間違えて美容師になっちゃうんですけど(笑)

当時、新潟のとんでもない田舎に住んでいました。あまりにも情報がなさ過ぎて、町で一番おしゃれな人は美容師でしょ。というだけで、美容師になったんですよ。それでこっちに来たら、どうやら洋服の学校があるらしいみたいな(笑)ただ美容師になっちゃったからには、とりあえず美容師やろうと思って一年半くらいやっていたら、ショーを見に行ったときにたまたまモデルでスカウトされました。モデルの方が洋服に毎日触れることができるので、迷わずモデルをやると決意をしました。服の見せ方や、気持ちのいい素材など、着る立場で洋服の知識も増えました。

オーディションで落とされるのが嫌だったから、モデル事務所に入らずしてフリーでモデルやってました。当時はそんな人はいなかったので凄く怪しい存在でしたね(笑)雑誌社からPHS(電話)に直接仕事の依頼がくる、そんなスタイルで大体4~5年くらいはやってましたから、フリーの割には結構よく露出してる。というような変なポジショニングでしたね。

その後も「洋服つくりたい」っていうのが根源にあって、友達から代官山で古着屋をオープンする話が上がって、僕が古着の買い付けをすることになりました。「ついに洋服の話が来た!」って思いました。

でも、古着屋さんって商品を海外から自分たちで仕入れて売ってるので、売れちゃうと商品がなくなるからまた買いに行かないといけないんですよ。これがめちゃくちゃしんどいんですよ、このサイクル。古着屋さんって海外の買い付け先にちゃんとサテライトがないと結構やりづらい商売なんだなって学びました。

全部自分でバイイングに行って、自分で梱包して、発送してたりと、手間がかかるんですよね。これじゃ全然儲からないし、めちゃしんどい。だったらちゃんと自分たちで好きなものを作った方がいいよね、というところから服をつくり始めたんですよね。情熱もってやれているのはそこからずっとです。

モデルのギャラを洋服につぎ込み、食べるものは焼き肉屋のバイトで

【本間】ただ「服をつくりたい」、楽しいから。とはいえ1年くらい全然売れなかったんですよ。だから自分のモデルのギャラを服につぎこんで、夜は20時くらいから焼肉屋さんに行って朝の4時ぐらいまで働いて。週五で焼き肉ですよ、焼き肉が好きだったから良かったんですけど(笑)

【岡本】それは何歳くらいの時なんですか?

【本間】22ぐらいですかね。本当にその時ひもじくて・・・、そして片やモデルって華やかな仕事していて、コンビニ行くと自分が雑誌に載ってるわけですよ。

【岡本】一見、華やかに見える。

【本間】一方では、夜は焼き肉屋でバイトしていたり、その前は深夜の本の検品してたり。毎日始発で帰って、次の日昼11時くらいに事務所に行って働いてみたいなのをずっとパートナーと二人でやっていたんですね。そうこうしているうちに、幸いにも売れ始めてきて、社会的にも税金的にも会社つくんなきゃだめだってなって、会社つくったのが23歳の時でした。

プロダクトアウトからマーケットインへ方向転換、そして閉店を決意

【本間】23歳のときに「会社をつくってお店を持ちたい」と思い、銀行からお金借りて、メンズとレディスのお店を1軒ずつつくりました。が、見事なまでに大赤字になって潰れちゃうんです。それがちょうど30歳くらいのとき。会社やって6、7年目くらいで銀行から5000万円借りていて、その時の家のローンとかも合わせると多分1億円くらい借金がありました。それが、全く返せない状態になりました。

これはいよいよまずいとなった時に、たまたま見つけたチラシがあって、マーケティングの神様と呼ばれている人のセミナーがあるって知ったんですね。ジェイ・エイブラハムっていう不思議な迫力のあるおじさんなのですが、そのセミナーに藁にもすがる思いで行ったんです。そしたら「えっ、俺がやってることって何だったんだ?」みたいな。プロダクトアウトしか知らないままやっていたのが、マーケットインのやり方を初めて聞いたんでびっくりして。

それは3日間のセミナーだったんですけど、1日目でまずは店閉めることを決意しました。この店はただの出血ポイントにしかならないから、とりあえずバケツの穴を全部塞ぐところから始めようと。その時、全部合わせると12人くらいスタッフがいたんですけど全員辞めてもらって。生産管理担当を一人だけ残して、借金5000万背負った状態から二人でリスタートしました。

