情報への飢餓感が強かった少年がたどりついたのはソーシャルメディア。田端信太郎は「とりあえず動け!」と呼びかける

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氏名 田端信太郎
肩書 田端大学 塾長
NTTデータ、リクルートを経てライブドアでlivedoorニュースを担当。その後、コンデナスト・ジャパン、NHN Japan(現LINE)、スタートトゥデイ(現ZOZO)を経て、現在は企業PRやブランディング、自身のオンラインサロンの運営などを行う。

今、YouTubeやテレビ番組で注目を集める田端信太郎氏。そんな同氏の本業は、経営者の個人Twitterアカウント強化を軸に広報・マーケティングに活用する支援をするコンサルティングだ。小学生の頃からメディアに興味を持った同氏は、大学時代にインターネットと出会う。そして『R25』を立ち上げ、ネットニュースの責任者、広報業務とキャリアを重ねる中で、“時代の寵児”と呼ばれるような経営者と出会った。

今回は、田端信太郎氏を招いて、同氏の過去、現在、そして働き方に悩む若いビジネスパーソンへのアドバイスを伺った。

メディアに注目したのは小学生の頃から 大学時代にインターネットと出会う

—【聞き手:松嶋、以下:松嶋】田端さんのことは、TwitterなどのSNSでよく拝見しているので、緊張します(笑)

—【話し手:田端氏、以下:田端】いえいえ、気楽にどうぞ(笑)

—【松嶋】幼少期からメディアに興味があったそうですね。

—【田端】本とか雑誌とか好きでしたね。あと深夜ラジオとかも好きでした。田舎者だったので、小学校の頃から、情報への飢餓感みたいなものがすごく強かったと思うんですよ。

あとはなんとなくなんですけど、人の知らないことを自分は知っていて、それで他人に対して今風に言うと“マウント”を取ろうと思っていたんじゃないですかね。当時、トップアイドルの小泉今日子を音楽番組の「ザ・ベストテン」で見ていました。でも、「ザ・ベストテン」はみんな見ていますが「オールナイトニッポン」まで聞いている奴なんていないんです。「ザ・ベストテン」の情報しか話していないクラスメートに対して、勝手に「こいつらは一面的なことだけ見て話している」って感じていました。小学生なら、テレビだけから見た情報で話すのが普通ですけど「わかってないなー」みたいなことを思っていましたね。

この頃から、メディアによって、伝わり方がどう変わるのかみたいな部分っていうことに関しては、興味があったのだと思います。テレビとラジオで、どっちが上でも下でもないんですけど、ただ僕の思考としてはテレビよりもラジオが好きです。関わっている人間が少ないと、それだけダイレクトにタレントのパーソナルな部分を感じることができるんです。同じ理由で、新聞よりも雑誌の方が好きなんですよ。そして今はネットが好きです。Twitterとかもパーソナルな部分を感じ取りやすいですよね。

—【松嶋】インターネットとの出会いはいつになりますか?

—【田端】94年、95年くらい。僕が20歳ぐらいの時です。それからは、インターネットにどっぷりになりました。大学時代はウェブサイトを作るような仕事もしました。いいお金になっていましたよ。月々で変動はあるんですけど、少ない月でも30万、多いと70万くらい稼ぐ時がありました。大学を卒業したら就職するのをやめて、これで食っていこうかなと思っていたんです。

当時はちょうど山一証券や北海道拓殖銀行が潰れたりして、いわゆる就職氷河期。「大変だ、大変だ」って話がニュースでは多いわけです。何十社まわっても内定がゼロだとか、そんな話ばかり。無事に就職ができても、初任給はだいたい20万ぐらいじゃないですか。「なんで50~60万稼いでいるのに20万のところに行かなきゃいけないの。面倒くせえ、スーツにネクタイとかも嫌だし」って思っていました。ただ、自宅に帰ると、心配した親から「リクルートスーツを買ってやるから、とにかく就職活動をやってみろ」と言われて。さすがにスーツを買ってもらうと、「じゃあ、ちょっとやってみるか」みたいな感じになりました。

就職活動も始めてみたら結構、面白かったですよ。嫌だったら行かなくていいと思っているから、面接で超生意気なことを言いまくっていました。でも、意外にも「君、面白いね」ってなるんです。当時、ネットが使われだしたばかりの頃なので、求人説明のページのウェブサイトを持っているだけで結構先進的な会社なんですが、そんな会社のページでも、意味もなく音楽が流れたりするものもあって。「これなんの意味があるんですか、意味のない音楽を流すために音声ファイルを置いて、そのために何十万とか取られてないですか?」とかツッコんでいました。そういうことを言ったりしていると面白がられるんです。

—【松嶋】結果として、NTTデータに新卒で入社をすることになりました。なぜNTTデータに決めたのですか?