洋服が好きだという情熱でやってきてるんですけど、なぜ物を売る方をすごく考えるようになったかっていうと、正直売ることはつくるときには凄い邪魔なんですよ。面白い物を考えなくなっちゃうんです。「売れ線の商品を少し何か変えた物」みたいな発想になっちゃう。するとブランドってすぐ個性が消えて死んじゃうんですよ。競争に巻き込まれるんで特化する必要があるし。なので、この売れ線をどうやったらより違う世界観でみんなに伝えられるかっていうのをやり始めました。

【岡本】それがクリエイティブディレクターのスタートと言ってもいいですか?

【本間】はい、スタートですね。

在庫ソックスをプレゼントしたら、スニーカーだけのネット販売で過去最高の売上に

【本間】その時、赤字の店だったにも関わらず唯一スニーカーだけは売れてたんです。「フロントエンドとバックエンド」を学んだので、余っていたソックスをフロントエンドでプレゼントして見込客を集めて、その人たちにチラシで特典をつけたスニーカー持ちかけたらどうか。そしたら売れちゃったんですよ。その方法を繰り返していたら、どんどんお客さんのリストが集まって。その年の11月くらいにお店閉めたんですけど、次のお正月の3連休で、スニーカーしかないウェブショップを自分でつくりました。Htmlもコードも何もわからなかったけど、なんとかHPを作りました。そして、お正月明けにローンチかけて売りだしたら、なんと過去最高の売上を叩いたんです

【岡本】どれくらい売れたんですか?

【本間】スニーカーで250万くらいですかね。今になれば、決して大きな売り上げではないかもしれないけど、当時の店の月商200万も行ったことなかったのに、スタッフもなく一人だけで、250万円の商品を販売したことは小さな自信になりました。

3万円のスニーカーなんで、7~80足とかですかね。無名ブランドのスニーカーはどんなに売れても1日大体3~4足ぐらいしか出ないものだったんです。だから週間で20も売れたら超ビッグセラーだったんですよ。その常識を覆して、ネットでほとんど一瞬で売れた。これが10何年前です。驚きでしたね。

業界でマネする人がいないから、気づいたらオンリーワンに

本】ファッション業界では同じようなことをしている方はいらっしゃらないんですか?

【本間】いないと思いますね。これはお客様とのエンゲージメントが強くないとできないんですよね。普段ただモノを作って「新作できたよ」って告知だけしている人だと多分、反応しない。あと、お客さんの教育の期間が結構いるので。有名ブランドでも、エンゲージメント取るまで時間かかりますよね。だからみんなそこまでに諦めちゃう。

【岡本】長年やられてきていて、一人や二人くらいマネしようっていう人が出ないのかなと思いますが。

【本間】コピー書ける人がいませんからねぇ(笑)

【岡本】本人が書けないにしても、誰かに頼まないのかなと不思議に思います。それだけ結果が出ていたら、競合他社でマネしようっていう発想にはならないのでしょうか。

【本間】何でマネしないんですかね。実はそれで知人と一緒にセミナーもやったこともあるんですよ。ただ、クリエイターのみんなはコピーでつまずいたり、お客さんと毎日エンゲージメント取るのが難しくて。特にクリエイターはほぼ東京にいて、お客さんは地方だと、いわゆるサポートセンターみたいな役割もしながらやらないといけない。ブランド自体はお店じゃないので、毎日お客さんに来られても困るって人も多くて難しかったですね。

一番難しいのは、デザイナーとマーケッターどちらの感覚もないと、なかなかハードルが高かったのかなと思います。まずはマネすりゃいいのにとは思うんですけど。

ただ最近は、自分で商品をつくる情熱よりも、誰かが作ったブランドや商品をどうやったらさらに売れるようになるかを考える方がすごく楽しいです。

売れる服をつくるより、売れるやり方を考えるプロデューサーの方が今は楽しい

【本間】最近は、服づくりで才能ある人に出会っちゃうと、僕のデザイナーとしての情熱が下がるんですよね。

【岡本】なぜですか?

【本間】僕がつくりたいものはこれだけど、多分お客さんはこれだと反応しないなって思ったものを、ある人は「お客さんはこれが好きだろう」ってつくって売れてしまうんですよ。僕がそのデザインを好きじゃなくても、ちゃんと「売る」っていうことに繋がっているということは、僕の方がマーケットというかお客さんの気持ちを理解してないことになります。この時に、自分のエゴに気がつくんです。それに気づくときにお客さんを見れていない自分に「あ〜あ」ってなっちゃう。悔しいけど、自分より優れたデザイナーは沢山います。

今はそんなデザイナーが作ったものを、どうやったらさらに広げられるのかのほうが面白い。って、いいわけですかね(笑)

頭に7つ円形脱毛ができ、いつも死ぬことが頭をよぎっていた

【岡本】過去振り返って一番しんどかったのは、借金もあってお店がうまく行かなかった時ですか?

【本間】全部潰れた時が一番ひどかったですね。マジで辛かったです。子どももいて、全然稼げない。毎日死のうと思っていましたよ。あまりに考え込んで、夜はまともに眠れないし、そんな生活を何ヶ月も続けていたら、頭に7個も円形脱毛症ができるんですよ。ハゲちゃってるもんだから、当然モデルの仕事もできない。もうそれが嫌だからずっと帽子被るようになって、気が付いたら、逆に帽子がトレードマークみたいになっちゃったんですけど。

【岡本】お店をオープンする前は売れる、行けるぞ、と?

【本間】もちろんですよ、バンバン売れていくことしか考えてなかった、でも現実は全然人来ないみたいな。4000万円くらいのマイナスからスタートしているんで、とんでもなかったですね。でも、逆にその授業料があったおかげで、そこから真剣にどう売ればいいのか考えだして、今では偉そうに人前でしゃべるようになった。だから、なんかよかったなぁって思って。その当時は本当に嫌だったんですけど、むしろもっとマイナスで追い詰められていてもよかったなって思うぐらいです。

こうやって話すと借金嫌だっていう人もいるんですけど、悪いことだけじゃないんで。強制成長装置みたいなもので、逃げなければ化けると思ったんですよ。そこから逃げたら多分、またその課題は永続して人生に何度も何度もやってくるんですけど、絶対に逃げずにハゲてでもいいから頑張ったら、脳が次の次元に接続されて、化けたんですよね。それは凄くいい経験でした。

ビデオセミナーが異業種から学び始めるきっかけに

【岡本】逃げずに頑張っていたら、マーケティングの神様のセミナーに出会えたということでしょうか?

【本間】そうです。たしか29万くらいのビデオセミナーだったんです。アパレルの人はだれも参加してないし、初めて会う職業の人ばかり。それで自分のフレームが全部外れました。「そんなに儲かってんの」「そんな風にして稼ぐの」って自分の中の商売の常識だと思っていたやつが全部ボロボロボロボロって壊れちゃって。そこから異業種に自分から飛び出していって色んなものを見てくるのが大事だっていうのに気付きました。未だに僕しかいないんじゃないですかね。この業界は、ある意味すっごく保守的なので。

【岡本】アパレル業界がですか?

【本間】アパレル業界、じつは新しいものを求めないですね。新しいデザインとかトレンドとかは好きなんですけど。月に10冊以上色んな本読んでますみたいな人そんなにいないんですよ。おそらく、もう1%切ると思うんですよね。それでも大丈夫なくらい市場があるとは思いますが。とはいえもう日本も臨界点に達するからその前に何かしないとなって思います。

【岡本】30歳で逆転して、今に至るまでに思うことはありますか?

【本間】30歳の当時、逆転とはいえ、ずっと借金があった状態だけは変わらないので(笑)一応売れるようになったとはいえ借金も返済しないとなりません。逃げないとは決めたけど、まともに返せるようになるまでは「毎月1万円ずつ返します」と言って銀行まわったり、そういう苦い思いを30大前半にしてきました。

消費者金融から借金を重ね、給料は半年ストップ

【本間】これ初めて言うなぁ・・・、それこそ最悪だったのは、うちのスタッフにキャッシングへ行ってもらいお金を借りさせていましたよ(苦笑)「絶対返すから」ていって。自分の名義だともう借りられないから、肩代わりさせて「じゃあもう今月だけ」って。さらにひどいのは、彼の給料を二カ月とまっている状態だったのに、さらにお金を借りてもらって・・・。そんな滅茶苦茶な事ありましたが、それでも彼は今でも僕と一緒に働いてくれてます。

【岡本】それは何でですか?