—【田端】NTTデータはITを使って、世の中の仕組み全体を再設計して、日本をリードすることを会社のビジョンとして持っていました。学生の頃はウェブサイトの“見せ方”を作っていたのですが、NTTデータに入社すれば、ウェブの世界のさらに奥に携われるかもしれないと思いました。

「板挟み」とは、間に入って付加価値を出して調整すること

—【松嶋】NTTデータでは、実際にどんな仕事を担当したのですか?

—【田端】いわゆる営業をやっていました。メディア業界担当の事業部に在籍して、テレビのデータ放送に関わる仕事でした。NTTデータでは、社会人としてのスキルを鍛えていただいて、そこは本当に感謝しています。でも、当初期待したネットの仕事ではありませんでしたし、ネットにどっぷり浸かっていた身からすれば、テレビのデータ放送なんてほとんど誰も使ってないじゃないかと(笑)。そんな時に同じNTTグループから、iモードが登場します。これはすげえやと思いましたね。放送局の担当チームの身でありながら、これはもうテレビはダメだなと思いました。こんなところにいるよりも、やっぱりネットビジネス戻りたいなと。そこで2年でリクルートに転職します。ただ、ネットビジネスに関わりたいと思っていたのに、転職して半年くらいするとネットバブルが弾けてしまって。ネットの仕事には結びつきませんでした。それでも、せっかくリクルートに入ったのだから、何か新規事業をやってみたいと3年間、新規提案を続けまして、企画が通ったのが「R25」でした。

—【松嶋】「R25」では、どんな仕事を担当したのですか?

—【田端】広告営業の責任者をやりました。電通が「R25」の広告面全部を買い切ってくれることになり、電通との橋渡し役みたいな形で、電通の雑誌局に席を作ってもらいました。正直、行きたくないんだけど(笑)、「席を作ったんで、毎日きてください」って言われてしまって、毎日朝9時ぐらいに電通に出勤していました。そこで色々と無理難題を言われ、昼過ぎにリクルートに戻ると、今度は編集担当から、「お前、こんな無茶ぶりを受けちゃったの?」と怒られて。そういうのを延々やっていましたね。厳しかったですよ。怒鳴られてばっかりでしたし。でも、それはそれですごく良い経験でもありました。「板挟み」っていうとネガティブで受け身な感じですけど、積極的に翻訳すると、「間に入って付加価値を出して調整する」とも言えると思うんです。とりあえず、ひと通りの揉め事とかトラブルを経験したので、そこからは何があってもあんまり怖くないですね。

「R25」は、現在、リクルートの会長を務めている峰岸真澄さんが面倒を見てくれました。峰岸さんとの思い出はたくさんあるんですよ。フリーペーパーである「R25」は当初、どうやってラックを確保するかがネックになっていて、すでに先に立ち上がっていた「HOTPEPPER」のラックが空いている時に借りようと考えたんです。そこで、「HOTPEPPER」の立ち上げの立役者である平尾勇司さんにお願いに行きました。ところが「R25」の見本誌を見た平尾さんに「こんなもんはうまくいくわけない」「失敗するプロジェクトに、なんで仲間が開拓してきたラックを貸さなきゃいけないんだ」と怒鳴られてしまって。ただ、そこで僕とコンビを組んでいた仲間が「『HOTPEPPER』のラックの賃料は平尾さんのポケットマネーで払っているわけじゃないですよね。会社の経費で払っているわけですよね。取締役会が決めた方向性に従って、なぜ『R25』に協力しないのですか」と言ってしまったんです。そしたら平尾さんがとんでもなく怒っちゃって(笑)。怒髪天を衝くっていうのは、ああいうことを言うんだと思いますね。それから30分くらい「何もわかってない若造が!」みたいな感じでさらに怒鳴られました。それでミーティングが終わって、トボトボと「散々でしたね」って話ながら歩いて帰るのですが、その時にミーティングでは黙っていた峰岸さんが「おまえら、悔しくないのか。絶対このプロジェクトは成功させるぞ」って声を掛けてくれたんです。あの人は根っこが“千葉のマイルドヤンキー”みたいなところがあるので、さすがにカチンときたのか、これは意地でも絶対うまくいかせるぞとなったみたいですね。“共通の敵”みたいなものができて、上司と部下の連帯が深まりました。

それから毎日、峰岸さんから携帯に「今日、広告はいくら売れた」って確認の電話が入るようになりました。「売れてない」って言ったら、「電通の営業マンはどのくらい動いているんだ」「電通の営業マンに日報を書かせろ」とか言うんですよ。「電通の営業マンは『R25』だけを売るために動いているわけじゃないですよ」って言ったのですが、「そんなことはわかっている。ただ、行動の把握をするのが営業の基本だ。営業マンがどれくらい本当に行動してくれたらわかってなかったらボトルネックはどこにあるのかわかんないじゃないか」と完璧な正論が返ってきたのを覚えています。

厳しかった堀江貴文氏、単刀直入で話を進める前澤友作氏

—【松嶋】当時、『R25』は当時、とても話題になりましたよね。事業が軌道に乗った際、ご自身は仕事をどう感じていましたか?