【本間】彼は僕の人間性を信じてくれたんだと思います。僕も彼のことは絶対に裏切れないないし。気がつけば家族を超えた存在ですよ。でも本当に苦しかったですねぇ。あの時、僕の給料また半年くらい止めて。子どもいるのに半年給料ないって、家でもめちゃくちゃ肩身狭いですよ。

【岡本】どうやって生活してたんですか?

【本間】奥さんの給料で食べさせてもらっていました。まあ、しんどかったですねぇ。

奥さんは当時、何も言わないんですけど、こっちは夫としての重圧を感じるじゃないですか。さらに厄介だったのが、その前にちょいと高額の保険に入っていたんです。死ぬと一億円ぐらい家族に出るような保険に入っていたから、頭をよぎるんですよ。どう考えても、給料ない俺よりも、死んだ方が家族のためだろうっていうのがずーっとよぎっていて、そん時はやっぱしんどかったですねぇ・・・そんなことずっと考えてたら、そりゃあハゲますよね。奥さんにはホント感謝してます。

あれだけ苦しんだ借金も今はむしろ便利な道具に

【本間】マーケティングを勉強したら、少し上向きになって、さらにもっと勉強したいって思っているけどお金がないわけです。そんなときに、アンソニー・ロビンズの存在を知って、彼のセミナーに行こうと思いました。しかし、それが渡航費も含めて100万円くらいするんですよ。もちろん現金はありません。唯一持っていいた自分のクレジットカード2枚を合わせて切って行きました。

でもそこからですね、いろんな業界のいろんな人たちと繋がって凄いことになったのは。僕がオーダーでデザインしているスーツ、一着大体20万くらいするんですけど、そこでみんなに話してみたらみんな「作って欲しい」って言ってくれて。セミナー代がそれで全部ペイされて、3ヶ月で200万くらい儲かって「やったー、言ってみるもんだ」みたいな(笑)その時に自分の力をようやく確信できるようになりました。だから、逆に厳しい環境に身を置けばもう一段自分で勝手に化けるだろうと思って、喜んでプレッシャーかけて。それから2年後には奥さんも連れて二人でアンソニー・ロビンズのセミナーへ行くことが出来るようになりました。

【岡本】そういう意味では、完全にマイナスから脱したのはいつ頃なんですか?

【本間】どこら辺なんだろう?もちろん今も借金あるんですよ。何でかというと、また借り入れたので(笑)日本は今、金利も安いし、攻めのために、今のうちにガンガン借りとこうと思って。「負の遺産」みたいなイメージのものっていうと3~4年くらいで返済したかな。

あんだけ僕を苦しめた割には、今もう借金に悪い印象は一切ないですからねぇ。いいも悪いもない、むしろ便利な道具みたいな話。武器が増えたから加速させるだけ。時間を買う、ですね。しかもこの金利だから本当に楽ですよね。もう何とも思ってないですね。むしろ社会が信用してくれてるわけですし、いいことですよね。

ファッションに救われ、ファッションで誇りが生まれた

【岡本】ファッションに興味を持ったきっかけやエピソードを教えてください。

【本間】僕、小学校の時、すごい太ってたんですよ。基本明るい性格なんで人気は別にないわけじゃなかったんですけど、100mを走ると20秒切ったことがないんです(笑)さらにめちゃくちゃ頭も悪かったんですよ。いわゆる「勉強ができない子」。だから、自分に誇れるものが特段なかったんです。ただ小学校の先生からはよく「お前は明るいな」って褒めてもらって、ただ明るいんだなって思ってたくらいでした。

新潟の実家で一つ風習があって、毎年1月1日になると、服を全部新しくするんです。パンツまで。その時に、兄貴の嫁さんが服を買ってきてくれたんです。それを着てたらやたらとみんなに褒められるようになったんです。「それいいね」って。承認されるものが他に出始めたんですね。「あぁ、これ着てくと褒められるな」「褒められると嬉しい」と。で、ファッション雑誌を買って研究し始めたのが中3から高校生にかけて、そんな十代を送りました。「メンズノンノ」とかその時見ていたものに自分が出るっていうのはまた面白いなぁって思うんですけど。

ファッションでコミュニケーションを生み出したい

【本間】だからファッションによって救われた部分がすごく多くて。でも、そういう人っていっぱいいるんじゃないかな。人によって音楽だったり写真だったりしますけど。写真なら自分が撮ったものが褒められる、結構シンプルな心理構造なんですが、コンプレックスから救ってくれたものって、大きな影響を与えるわけですよ。それでファッションがすごい好きになって。お洒落であるっていうことは、こんなに自分にとって良いことなんだ、っていうのが根付いたというか。

【岡本】買ってくれた人にも同じような体験をして欲しいと、もうこんなに違うんだみたいな。

【本間】そうです。嬉しい声かけられたとか、普段おふくろさんがいいって言わないのに「それあんたええやん」みたいなことを言われたとかっていう話をいっぱい聞きたいですね。例えば美容室に行ったら、美容師さんに「そのスニーカー凄いですねぇ。どこのですか」みたいなコミュニケーションが生まれるとか。

できればファッションを通じてコミュニケーションを生みだしたいんですよ、一番は。「私はこういう人間です」っていうのがファッションの大事な役割なので、これもコミュニケーションの一つだと思うんですよね。

ファッションの3つの効能

【本間】実は、ファッションや外装には三つの効能があります。

一つは自分のモチベーションのコントロール。気持ちを強化したりとか、逆に弱くしたりとか。例えばお気に入りの一着を着て気分があがるとか、気分を変えるために、普段着ない色を取り入れたりとかでも、気分はすぐに変わります。また、ドキドキ緊張しそうなシーンがあるとして、、じゃあいつもの慣れてるアイテムを身に着けるとします「あぁ、これだったらちょっと落ち着く」っていう風に気持ちのアップダウンを図ることができます。

二つ目は、自分はこういう人ですというコミュニケーションツールとしての役割。アイデンティティを外見で表すんです。

誠実そうな印象が必要なのであれば、ダークカラーのジャケットを着るとか、相手にリラックスしてもらいたいのであれば、ラフな格好していくとか。服を使って相手にメッセージを送ることが出来るんです。

三つ目はユニフォーム効果。例えば今日のインタビューでは、一応オーダースーツをデザインしていることも言わないとなと思ったんでスーツにしたんですけど、そうでなければスウェットとキャップでいいなと思っていました。そうすると逆に、親しみやすくなるんですよね。自分が仕事する人にファッションを合わせていくと、ラポール(共感)がすごい取りやすくなります。

【岡本】20代頃からそういった考えをお持ちだったんですか。

【本間】そうですね。だから、お客さんには本当にファッションで褒められてほしいし、それでコミュニケーションのきっかけになると面白いし。大体服好きな人って、最初は自己満足で買うので、それでいいとは思うんですけど、そこから褒められるとなんかいいなぁと。はじめはただの自己満足から、誰かと繋がることを知れば、ファッションがどんどん楽しくなると思うんで。

【岡本】先ほどの三つのポイントは、一般的にそういう意識はあまりないと思います。今やられている仕事以外で、例えばそういう教育や啓蒙をするような活動は何かありますか?

【本間】以前はやってました。「外装を変えるとこんだけいいことあるんですよ」っていうことを伝えたくて。今は手が回ってなくてやってないんですけど。本当にちょっと気を遣えば絶対得なんですよね。本当はみんなに知ってもらいたい事なんですけど。

スーツを着ればいいわけじゃない、主賓に合わせるのが本当のTPO

【本間】TPOの概念もそうなんですけど、僕は「主賓が望む格好がTPO」だと思ってるんですね。スーツでタイしていけばオッケーとかじゃなくって、主賓が望んでいれば別にピンクで来てもオッケー。それってまた面白くて、人それぞれのキャラクターだと思うんです。Aさんはピンクで来るとその場がすごく華やぐのだけど、Bさんがピンクなんかで来ちゃったら「どうしたの?」みたいなことになるので。TPOとは主賓を喜ばせつつ、ちょっと意表を突けるセンスだと思うんです

最近結婚式が続いたのですが、そこは絶対タキシードで行くんです。僕が普通のスーツで来るとあんまり面白くないと思うんですよ。主賓も僕を呼んだからには何かを期待してくれてるはずだから、だったらタキシードでばっちり決めて行ってやろうと。逆にタキシードの奴が来てる会場っていいじゃないですか、なんか格がひとつ上がる感覚なんですよ。ちゃんとカマーベルトしてブラックタイしてっていうのをやったら、主賓も満足してくれました。