—【田端】良くも悪くも週刊誌なんですよね。ある程度、軌道に乗ってしまうと、何曜日の何時で何をやるか全部決まってしまうんです。それで生活リズムがでてきて。気がついたら自分もなんか歯車の1つになっていると感じてしまいました。そんな時にひと足先にlivedoorに転職していた先輩から、「堀江(貴文)さんが面接するから来いよ」って言われて。当時、堀江さんは時代の寵児みたいな存在でしたから、実物に会えるんだったら、とりあえず会っておこうかみたいな感じで面接をしてもらうこうことになり、結局、転職しました。

—【松嶋】念願のIT企業ですね。どんな仕事を期待しましたか?

—【田端】新興IT企業のlivedoorの仕事は、フロンティアに行って旗立てて、「ここは土地だ!」みたいな、そんな会社だと思っていたし、実際にそんな仕事でしたね。

—【松嶋】livedoorで担当した業務は?

—【田端】livedoorニュースの責任者になりました。最初はニュースをトピックスにピックアップする際、自動でアクセスランキングの中で上位のものを上から選び、タイトルを前から12文字くらいで自動的に切って表示させていたんです。でも、これでは全然面白くない。堀江さんにも「Yahoo!みたいにちゃんと人間が張り付いて、ニュースをピックアップして、見出しも改めて人間が考えた方がアクセスが伸びるよね」って言われて。ただ、僕も一緒にやりましたけど、24時間3交代でこの業務はかなり辛かった。でもこの経験をしたことで、どんなことをした時にアクセスがどう変わるのかということを肌感覚でつかめるようになりました。

—【松嶋】「R25」は紙媒体、livedoorはウェブ媒体です。どんな違いを感じましたか?

—【田端】紙メディアって何が良くて何が正しかったのかが明確にはわかりづらいですよね。もちろん実売部数からフィードバックが来るっていうのがあるんですけど、そのトライ&エラーをするサイクルが紙のメディアって長いんですよね。月刊誌だったら今やっていることが、正しかったかどうかが数字でわかるのって2か月くらい費やすんです。でも、ネットのニュースサイトって今、手元で作業をしたら、5分後には「さっきの見出しよりこっちの見出しの方が数字が上がっている」って分かるんですよ。人間がある期間で成長するかしないかって、どれくらいトライ&エラーをできたかによると思うので、そういう意味でネットってすごく自分を成長させてもらえるなって思うんです。

—【松嶋】プロ野球の球団買収、衆議院選挙出馬、フジテレビ買収と、まさに時代の寵児であった堀江さんですが、近くで仕事をしてみてどんな方だと感じましたか?

—【田端】堀江さんって、真面目で本当にストイックな人ですよ。逮捕されるまでは、毎週火曜日朝10時に堀江さんを交えて会議をやっていましたけど、あの頃の堀江さんは殴ったりはないですけど、言葉とかめちゃくちゃキツいし、今だったら絶対にパワハラですよ(笑)。ただ、今から振り返ると、ご本人も当時はすごく生き急いでのではないかなとは思います。堀江さんと仕事をしたことで感じることは、厳しい上司ってやっぱり必要ってことですね。livedoorでは、たくさん成長をさせて頂いたと思います。

—【松嶋】そんな中で2006年にライブドア事件が起こります。

—【田端】不謹慎な話ですが、まず会社が今後、どうなるかではなく、「堀江さんが拘置所に入っちゃっているから、これで会議で詰められなくて済む」って思ってしまいました(笑)。事件によって株価は暴落、上場廃止になりました。30人いたニュース記者の方たちにも辞めてもらうことになって、本当に色々あって、辛いことも多かったと思うんですが、この経験で怖いものがなくなりましたね。livedoorではその後、メディア事業の部長を務めることにもなり、通期の黒字を達成することもできました。

一応ちゃんと黒字にまでしたし、もう逃げたとは言われないと思って、ここで転職をします。「コンデナスト・ジャパン」っていう『VOGUE』などの事業をやっている会社から声をかけていただきました。ここではデジタル事業の責任者でした。ある程度の成果は出せたと思うのですが、『VOGUE』って歴史ある雑誌なので、良くも悪くも保守的だなと感じることもあって、2年ほどでlivedoor時代の仲間に誘われてLINEに転職しました。