ブラックタイナイトで日本に本物のパーティーを広める

【本間】ジュンハシモトのデザイナーの橋本さんと話してて、日本には本当のパーティがない、という話題になりました。女の人はイブニングで腕出しの見事なドレスを着ているんだけど、男はみんないわゆるスーツ。こりゃいかんってなって。だから「タキシードでしか来ちゃダメ」っていうパーティをやろうってなって、「ブラックタイナイト」っていうのを一昨年からやり始めたんですよ。

やっぱりブラックタイならば、映画007の匂いがしなきゃだめだってなって、アストン・マーチンさんに交渉して二台借りてきました。「アストン・マーチンに乗れる」っていうのを特典にしたんです。しかもお酒飲んでても後ろの席に乗ってドライブできるってことにして。会場にかわいい女の子がいたら声かけて、その場でそのまま10分、15分くらいおじさんと女子を一緒に渋谷の街をナイトクルーズできるっていうパーティをやったら、めちゃくちゃ盛り上がったんです。

アストン・マーチンは普段リーチできない若い人たちにリーチできて喜んでもらい、自分たちの顧客さんを、そういう一風変わったパーティを企画して、ご招待できるのだったら面白いっていうので、うまいことバリューが合って。また、レストランにも交渉して、「アストン・マーチンがやってくる」と言って交渉し、場所代も飲食代も格安でやってくれて、みんながwin-win-winになって、お客さんもめちゃめちゃ楽しんでくれました。

【岡本】そのパーティーには何人ぐらい来たんですか?

【本間】100人ぐらいの規模でクローズドです。こちらもあまりにも買えなさそうな人呼ぶとアストンさんに失礼だと思って「買えそうな人」っていう括りで。レストラン一館丸ごとラッピングして、アストン二台体制にして。うちの顧客さんは表参道ヒルズのお店に集合してもらい、ヒルズの地下駐車場からアストン・マーチンで出ていくっていう。参道に出るときに、駐車係の人が「すいません、車通ります」って言って歩行者を止めてもらうっていう、あの快感を味わってもらおうと。

【岡本】完全に優越感ですね、すごい演出。もう最初っから、全部つくり込まれてますね。

【本間】めっちゃ気持ちいいはずです。こういうふざけたパーティがいいですよ。普通のスーツ、ジャケットで来て「これはちょっと気まずいな」って帰った人もいましたが、それが狙いだったんです。「明らかに格が違うパーティをやろう」っていうのを、ファッション目線でやるという。ドレスコードもブラックタイ。これはよかったですね

この第二弾として昨年やったのが、マゼラッティさんへこのお話持っていって「アストンさんでこういうことやったんですけど、御社もやりません?」って。こんな調子で年一くらいのペースで『日本の紳士に本物パーティを』っていうキャッチフレーズでナイトパーティをやり続けています。

小さな会社で、大きく世界にブランド発信したい

【岡本】今後の方向性や、何を成し遂げていきたいかということを是非、お伺いしたいです。

【本間】今後は日本のブランドを世界に売るっていうことをやりたいです。日本のブランドをちゃんと世界で売っていくっていうことは、自分でもまだできてないので。レディスブランドで中国も含めアジア展開するというのを今考えています。実績ができれば多分みんなびっくりすると思うんです。大会社じゃないのにって。

僕は「インディペンデント」にこだわりたいんです。大きい会社に入って大きく予算動かしてやるのも興味あるんですけど、独資で数億くらいの規模なんだけど、世界にちゃんと発信できるみたいなことをやりたいですね。

【岡本】それに対して今、抱えてる悩みとか、一番の課題はどの辺りにありそうですか?

【本間】服が難しいのは、日本で作ったのをそのまま海外で売るってやると、輸送費、関税がかさみ、値段が一番ネックになるんです。何年経ってもこの問題は解消しないし、解消されるもんでもないだろうから作戦を変える必要があります。それならデザインをコンテンツとして持ち込んで、現地で生産からプロバイドまでやれれば、流れが変わるのかなとは思っていて。そうやってるブランドも中にはあるはずなので、それをやりたいなぁと今考えています。

とはいえ、それにはまず日本でのブランディングが出来ていることが条件になります。日本で売れてる、日本で人気がある、日本で爆発してるっていうのをかましていかないと意味がないので、それをつくっている最中です

【岡本】海外はどの辺りがターゲットになるんですか。

【本間】売ることを考えたらアジアですね。まずは中国と香港から。アメリカに店つくるっていうのは別にいつでもできることなので。ちゃんと売るってことをやりたいです。できれば現地の工場で作って現地で売るっていうモデルをやりたいんですよね。

【岡本】 「日本発のブランド」って、日本のアニメとかと一緒で、日本のこのブランドの服はかっこいいってアジアの人がこぞって来るようなものつくりたいということですか?

【本間】そうですね。ただ、アニメの場合はもう「日本のアニメ」で完全にブランディングされてるんですけど、できればこの「日本のブランドだから買った」じゃないものでいきたいんですよ。もう世界と同じ水準で見た時に「このブランドがいい」っていうところにいけると本物だな、と思ってて。じゃないと、後からついてくる人たちに夢がないなって思ったんですよね。

インスピレーションを生み出したい

【岡本】大切にしている価値観とか、信条などがあったら教えてください。

【本間】大切にしているのは、僕個人としては出会った人にインスピレーションを与えたいですね。この人と出会ってなんか良かったなと感じてもらいたいなと。会社を二社やっていますが、ひとつは「インスピレーション」っていう会社名です。僕の中でも「ハッ」とする瞬間に人生を生きているなって感じがします。僕もインスピレーション受け続けていたいし、その代わりに相手にも感じてもらいたいしっていうのをすごく大事にしています。

好きなことを続けていれば、辛くても化ける

【岡本】最後に、読者にメッセージをいただけますか。

【本間】好きなことをやっていれば、辛くても化けます。好きなことであれば続く。正直、僕には何もなかったんで。大学も行ってない、学もないし運動神経もよくないし、何もなかったんですけど、ただ好きだっていうことをひたすらひたすらひたすらひたすらひたすら…ってやってたら、誰よりもうまくなったみたいな状態なんです。

もちろん中には試練も何度もあったし、競争相手がいっぱいいた時もありました。ただ、別に一番だと思ったことはないんですよ。今もそうですけど、一番になった記憶が一回もないんです。ただずっと続けているとちょっとずつ順位が上がってる感覚なんです。

好きなことで唯一無二を目指す、一番は目指していない

  【岡本】一番を目指してるわけでもなく。

【本間】一番を目指してるわけじゃないですね。

唯一無二です。やっぱり自分の情熱がずっと続く仕事をしようと思っていて、それをやり抜いていて良かったなと思います。何度か神様の粋な試練もあって、ふるいにかけられましたけど。ファッション業じゃない方がいいんじゃないかとか。でも最後は「好きだ」だけで終わりなんですけど。なぜこれが好きなのか?とか自問して、好きなものをやるにはどうやったらできるのか、そればかりを考えてここまでやってきています。

おそらく、これからベーシックインカムが導入されて、食べていくだけなら、きっと食べていけるはずだし、この国ではまず、飢えて死なないと思うんですよね。僕が予測するに、ベーシックインカムになったらやりたいことがない人は、生きづらくなると思うんです。もう未来がみえてしまうので。

実際、スウェーデンとかデンマークとかって、若者の就職率が悪くて、ドラッグも蔓延していて、自殺率も高いみたいな話を聞くと考えさせられますよね。国が保障してくれて、未来はこんだけ安心安定なんですよって言われても、安心安定だけで全員が生きていけるわけじゃないよなって思いました。公務員をみんなができるわけじゃないですし。

公務員が嫌だなって思っている人は多分、好きなことやらないと生きていけないと思うんですよね。おそらく、僕だけじゃなくて起業して何かやろうって思っている人だったら、みんなそうだと思うんですけど。

もちろん安心安定は、生きていく上では必要なんですが、せっかくだったら、情熱が尽きない仕事をやっていきたいじゃないですか。

僕よりも若い人や、次の世代の人達が、こんなおっさんを見て、「俺のほうがまだいけるじゃん」て、思ってもらえたらホントにうれしいですよ(笑)

【岡本】話は尽きませんが、このあたりで。どうもありがとうございました。

【本間】ありがとうございました。

Company
会社情報
企業名有限会社ディーエスエスアール
所在地東京都渋谷区渋谷1-17-1 TOC第二ビル#807
業種アパレル
URL https://www.dssr-co.com/