—【松嶋】このあたりから、田端さんの名前がメディアでも聞かれるようになりましたよね。

—【田端】『MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体』っていう本を書いたのが、ちょうど「コンテナスト」を辞める時でした。有休消化みたいな感じの時に書きました。

—【松嶋】LINEでは6年務められて、次は前澤友作さんのZOZOに転職ですね。

—【田端】LINEでは広告営業などをやっていたのですが、ZOZOはその時に僕の担当でした。担当の方から「うちの前澤が田端さんと食事をしたいと言ってます」と誘われました。

—【松嶋】実際に会った前澤さんはどんな方でしたか?

—【田端】世間話を10分ぐらいしたら、すぐにZOZOスーツを見せられて、「これを世の中に無料でばらまいて、服のECを変えたい。そうすれば、服のECの分野ではAmazonにワンチャン勝てるんじゃないかと思っている」って話すんです。続けて、「自分自身のキャラクターや人間性をブランディングしていくことによって事業を伸ばしたい」と熱く語られ、広報として一緒に仕事をしないかと誘われました。ほんとあの人は単刀直入な人なんですよ。普通、こういう話って「ZOZOに入る気ありますか?」って、ヘッドハンターとかに誘われて、何度か面接を経て、最終面接ぐらいに出てくることだと思うんですよ。僕が転職しなかったら「前澤さん、こんなこと言ってたぜ」ってペラペラと面白半分に話されるかもしれないじゃないですか。でも前澤さんは、変なプライドがなくて、最初から踏み込んで話をしようっていうマインドの人なんですよね。そんな前澤さんの姿勢を粋に感じて、ZOZOに入社することになりました。ZOZOでは2年間、広報の仕事を通じて、前澤さんの様々な大勝負を間近で見る機会があって、めちゃくちゃ面白かったです。

「待っている」必要はない「とりあえず動いちゃえばいいじゃん」

—【松嶋】前澤さんが株を売って、ZOZOを抜けるタイミングで、田端さんも退職をして独立。今に至るということですが、現在の主な仕事は?

—【田端】経営者に特化して、自分の発信力を伸ばすためのソーシャルメディアのコンサルティングや運用代行業務を行っています。Twitterの運用代行とかインスタとかYouTubeとか、いろんなことをやっているんですけども、ビジネスを伸ばすための手段として、経営者個人のアカウントをどうやって伸ばすかみたいなことに特化させています。ソーシャルメディアを編集者みたいな形でサポートするのが、今の自分のやっていることの本質かなと思っています。

—【松嶋】メディアが大好きな子供だった田端さんが行き着いた先がソーシャルメディアとなったんですね。経営者のソーシャルメディアをコンサルティングする中で、どんなことを感じますか?

—【田端】悪い例を挙げるならば、経営者のアカウントに経営者自身がまったく興味なく、実は裏で社員が書き込んでいる。そして発信することが何も面白くないみたいなことがありがちですね。こういうのって、つまらん官僚が書いた作文を政治家が読み上げているみたいになってしまっているんです。これじゃあ面白くないですよね。でも一方で、うまくやっている社長さんって、自分で更新していますよね。また、言いたいことを何も考えずに言うんじゃなくて、一定の狙いがあって、ちゃんと自分の言葉で伝えるっていうことをやっていると思います。

—【松嶋】田端さんは何度かの転職を経て、環境や業務が変わる中で、様々な出会いがあり、現在にたどり着いたと思います。最後に若いビジネスパーソンに働き方、転職の方法などのアドバイスをお願いします。

—【田端】オンラインサロンなどで、転職の相談を受ける事もあるんですが、多くの方が「待っている」状態なんです。でも、僕から言わせると、「とりあえず動いちゃえばいいじゃん」って思うんですよね。例えば具体的に行きたい会社をあげてみて、その会社のウェブサイトで自分が応募可能かどうかを確認してみる。そこに明らかに絶対無理な条件があるかもしれないですよね。そんな時にこそ、「それでもここに行きたいんですけど、田端さんどうしたらいいでしょうか?」って質問してもったら、僕も答えようがあると思うんですね。あと、僕の持論なんですけど、悩むんだったら内定通知のオファーレターをもらってからやればいいんですよ。「自分は転職すべきなんだろうか」ってことに悩むって、そんなのそもそもやってみなきゃ受かるかどうかもわからないんだから、受けにいってみたらいいじゃんと思います。まずは行動、そしてチャレンジをしてみるっていうのが大事だと思うんです。